新憲法私案

こんにち、日本国憲法が、純粋に日本人の手で創られたものではないことは周知のことであろう。しかし、この点を強調すると、いわゆる護憲派からは、誰が創ろうと「イイものだからイイ」と反論される。イイかワルイかは主観的なもので、イイ憲法だと押し付けられても困るのだが、たとえ万人がイイ憲法と認めても、日本国民によって創られたものではないという事実は否定できない。この事実に基づく以上、現行憲法をいくら改正した所で、外国の圧力により、わが国が反論の機会もろくに与えられぬまま、わが国の歴史や文化と離れた新憲法を飲みこまざるをえなかった国辱を消すことはできない。

大日本帝国憲法の起草にあたり、シュタインは伊藤博文に、こう説いたという。「一国の法律制度はその国の伝統に基づいたものでなければならず、もし他国の法律から借りるべきものがあるとしたら、まず、その法律の存在理由の源泉にまで遡り、そして、その沿革を考え、自国に適応できるかどうかを判断しなければならない」と。この精神は、日本国憲法には込められていない。

新憲法を制定することは法的には、現行憲法と断絶する可能性はある。大日本帝国憲法から現行憲法への変更も同様の問題を含むものであったが、制定手続きなど存在しないからだ。それでも、現行憲法とまったく同じ内容であっても、国民の手で憲法を制定したという「事実」を作らなければならない。そこで、現行憲法を基本に、新憲法を考えてみることにする。

*2004年に作成した私案をベースにしています。

前文

天皇を国の象徴に戴く我々日本国民は、国民の幸福と、国際の協和を実現するため、国民投票によって確定された憲法を、ここに制定する。

解説 前文が長文になると、文章の中に、具体的権利性があるのかないのかといった問題が生じてしまう。短文で抽象的にすることで、これを回避できる。改正案を発表している各団体は、前文にわが国の文化や歴史を盛り込もうとする傾向があるが、これは「天皇」と「和」に言及することで十分にしめすことができよう。主権の所在については、憲法を制定するのが日本国民である以上、日本国民に主権があることは自明なので、ことさら触れる必要はない。

第1章 天皇

1 皇位の世襲
 皇位は、世襲のものであって、皇室典範にしたがい、これを継承する。
2 天皇の任命権
 天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。
 天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所長官を任命する。
 天皇は、法律の定める序列にしたがい、元老院長を任命する。
3 天皇の国事行為
 天皇は、内閣の進言により、左の行為を営む。
 一 憲法改正、法律、政令および条約を公布すること。
 二 栄典を授与すること。
 三 恩赦を施与すること。
 四 外国の大使および公使を接受すること。
4 摂政および代行
 摂政を置くときは、皇室典範の定めるところによる。天皇は、法律の定めるところにより、その行為を委任することができる。

解説 第一章は、憲法の顔と言うか、国の在り方を示すものというから、ここに何を規定するかが重要。国民主権を規定する案もあるが、既述のとおり、憲法を制定したものが主権者であるから、繰り返す必要はない。そうなると、日本を象徴する天皇に関する規定をおくのがよい。

天皇の国事行為は、現行よりも削減した。そもそも天皇でなくてもよい行為を削除したほか、私案では、国会の解散をなくし、会期制をとらないので、それに関する国事行為も削除。

用語法として、伝統的に用いられている皇室典範、大臣、摂政はそのままとした(元老院は追加)。内閣の「助言と承認」という規定は、2つの行為と理解されるおそれがあるので、「進言」と一語にした。そもそも、天皇によって任命される総理大臣を含む内閣が、象徴に対して「承認する」とは不遜な用語法であった。「国事に関する行為」と「国政に関する権能」の異同が不明なことから、「国事行為」に統一した。

