見出し画像

【エッセイ小説】職業倫理って、何だろう?

「俺には、ビールを一杯。せっかくだから、日本の生ビールで」
それが、私の上司になるA氏と、初めて面談したときの最初のセリフだった。
A氏はイギリス人だ。ロンドンから、たった今、東京に着いたばかりだという。会社のそばにある、ホテルのバーで、他の同僚達とビールをおごってくれた。そのホテルのバーは東京の老舗の超高級ホテルだ。格調が高い。
社会人1年目の私の給料は少ない。幽霊がでるといういわくつきの、でも東京では破格の家賃の格安アパートに住んでいた。家賃は安いが、水道代、電気代を差し引くと、手取りはわずかだ。
外食はおろか、ホテルで食事や、超高級バーでワインやビールをちょっと一杯、という余裕は、全くなかった。
私が躊躇していると、A氏はにっこり微笑んでいった。
「君もビール頼んだら?お金がない?君は心配しなくていい。今日の食事代は、会社から予算がでている」                    「いったことは、約束は必ず守る」と、A氏はきっぱりいった。
なんとなく、情けないけれど、私もありがたくビールを一杯注文することにした。
「Thank you, Sir(ありがとうございます)」
「僕じゃなくって、会社に礼をいわなきゃね」とおどけて、日本人がするように、深々と会社の方角に向かって、A氏は、おじきをした。                               「こういうときこそ、Managing Director(マネージングダイレクター、上級管理職、または取締役)っていうのは、会社に存在するのさ・・・」
「仕事帰りに、みんなと一杯やるためにね」
A氏は、おどけながら、左目を軽くウィンクした。

A氏は、かなりおちゃめなおじさんのようだった。年齢は、30歳台半ばだときいていた。短くクルーカットにしたブロンドの髪に、てっぺんは、やや薄くなっていた。そして、白髪がかなりまじっていた。目はクリスタルブルーだ。目の周りはずっとシワが深く、スポーツをしているせいか、顔が陽に焼けて、赤ら顔だ。年齢よりもずっとふけてみえた。

高級バーで、日本の生ビールを片手に、A氏が上品なイギリス英語でいろんな質問を私に投げかけてきた。
「君にとって、『vocational ethics』ってなんだ?」
「『vocational ethics』って日本語では、『職業倫理』ですね。マックス・ウェーバーの職業倫理によれば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。かれの主張によれば、プロテスタントの禁欲や勤労が、資本主義と整合性があり、資本主義が成立しました。」
私は、得意げに説明をし、大学で学んだマックス・ウェーバーの職業倫理の要約を、そらんじてみせた。                     A氏は、ふっと鼻で笑って、クビを横に2、3回ふった。
「君は、どうやら日本の大学でも真面目に勉強していたようだね。でも、ちがうんだ。僕が聞きたいのはマックス・ウェーバーの要約じゃない。『君』自身の仕事をするときの『倫理』、『ポリシー』、『Principal』はなんだ」
私はちょっと考えた。「Principal(プリンシパル)」とは、原理原則だ。イギリス人は、この「Principal(プリンシパル)」が大好きだ。日本でいう道徳規範のように、重んじ、またイギリス人の行動規範にもなっている。  私は、すこし間をおいて、ゆっくり息を吸っていった。
「お金。お金です。私は、お金のために働いています」
「俺もそうだ。妻や3人の娘を養わなければいけないからね。じゃあ、金以外にはなんだ」A氏は、いたずらっこのように眉をへの字にまげていった。
「お金以外ですか・・・私・・そんなこと、考えたことがありません。お金のために、働いてはだめですか?みんなお金のために働いていますよ」
「働くことは、『お金のため』だけじゃだめなんだよ。誰も今まで、君にそんなことをきいたことがないのか?」とA氏。
「今まで誰にも聞かれたことはありません」
「大学の先生にも聞かれたことはありません」と私はきっぱり言い放った。
私は、めんどくさいなという顔を、思いっきりしていたに違いない。
A氏は困ったな、という表情をした。
「それじゃだめだよ。答えはないけど、君は、自分なりの『vocational ethics』、自分の『Principal』をもった方がいい」

「A氏の『vocational ethics』は、なんでしょうか?」と私は、意地悪そうな顔で聞いていたかもしれない。                   「俺か?俺の『vocational ethics』は、『信用』だ。法律も変わるし、ルールも変わる。常識すら変わる。だが、人と人との『信用』が重要であることには、変わらない」とA氏は、チビチビとビールを飲みながらいった。

(『vocational ethics』『ボケーショナルエシックス』『職業倫理』か。やれやれ。)                             (大学でも、マックス・ウェーバーの職業倫理の要約をいえば、それでOKだったのに)
(なんだか、めんどくさい人が上司になった)
それが、当時の私の正直な気持ちだった。

