見出し画像

「星読み」を探して聞きたいタイ王国の建国図について

インド系? タイの占星術はどこ由来か

 タイに来て一度はやってみたいと思いつつ、何となくためらってしまって実現していないのが「タイ占星術」による鑑定を受けることである。

 第一が言葉の問題。タイ語で我が人生の機微をとうとうと説明されても、おそらく全部は理解できない。英語や日本語で話せる人もいるかもしれないが、なかなか微に入り細を穿(うが)つ解説や、質問への受け答えができないのではないか、という不安があって躊躇する。

 そして、第二が「どの程度、星を読む技術があるのか」という点だ。日本でもそうだが、星読みの技術が「スゴイ!」という人には、滅多に会えないからである。

 以前もチラッと書いたが、筆者は実は、占星術をコッソリ本格的に研究し始めてからまもなく四半世紀になる「占星術オタク」なのである。ちなみに占いオタクではなく、あくまで星を読む技術を学ぶことにウットリとする、ちょっと怪しいタイプだ。
 鑑定を受けたい理由も、自分の将来を知りたいというよりは、「どんなシステムで、分析で星読みが成り立っているのか」という極めてマニアックな興味からくるのである。

 だが普通の占星術師はそういうことを聞かれたくない。だから同業者になって仲良くなるなど、つまり「向こう側」に行かないと技術的な話は聞けないような気がしている。

 星の動きに関係のあるタイの暦を考えると、そのベースは「インド占星術」に依拠しているようなのだ。占星術で使う黄道12星座(宮)の呼び方だが、インド占星術では牡羊座♈️(白羊宮)を「メーサー」といい、牡牛座♉️(金牛宮)を「プルッサパ」、双子座♊️(双児宮)を「ミトゥナ」と呼ぶ。

 タイ語で各月の名前をご存知の方はお気づきの通り、それぞれがタイ語での4月(メーサーヨン)、5月(プルッサパーコム)、6月(ミトゥナーヨン)の呼び名を構成しており、この一事だけでもインド占星術との関連の深さが分かる。(ちなみにタイ語では1カ月が30日の日ある月は末尾が「ヨン」、31日ある月は「コム」となり、28日(閏年は29日)の2月は「クンパーパン」と呼んで区別している)

 4月半ばに「ソンクラン」のタイ正月を祝うのも、黄道をめぐる太陽が魚座(双魚宮)から牡羊座に入る瞬間、つまり春分点に入る時点を占星術では「新年」とするところから来ている。

 では、タイ占星術に「プラシュナ」はあるのか。インド占星術のプラシュナとは、質問者の相談を占星術師が理解した時点でのホロスコープを基に、相談の行方がどうなるか、質問に対してイエス、ノーを判断する手法だ。

 これを西洋占星術では「ホラリー(Horary)」と呼び、やり方は一緒だ。これが「正しくできる」という占星術師はまだまだ世界的にも少ない。「今月の星占い」を書いている人や、マスコミに取り上げられる有名な占星術系の人々でも、ほとんどが知らないか、知っていても正しい判断を下せない人が多い。

 例えば筆者は以前、インターネットに星占いを書いているプロから「定期券をなくした。どこにある? 返ってくる?」という質問を受けたことがある。自分では判らないから、という。この時、ホロスコープが示す定期券の表示体は水星だった。水星は蠍座にあり、濡れてドロドロした状態や場所を示していた。

 家からさほど遠くない場所で、人通りの多いところ。また水星は(地球からの見かけの動きが)逆行しており、持ち主の手に戻ることを暗示していた。
 「駅で拾われ、尋ねれば戻る。でも、泥とか足跡で汚れているよ」と回答したら、その通りだった。雨の日の駅の雑踏で落としたのである。

 こうしたことがタイ占星術でもできるのか。また、タイでは護符のような凶事を除ける術が発達していると聞いたことがあり、これがインド系なのかチベット系なのかといった、まったく興味のない人にしたら「どーでもいいじゃん」というところが筆者は非常に気になるのである。

 また2009年7月22日には日本で皆既日蝕が見られるが、占星術でも日蝕や月蝕は国家・社会・経済の趨勢を占うのに極めて重要な天文イベントとされている。その日に何かが起こると言うことでなく、東の空(つまり朝方)に見られれば半年以内に、西の空(日没)なら1年半以内に、とかいった感じで、しばらくしてから関連する事象が起こるといわれる。