現行の皇室財産に関する規定は別の章へ移動する。その際、「皇室に財産を譲り渡し」と「皇室が、財産を譲り受け」が同じ意味の繰り返しになっているような文章は改める。現行の国事行為のうち「儀式を行うこと」は削除したが、天皇と儀式は一体であって、明文規定がなくとも、慣習法として認められる。天皇と歴史的に結びついている宗教的儀式は、「政教分離」の原則が適用されない。天皇の存在を認めているのだから、当然の例外になる。

現行のように皇室典範の制定者を規定する必要はない。そもそも「国会の議決した皇室典範」は実際には存在しない。現行皇室典範は、現行憲法と同時に施行されているから、憲法によって創設された国会が議決できるわけもなく、帝国議会によって制定されたものである。

第2章 戦争の放棄

現行第2章の戦争の放棄は、もはや自明のことなので(わが国は1928年の不戦条約を批准していたから、すでに帝国憲法時代も条約で侵略戦争は放棄していた)、独立の章を設ける必要はない。指揮権等の規定を内閣の章におくことで、軍隊を保有を表明する。「国防軍」、「防衛軍」という名称で軍隊の存在を明記すると「国防・防衛」以外に軍隊を転用、つまり国際的な警察活動(海賊対策など)に使用できない可能性があるので、あえて名称は付さない。また、「陸・海・空」などの編成を憲法に記載しないことで、弾力的な組織編成が行えるようにする。

第3章 国民の権利および義務

以下、条文化していないので、現行の問題点を指摘する。

10条 不要。憲法だから日本の国および国民を対象としているのは当然なので、国籍要件が法律事項であることもまた然り。

11-13条 すべての憲法上の権利が基本的人権だという誤解を生まないために、人権とそうでない憲法上の権利の区別をより明確にする。人権を「すべての人が有する、前国家的な権利」としながら、「弱者しか有しない、国家に救済を求める」社会権を、「この憲法が保障する基本的人権のうち社会権は...」という記述をよく見るが、まったく意味がわからない。人権は、すべて基本的なものなので「基本的人権」とする必要はない。「公共の福祉」による制限も明記、もちろんその内容は法律でしか決めようがないので、「公共の福祉」以外の名称でもかまわない。

14条 子供、妊婦、障害者および片親の家庭に対しては、平等の例外として、国が特別の配慮をすることが認められることを規定すべき。栄典の授与には、いかなる「政治的特権」もともなわないとする。

15条 公務員の選挙については、「国民による」普通選挙を保障する。国政に影響する地方政治がある以上、地方公共団体の選挙も国民に限定すべき。外国人であっても納税しているのだから選挙権を付与すべきという理屈は認められない。歴史的に、選挙権と納税とはすでに分離されている。また、これを認めるなら、納税していない国民の選挙権を剥奪する理屈も認めねばならない。

18条 不要。わが国が奴隷制度を有した事実はないから、実に不名誉な規定。この憲法が押し付けられたことが如実に表れている。この規定がなくとも、人権等が保障されているから問題はない。そもそも、人が人を支配することは認められていないから、現行規定が私人間に適用されうるという理屈にはくみしない。

21条 表現の自由の保障の範囲が広すぎる。言論・出版と集会・結社は別規定にすべき。また、現行規定のうち集会に関しては、「『平穏』に集会する権利」などと制限する必要がある。

24条 「夫婦が同等の権利を有する」と権利が衝突すると家庭を崩壊させることになりかねないから、夫婦は一体のもとして協力関係にあることを示すような規定にすべき。また国は、家庭に対して、特別の保護を与えることも認める。「両性」の語は、同姓婚を否定するから、同性婚を認める場合は、別の語を用いる必要がある。

29条 私有財産を公共のために用いるときには「相当な補償」のもとに行うこと。いわゆる「完全補償」といっても、その基準が何か不明確であるし、完全であるということは、国家と個人が対等関係におかれるわけで、国家の権力性をまったく否定することになってしまう。

第4章以下 統治機構

(続く)

※緊急事態条項の必要性は過去記事。

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