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泣き叫ぶだけでいい。

人が成長する上で泣き叫ぶことは絶対に必要だと思っている。
今の人はいろんな情報も持っていて賢いから、ネガティブはいけないとか、感謝して愛でなきゃいけないとか、お行儀良くいようとするが、人間の成長はそんなに甘いもんじゃない。
優等生のままでは出会えない いのちの領域がある。
頭でコントロールできるほど、いのちは甘くない。そんな甘いもんじゃない。

〝この人、ただ泣き叫べればもっと抜けれるのにな。〟と思える人がたくさんいる。
皆、頭は賢いし、人はいつだってスマートに優等生でいたいものだ。
だけど、いのちと本気で向き合いたいならば、魂の成長を本気で望むならば、本気で幸せを望むなら、泣き叫ぶことだ。泣き叫ぶしかない。泣き叫ぶだけでいい。
今の人には、泣き叫びが圧倒的に足りない。

ケモノになって叫ぶと抜けるんだよ。
自分のアイデンティティーやプライドやらを脇へ寄せ、得体の知れない人型でないものになって泣き叫ぶと圧倒的に抜けた先へいける。

私が人より誇れるところを一つ上げるとしたら、圧倒的に泣き叫んできたことだ。
それだけだ。
泣きわめいてきたから今の軽さがあり、叫び吠えてきたから、今 愛でいられる。
そしていつだって、またケモノのように泣き叫ぶ準備はある。

私は女なので、男のことは分からないが、あなたが女ならば、尚更泣き叫ぶ必要があると思ったらいい。
女のいのちは私たちの頭でコントロールできる代物ではない。
自分を過小評価してはいけない。
そんなちっぽけなものではない。
女のいのちはケモノであり宇宙そのものだ。

泣き叫ぶ時、誰かが隣で見守ってくれたらそれは最高だ。あなたをなだめることも泣きやますこともせずに、ただ共にいてくれるだけ。

私もニキも、それぞれ沢山のワークに参加しては散々泣き叫んできたし、泣き叫ぶ人を見てきたし、自分たちのワークで泣き叫ぶ参加者と共にいた。
人間は泣き叫ぶ必要があることを嫌というほど知っている。

私が真剣に付き合ってきた男性は四人いて、
最初の夫を一郎さんとしたなら、二郎さん三郎さんを経て、今の夫の四郎さん(ニキ)となる。
一郎さんと二郎さんまでは、私もまだまだ優等生の良い子でいたので、いのちの本性を出さなかったし、出し方もよく分からなかった。
幸い、三郎さんは女のいのちの本性の凄まじさを知っている人だった。
彼はとことん泣き叫ぶ私と付き合ってくれた。
マットレスを彼が盾のように抱え「京子、殴っていいよ!」と自らサンドバッグになってくれ、とことん殴らせてくれた。
私の中にあった痛み、怒りを込めて殴った。
泣き叫びながらいつまでも殴った。
そうやって共にいてくれる人が私にはいたし、誰かがそうしたけば、泣いて叫べ!もっと叫んでいいよ!と私は共にいるだろう。

泣いて叫んだ分、人は抜けた先へ行ける。
泣いて叫んだ分、人は軽くなれる。愛になれる。

今日は、そんなお話。

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