見出し画像

まあおエッセイ サザエと芥川

 作家を自称しながら、実は私は文学音痴である。圧倒的に小説を読むのが苦手なんである。その割に速読ですね、などと言う声が聞こえてきそうだな。でも本当だぞ、私は小説は上手に読めない。

 なぜかと言うに、私は独善的な読者だからだ。直感と自分の感受性だけでサッと読んでしまう。こういう読み方をしているから、私は自分の小説がどういう読み方をされようとかまわないというスタンスでいる。というか、実際のところ、私の想定した読みをしてくる方のほうが余程、希なのだ。あっ、違った。そもそも読んでるくれる方が希なんだった、そうだった!(本当にありがとうございます

 今朝、文豪の中でも私がもっとも苦手とする「あの御方」の作品など読んでいて思い出したので、ちょっとしたためておこうかな。私のエッセイ、なぜか伸びるんですよ……小説より全然、伸びてるんですよ……ほんとちょっと勘弁してもらえないもんかね?(ご好評本当にありがとうございます!

 芥川龍之介先生は、文豪の中でもたぶん飛び抜けて文豪である。

 そのことは最早、私が申し上げるまでもなく事実かと思う。当時から現在に至るまで、彼への評価が揺らいだためしがあったか。いや、ない!(よね?
 文章の巧さが個性より突き抜けている作家は珍しいもんなあ、ああ、羨ましい。でもその天賦の才能(たぶん)よりも目を引くのは絶対的な知性の方だと思う。

 恥を忍んで言おう!

 芥川先生は、頭がよすぎて、正直なにを言っているやら、とんと分からん!

 今朝は「藪の中」なんて読んでみたものの、あの小説構造も論理も理解不能。そもそもその次元の話をしていないと思う。何をどう考えているのか、まったく、分からん! そうなると安直に「作家はこの作品で何を言いたかったか五十字以内で簡潔に述べよ」とか言われたら泣き出すレベルだ。

 ところで。私の高校時代の現国教師は強烈な芥川信者だったんだ。そのうえ、太宰ファンというけったいな趣味の女教師だ。女教師だからってミニスカの似合う巨乳メガネのお姉さんなんて想像してはいけないぞ。当時既に、わりと横に伸びた感じのおばさんだった。
 サザエさんとカエルを足してカネゴンで割ったような感じだったから、ここではサザエと仮称したい。

 サザエは生徒からめっぽう嫌われていて(評点が全部気分だからな)、それはサザエもよく知っていて、とにかく居眠りに手厳しい女だった。そして私は居眠り常習犯ときている。

 結果は、わかるな?

 そう。私はサザエの大のお気に入りであった!

 今「はああああ?」って声がここまで聞こえたぞ。ちゃんと理由があるから聞いてくれ。私がサザエ好みの絶世の美少年だったというオチではないんだ、残念ながら。
 サザエは居眠りと私語が大嫌いで、寝ているヤツは片っ端から立たせて質問を食らわせるという手法を使う。私語は立たせて、みんなの前で何の話してたか発表な。小学生みたいだろ、発想が。そういうヤツなんだよ。はっきり言って教師って小学校の学級委員くらい発想が貧困だと思うよ。例外は認めますけど(逆に例外がいてくれないと困るよ)。

 まあほぼ毎回、立たされていた私だが(つうかもう一コマの中で基本的に複数回立たされてた。とりあえずサザエは私に目を光らせている)、わりと早いうちに不思議なことが起きたんだ。

 レモン哀歌だったかなあ。それとも、何か別の……とにかく光太郎先生の「智恵子抄」関連だったのは間違いない。プリントかなんか配って、感想を述べよとかなんとかホザきやがるもんだから私はべらべらと喋ったんだよ。思いつくまま、滔々とね。ひとしきり私の演説が終わったら、サザエ、どうしたと思う。

 拍手したんだよ!

「みなさん、あまおうさんの今の言葉をききましたか。あたしはもう感動しました。この瑞々しい感性、もう教師生活ン十年の中これほどどうたらこうたらうんぬんかんぬん」

 みんな、ぽかーーーん、ですよ。別にそんないいこと言ってないから! なんか適当なこと言ってるだけだから! レモン哀歌の感想なんてみんな似たり寄ったりだし、そもそも国語の授業で個人的な感想などきいたり述べたりすることになんらの意味も存在してないから!

 しかしまあ、目の敵の居眠り高校生からなぜか気に入った感想が出たらしくて、ご満悦で。もうそっから先はいつも何を言っても書いても大絶賛しかされなくて(だからそういうヤツなんだよ)、私の答案、自由記述は花丸ちゃんのA+++(サザエ基準)とかで評価がインフレしてたから。

 優等生の女の子に言われたよ。「サザエの評価は腐ってる。どうしてその記述が花丸ちゃん(以下略)で私がB評価なんだ」と。

人柄です!

 とか答えてますます蔑まれたんだっけな(ご褒美です!)。

 そんなサザエのことだから、芥川先生の小説大好きらしいけど、きっとひとつも読めてなかったんだろうと思うんだ。「羅生門」は人間のみにくさを、「杜子春」は親子の情愛を、「蜘蛛の糸」は人間の心のあさましさを、描いた作品だなんて言うんだけど、そうなんですか?

 芥川先生ってなんとなくだけど、遥か高みから見下しながら何かを言っているように感じるよ。その見下す対象は私みたいな愚かなる読者だけではないようにも。ひょっとしたら、先生ご自身を? そんな風に「感じる」ことがあるよ。どこがどうとは言えないんだけれど。

 私はこの作品群を理解できる知性も知識も素養もないから、本当に分からないんだけど、とにかく「人間のみにくさ」「あさましさ」なんてそういう「分かりやすい」ものではないように、思われてならない。ではなんなのか、と訊かれても、まったく分からない
 けれど何か「精密な作為」のようなものが「研ぎ澄ませた文章」に巧く隠されている、ような心地がする。 

 だから私は、芥川先生は理解できない。理解するのに、滅茶苦茶な質と量との勉強が要る。

 サザエは好きだと公言するくらいだから芥川先生は読んでいるだろう。しかし芥川先生が蓄積した知性の源(海外文学など)に触れたとはとてもでないが信じられない。たとえ触れても理解しているわけがない。高校生時分の私から見てもかわいそうな感じだったから。

 私の芥川先生研究ノートは、花丸ちゃんのA+++で卒業している。

 もう恥も何もなくしてしまった。ここはひとつ、ジーザスよりもはっきり言っておこう。私は、文学音痴の自称作家だ。
 そんな不憫系自称作家の描いた渾身の力作(笑)こちら! なぜだか知らんが、好評を博しているみたいですよ?
 本気で流行り出す前に、チェックだけでもしておきますかね……☆

 ツイッターのフォロワー様もどんどん募集中! 基本的にフォローバックいたしますよ! ここで言ってもほとんど来ないけど、言わないよりマシだよね。きっとたぶん絶対に、そう!

 最近、読んで貰えるみたいだから「スキ」に私からのご神託つけました。おみくじ気分で押していってね。え? ご神託でなくてご託の間違い……ははは、まあ押してみたら分かるよ、きっと!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?