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正しさと手段と

勝俣範之先生と津川友介先生と大須賀覚先生の共著である『最高のがん治療』が発売された。

読み始めたばかりなので感想は後日あらためて。
ただ、発売前から気になる議論があったので、そのことについて考えてみた。

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このタイトルに対して同業の医療者から疑問が投げかけられている。

まっとうな科学者は原則としてこういった “煽り文句” 的なタイトルをつけることはない。
日進月歩で進化していく科学では、いつこれまでのものを超える理論・技術が確立されるか分からないし、これまでの常識が覆るような発見もある。
その一瞬は最高かもしれないが、現時点で最高という保証はどこにもない。
その点では指摘は “正しい” のだと思う。

だが、あえて3人のドクターはこのタイトルを選んだ。

その理由は明快だ。
店頭でより多くの人に手に取ってもらうため。

書店の医療コーナーでもAmazonの書籍ページでもよいが、医療、とくに “がん” についてはさまざまな出版物がある。
そしてそのほとんどが極端で刺激的な文言のタイトルがつけられており、とにかく目を引く装丁がされている。
自身や家族などの近しい人が急に “がん” という現実を突きつけられ、これまで基本的な知識に触れることもなかった人が手に取ってしまいやすいタイトルと装丁。
その多くがエビデンスの無い、もしくはエビデンスの低いものであり、現状では最も信頼性が高く健康保険の対象で治療費の負担も少ない『標準治療』から遠い内容だ。

このような状況を憂う医療者は著者である3人のドクター以外にも多く、SNSやネット記事、セミナーなどで医療情報を発信している。
が、ネットに親和性の高い世代は若い世代であり、若い世代は健康に対して関心が薄い傾向がある。
一方で健康に関心がでてきたり不安を覚える世代はネットリテラシーが低く、テレビや書籍の情報を鵜呑みにする。

こういった情報受信力が無いまたは乏しい人からカネをむしり取る詐欺まがいのビジネスへの取り締まりはほとんどないに等しい。
しかも、金を失うだけならまだしも標準医療を否定する情報のせいで、病が進行し手の施しようがない状態になってしまうケースも少なくはない。

この状況を打破するためにはキャッチーなタイトルが必要不可欠であり、誤った危険な方向へと患者や家族が迷い込まないよう道標となるべく生まれた書籍だと理解している。

“正しい”ことは大切であり、僅かでも事実に反したり誤解を生じさせることを忌避する科学界の原則は理解できる。
しかし、その“正しい”ことが人々に届かなければ状況は改善しない。
スタートラインにすら誘導できないタイトルに、はたしてどの程度の価値があるのだろう?
「科学者がやるべきではない」という主張もあるようだが、では誰がやるのだろう?
ぼくはリスクを負って一歩を踏み出した3人のドクターに惜しみない称賛を送りたい。

仕事でも勉学でも趣味でも、目的・結果・手段とひとそれぞれ重視するポイントは異なる。
今回のタイトルに疑問を投げかける人は過程(手段)を重視する傾向が強いのかもしれない。
だが誤った、ときには危険な方向に患者や家族を誘導しようとする悪質な書籍や記事に対抗し、現状では最も可能性が高く多くの人が受けることができる『標準医療』に目を向けさせる目的を手段を理由として否定することはできないのではないだろうか?
一方で他の方法(タイトル)は無かったのかという点についてもスピード感に乏しい。
いかに早く手元に届け、誤った道に迷い込んでしまった人、これから迷い込みそうな人の視野を拡げ、選択をする機会を提供することを目的としている以上、このタイトルは批判するよりも前向きに受け止めたいという思いが強い。

つい先日の記事でも買いたが、ぼくの仕事は生命保険を販売する保険代理店の若手営業マンを育成することだ。
いくつかの記事にも書いたが、生命保険は病や死に対する準備であるため本能的に考えたがらない人は多い。
また、長年培ってきた “生命保険のイメージの悪さ” から保険募集人(いわゆる販売員)は煙たがられる。
しかし、病や死はいつ訪れるか分からない。
このマガジンの最初の記事にも買いたが、健康診断でなんの指摘もされたことがない33歳の父親がある朝キッチンのテーブルに突っ伏して亡くなっていることは現実にある。

だから生命保険は必要不可欠だというつもりはない。
ただ、自分が病を得たり、死んでしまったときに家族をどうしたいかを真剣に考える機会は持って欲しい。
結果として必要であれば生命保険を買えばよいだけであり、別の準備の方法だってある。

そしてその病と死と家族について考えるテーブルに着いてもらうために、ぼくらは知識とスキルを使う。
どのような話題から、どの順序で、どんな表情で、身振り手振りや声のトーンのメリハリをどうするか。
多くの人に「売るための話法だろ」と言われる。
それを完全に否定はできない。
だが、まずはテーブルに着いてもらわないと生命保険が必要なのか不要なのかを判断してもらうことすらできない。
テーブルに着いてもらうためには、あらゆる手段を講じる。
そして考える機会を持ってもらう。

「テクニックだ」 「営業トークだ」 と揶揄されようがかまわないと思う。
病や死について、家族の将来について漠然と考えている人は多いが、“こうしたい” “こうあってほしい” を明確に持っている人は極めて少ない。
何の準備もできていなかったり、不十分だったりしたときに最も影響を受けるのは、将来を担う子どもたちだ。
親が病に倒れたから、亡くなってしまったからという理由で狭まってしまう選択の幅をできる限り広げておいて欲しい。
だからぼくは躊躇なく知識やスキルを使う。
批判されることは承知のうえで、真剣に考える時間を創出するために手段よりも目的を優先させる。

真剣に考えたことのある親を持つ子どもたちはいずれ親になったときに同じように考えてくれる可能性は高いのではないかと期待しながら、いつか多くの人たちが自分の病と死と家族の将来について考える時間を当たり前のように持つことができる時代になってくれればよいと思っている。

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明日、ついに緊急事態宣言が出されるらしい。
専門家委員会からの説明記事が出ているのでぜひ目を通していただきたい。

専門家の方達が最善と考える対応をしてくれているので、できることを粛々とひとつひとつ。
一日でも早く事態が好転しますように。