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【エッセー小説】父とヨーグルト、昭和、平成そして、令和

「これが、本当のヨーグルトだぞ」                  父が、ヨーグルトを買ってきてくれた。口にいれると、トロリとしている。                                「お父さん。これすっごく酸っぱいよ。」               子供だった私は、口をとがらしながら、ムッとして、白い砂糖をたくさんかけて食べた記憶がある。                      1970年代の昭和の時代。当時、「ヨーグルト」といえば、寒天のように固められていた。子供が食べやすいように、かなり甘く味がついていた。  「この酸っぱいのが体にいいんだ。本当に体にいいヨーグルト菌が使われているからな。」  

あまりにも酸っぱく、渋い顔をする小さな女の子。ちゃぶ台の前にあぐらをかいて、ステテコと白いランニングシャツに意気揚々とした赤ら顔の父親。父は、ヨーロッパの優れた食文化や食の伝統、歴史の話をするのだった。                              

昭和の「文化住宅」いわれた六畳一間の小さな木造アパートで、父は小さな娘にヨーグルトの効用をえんえんと蘊蓄(うんちく)を垂れる。その様子はとても滑稽だった。ちゃぶ台がようやく置けるほどの小さな台所。キッチンには流しと、ガスはようやく通ったものの、これまた小さなガスコンロがちょこんと鎮座していた。ちゃぶ台の上には、小さな裸電球が垂れ下がっているだけだった。水洗トイレは普及しておらず、汲み取り式の便所だった。お風呂はついていたけれど、よく断水するので、町の銭湯にときどきいった。周りは田んぼと畑だったので、下肥(しもごえ)の臭いがする。下水道がまだできる前だったので、裏の小川はあっという間にドブ川になり、初夏ともなるとドブの臭いが鼻をついた。蝿はブンブンと裸電球の周りを飛び回り、蝿取り紙には、蝿の死骸がビッシリついていた。ミンミン蝉がそろそろと鳴き始める頃だった。

そんな騒音と臭気の漂う「文化住宅」で、最初に食べた本格的プレーンヨーグルトが明治のヨーグルトだった。真っ白で、とろりとして、少し酸っぱいヨーロッパの味だった。まだ、見たことも、行ったこともないヨーロッパの味だった。父はブルガリアやヨーロッパの人が健康で長生きなのは、ヨーグルトのような自然の体によい発酵菌を毎日食べているからだという。他にチーズやワイン、アルプスや自然の山々にヨーロッパの人達が生活していて、とても健康的だという。        

父は食品化学の研究職員だった。新しい研究所ができて、この小さな町に引っ越してきた。「町」といっても、田んぼと畑と竹藪でばかり。「村」といった方がいい。当時、駅は木造の駅舎だった。そこから見えるのは、白い校舎。後に私が通うことになる高校。もう少し奥に、楠や樫の木の森のそばには小さな教会があった。教会の敷地内に、私が通っていた幼稚園があった。そして、もう少し奥に当時私が通っていた木造2階建ての小学校。周囲一帯には田んぼと畑が広がっていた。くねくねと曲がった田んぼの細いあぜ道を少し広げたような道しかない田舎に、全く不釣り合いなピカピカの真新しい太い道路が一本、スッととおっていた。それは、1970年に開催された日本万国博覧会、いわゆる大阪万博のために、突貫工事で、建設された万博道路だった。

「人類の進歩と調和」。そのテーマと大号令で、昭和の人間は猛烈に邁進していたようだ。当時は、今から考えられないくらい大気汚染の問題があり、光化学スモッグ警報がよく鳴っていた。ぜんそくの子供も多かった。うっすらとした黄土色と灰色の雲と空。公害問題と健康を害していた問題がようやく人々に認識されつつあった昭和の時代。ヨーグルトや健康に良いものが、ちょうど私達が求めているものだった。

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それから50年近くたった。ヨーグルトの効用とヨーロッパの食文化を教えてくれたり、食べさせてくれた父は、すでに鬼籍に入っている。昭和から平成。そして、今年は令和元年になる。

私は、今オランダに住んでいる。オランダに住んでいると、いろんな国のヨーグルトが手に入る。ヨーロッパにはブルガリアだけではなく、いろんな国のヨーグルトがある。昨日食べたのは、トルコタイプのヨーグルトだ。酸っぱさはほどほど。ややもっちりしている。砂糖やハチミツをかけて、デザートとして、食べる。さっぱりしておいしい。今日食べたのは、ギリシアのヨーグルト。ギリシアのヨーグルトも、ジャムや砂糖、ハチミツをかけて食べる。トルコやギリシアでは、ヨーグルトを甘い食後のデザートだけではなく、ディップソースやドレッシングとしても使う。「ツァジキ(ザジキ)」が美味しい。ヨーグルトにキュウリ、ニンニク、塩、オリーブ・オイル、コショウなど、スパイスを加え、レモン果汁やパセリ、ミントを加えて、冷たい前菜、またはスブラキやギュロスとピタという平べったいパンのディップソースとしてもおいしい。

