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ちょうど水の中で、のどの渇きを訴えるようなものである……自我の妄執

実家に帰省した足で『神勝寺  禅と庭のミュージアム』に主人と立ち寄りました。

この荘厳堂には白隠禅師の禅画・墨跡200点が所蔵されていて、順次架け替えて展示しているそうです。


8月の酷暑の中、神勝寺の庭最奥まで
道中の庭を楽しみながら荘厳堂に向かう

荘厳堂の門前の階段を上り、扉の前に立つ頃には
シャワーを浴びて出てきたばかりかと思うほどの汗

その状態では少々失礼と思い
汗をハンカチで拭い、扉の前に立つと

自動的に扉が開き
ヒンヤリとした空気と
黒地に白で描かれた「○(円相図)」が迎えてくれた。

「うん。確かに禅だ。」

と少々浅はかな言葉が頭を過ぎる。

エアコンの効いた涼しい空間で
ナレーションに耳を傾けながら
禅画や墨跡をボンヤリ眺める。

漫画のように可愛らく描かれた
釈迦や菩薩の像に
自然と親しみを感じてしまう。

衆生に教えを広め
衆生を救いたいと願った
白隠禅師の思いやりの証なのかも知れない。

夫婦で、この空間に満ちる
白隠禅師の思いをじっくり味わう。

穢れが祓われたのか、何かが整ったのか
スッキリとした気持ちで荘厳堂を後にした。

その後、勉強不足の私は
早速、白隠禅師ついて調べていると
「白隠禅師坐禅和讃」というものに出会いました。

これもすごく感銘を受けたので
冒頭だけですが紹介させて頂きますね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを不知(しらず)して 遠く求むるはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

とあります。

訳文には
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私たちは元来仏である。
仏と凡夫の違いは、水と氷のようなもので
氷が溶けたものが水であるように
自我の妄執が融ければ仏である。

私たちは自らが仏であることを知らず
それを遠くに求めている。
なんと儚はかないことか。

ちょうど水の中で
のどの渇きを訴えるようなもの
である。

裕福な家を迷い出て
困苦しているようなもの
である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

とありました。

この荘厳堂での時間は
束の間ではあったものの
妄執が解けた時間だったのかも知れません。

有り難い体験でした。


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