 これもタイ占星術ではどうなのか、天下国家の安寧に効く護符やまじないがあるのかどうかなど、激しく気になるのである。「しょーもな」とお思いでしょうが、どなたかそういう説明を英語などでしてくれる博識なタイ占星術師をご存じでしたら教えてください。

(※本稿は2009年6月ごろ、タイ・バンコクで発行されていた日本語フリーペーパーに隔月で寄稿していたエッセイの抜粋です。一部、言い回しなどを加筆・修正していますが、ほぼ当時のままです。現在、タイの著名な占星術師は西洋占星術が主流のようなので、今度は探してみたいと思います)

タイ王国(ラッタナコーシン朝/チャクリー朝)の建国図

 建国図とは、国家が成立した瞬間を基点としたホロスコープだ。いわば「国の出生図」である。

 現在のタイ王国はラーマ10世(ワチラロンコン国王)が国家元首であるが、その起源は1782年4月に遡る。バンコクを流れるチャオプラヤー川の西岸にあったトンブリー王朝で戦象に明け暮れるタークシン王を当時の首相だったチャオプラやー・チャクリー(後のラーマ1世)が打倒し、同じ川の東側にあったラッタナコーシン島に新たな国を造った。ゆえにラッタナコーシン王朝とかチャクリー王朝と呼ばれる。

 それが現在のタイ王国だ。タイ建国の瞬間は、1782年4月21日午前6時54分(現地時間)、場所は現在の王宮や「ワットプラケオ」という寺院があるラッタナコーシン島=バンコク中心部だ。



 タイの新聞『カオソット』の英語版には、こう書いてある。

1782年4月、4日4晩の間、王室の占星術師とラマティボディ新王の側近たちが、チャオプラヤー川に近い場所に集まった。前の君主から権力を掌握し、わずか数週間前に斬首したラーマティボディ王(後にラーマ1世として知られるようになる)は、自分の治世の神聖な基盤である都市の柱としてこの場所を選んだ。

タイ紙『カオソット』英語版の記事をDeepLで翻訳

 占星術師が絡んでいるだけに、「午前6時53分」という微妙な時間を細かく記録しているのだろう。占星術的にベストなタイミングを選定(イレクション)していたのが確実だ。

 1930年に発見された冥王星(♇)は当時の精製術師はまだ考慮していなかっただろうが、MC(天頂)にほぼ重なっているのは感慨深い。MC支配星の土星(♄)は9ハウスの山羊座♑️にあり、本質的に強力だ。王位(王朝)の安定性を考慮したことがうかがえる。太陽(☉)も牡牛座♉️に入ったばかりで、1ハウスにあり、MCを支配する土星とトライン(120°=△)なところにも意思を感じる。

 ASC(アセンダント)は牡牛座♉️で、支配星の金星(♀)は魚座♓️にあってエグザルテーション(高揚)していて品位が非常に良い。魚座♓️の支配星である木星(♃)も、魚座♓️と同じく♃の本来の星座(サイン)である射手座♐️にギリギリ残っていて本質的に強い状態だ。

 その木星に対して、双子座♊️29°にある天王星(♅)がオポジション(180°)の位置にある。天王星は1781年3月13日に英国の天文家ウィリアム・ハーシェルによって発見された。これはタイ建国の1年ほど前だが、当時のタイにいる占星術師がその天王星を知っていたかといえば、おそらくは知らなかっただろう。それでも、木星との180°の位置にあるのは興味深い。クーデター(突然の政変=♅)が多い、タイらしい配置かもしれない。

月は獅子座♌️の2°にあって、牡牛座♉️の0°に太陽と90°を形成した後に、牡羊座♈️の4°にある水星(☿)とトラインとなる。水星は2ハウスの双子座♊️と5ハウスの乙女座♍️を支配するから、財政や経済=反映を望んだのかもしれないが、ちょっと弱い感じではある。

そしてこの建国をめぐる儀式の途中で、ある事件が起こり、タイの王朝には「150年の呪い」がかけられたという。

(続く)

※扉の写真は、「JIM THOMPSON」というタイシルクのブランドが出しているタイ占星術の絵柄から。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?