インドネシアは、長い間オランダの植民地であったので、インドネシア料理がオランダでも人気だ。インドネシア料理は辛い。辛い料理の後に、ヨーグルトを水で割ったヨーグルトドリンクを飲むと、口の中がさっぱりする。オランダの植民地だったスリナムやスリランカからきたインド系移民も多いので、このヨーグルトドリンクは辛くて、こってりしたインド料理の食後によくあう。

オランダで人気のデザートは、「クワルクタルト」だ。あっさりした白いレアチーズケーキのようなお菓子だ。「クワルク」というソフトチーズでつくる。「クワルク」は日本で高いので、水を切ったヨーグルトで代用できる。水を切ったヨーグルトにゼラチンをいれ、砂糖やレモンの果汁を入れて冷蔵庫で冷やして固める。

私がよく子供達のために作るのは、カルボナーラパスタのホワイトソース。またはラザーニャ用のホワイトソースにヨーグルトをよく使う。子供達も私と同様、軽い乳糖不耐症だ。冷たい牛乳を飲みすぎるとお腹がゴロゴロする。深刻ではないが、こってりした牛乳からできた生クリームや乳脂肪の高い食べ物を食べると、かなり胃にもたれる。ヨーグルトを使ったホワイトソースの作り方はいたって簡単。ベーコンとポロネギ(西洋ネギ。日本では高いので、青ネギや万能ネギでもOK)を炒めて、生クリームかクリームファーシェを加える。そして、好みでヨーグルトを加える。その後、塩・胡椒やナツメグとローリエで味を調えてできあがり。バターで香りを少しつけてもいい。バターと生クリームだけの、こってりしたカルボナーラソースやホワイトソースよりさっぱりあっさり。カロリーもかなり低い。牛乳や生クリームが苦手な人にもおいしい。カロリー低めで中高年やカロリーを控えたい人にもおすすめのホワイトソースだ。

オランダの牛肉は、固い。とてもとても固いのだ。オランダのポルダー(干拓地)でノビノビと育てられるからなのか、輸出用の牛肉は柔らかく、オランダ国内消費用の牛肉が固いのか、あの固い肉の塊をどうやって、調理するのか。オランダのスーパーで特売品の、あの大きな牛肉の塊を見ても、どうやってあの固い牛肉を調理すればよいのか、頭を抱えてしまう。食べ盛りの子供達や働き盛りの夫は、やっぱり牛肉が好きだ。そんなときも、ヨーグルト。ヨーグルトを食べた後、容器に少し残ったヨーグルトに、牛肉を少し漬けて焼くと、驚くほど柔らかくなる。オランダは鶏肉が高いのだけれど、チキンも丸ごとヨーグルトを塗って、塩・胡椒をした後、焼いたり、茹でたり、炒めたりすると、しっとりと柔らかくておいしい。

ヨーロッパにきて、個人的によくつくるのは、ヨーグルトで作る一夜漬けの漬物。ヨーグルトを食べ終わった後、容器に少し残ったヨーグルトで作れる。キュウリやナス、ズッキーニ、キャベツなど、野菜はなんでもOK。スライスして、軽く塩をして揉んで冷蔵庫の中にいれれば、一夜漬けの漬物がつくれる。お好みで少し醤油を垂らしたり、レモンの皮のスライスをいれたりする。ヨーグルトで作った漬物を食べると、本当にホッとする。どんなにヨーロッパ在住が長くても、私はやっぱり日本の田舎からきた、昭和生まれの日本人のおばちゃんなんだと痛感する。

夫はかつて朝食に、目玉焼き2、3個にベーコン、ジャガイモ、チーズというイングリッシュブレックファーストが好きだった。でも、夫も最近、加齢のせいか、朝からヨーグルトを食べるようになった。ミューズリーにバナナやいちご、干しブドウを加えて、ヨーグルトをたっぷりと加える。ヨーグルトを朝食に食べるようになって、私も朝から調理をしなくてすみ、夫も体調がよく、体重が増えすぎることもなくなった。

今日も、明日も、いつも食卓にヨーグルトを。

【終】






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