その年の11月の査定のときだ。
その年は、平成不況のまっただ中だった。
リストラも多くあった。
ボーナスがなく、減給・減俸で退職する人も大勢いた。

「ボーナスがたったこれだけ・・」
正直、私もがっかりしてしまった。

「どうも、不満な顔だな」とA氏はニヤついた顔で、会議室で査定をしながら、話している。
「会議室の灰皿を投げてみては、どうだ?」と、ヘンなことをいうA氏だった。
「そうそう、君は知らないかもしれないが、この会社の会議室の灰皿は、つくりつけになっているんだ。それは、ボーナスが少なくて、カッとなった奴が、灰皿つかんで、投げつけられないようになっているんだよ。この会社の人間は、短気だからね。灰皿を投げる輩が、きっと多いんだろうな」
A氏は、ひどくゆかいそうにいった。                「ためしに、そこの灰皿をつかんでごらん」A氏はなおもニヤニヤしている。つかんでみると、本当に灰皿は、テーブルにしっかり、釘付けになっていた。
「そこの、会議室のテーブルをひっくり返してはどうかな」      「この会社の会議室のテーブルは、ビスで打ち付けて、つくりつけになっているんだよ」A氏は、異常なほど、くすくす笑っている。        「ためしに、テーブルをひっくり返してごらん」と、A氏は、どういうわけだか、私をそそのかすのがうまい。私は、ためしにテーブルをひっくり返してやろうと、やってみたが、テーブルの脚、全てにビスが打ち付けてあった!まったく、持ち上がらない!

「じゃあ、椅子を投げてみるか?」とA氏は、なおも私をそそのかした。 私は、かなり力持ちだが、椅子も重くて、持ち上がらない。                        

なんて、会社なんだ!
この会社は、灰皿がつくりつけ。テーブルも椅子もビスで打ち付けてある。話には、きいたけれど、本当だったんだ。
「次はなにをするんだ?ドアを蹴とばすつもりか?」とA氏は、子供のようにゲラゲラと笑い転げている。
私はすっかり疲れ果てて、軽くため息をついて、会議室から立ち去ろうとした。

そのとき、「そのドアを蹴飛ばしたら、君のこの会社でのビジネスパーソンとしての、キャリアは、終わりだぞ」とA氏がめずらしく、大きな声をだした。
「それで、君は本当にいいのか!」
「辞めるのは、いつでもできるぞ!」                「君はまだ、若い!」                       「君はまだ、まだチャンスがたくさんあるんだぞ!」
「自分の未来やチャンスを、自分で終わらせて、それで君は本当にいいのか!」

A氏のことばに、私ははっと気が付いた。そして、ドアをしめて、うらめしそうにA氏を振り返って見た。そして、うつむきながら、会議室の真ん中に、とぼとぼとA氏のところにもどった。

ふてくされた私はまるで、雨の中でずぶぬれになっている、迷子の子猫のようだ。私は、とてもみじめな気持ちになった。
ところが、A氏は、なぜだかゆかいでうれしそうで、手をたたいていった。
「俺なんて、ボーナスないだぞ。もっとも、俺のクビはどうやらなんとかつながったようだけどな」
A氏は、まだげらげら笑いながら、右手で自分のクビを押さえて、舌をだして、おどけてみせた。

「営業の連中が、あの連中がだぞ。どうゆうわけだか、おまにだけはボーナスを渡してやれといっていたんだ」
「少なくとも、チームのみんなは君の働きぶりを評価しているっていうことだよ」

(みんなが私の仕事を評価している・・・)
私はうれしいような、かなしいような、みじめなような、たくさんの感情が心の中に湧いて出てきた。私は、口をぎゅっと一文字にしめ、いいたいことは山ほどあったが、ぐっとこらえた。A氏は、だだをこねた小さな女の子のような私を、一生懸命、励ましているようだった。
それでも、私の気は全く晴れなかった。

その年はさんざんな業績で、ボーナスも昇給もなく、同僚達で、近くのアイリッシュパブに飲みいった。
「ビールはやっぱり、ギネスだな」                  「いや、キルケニーだ」                      「いやいや、スタウトビールだよ」
「アイルランドでは、ギネスかもしれないが、日本ではやっぱり日本のビールさ」
ワインソムリエならぬ、ビールソムリエのように、同僚達は、いろんなビールをああだ、こうだと蘊蓄を垂れながら、チビチビとビールを飲んでいる。。

「ビールを一杯。キリンがいいな」
「Thank you, Sir」
「君はいつも、『Sir』をつけると、僕は『Sir』じゃないからね」
「俺はリバプール出身だ。リバプールって知ている?」
あ、あのリバプール。ビートルズの出身地ですよね。
今、リバプール空港は、「ジョンレノン空港」になっている。

「俺の父は、貧しい炭鉱夫だった。サッチャー政権のおかげで、俺みたいな貧しい労働者のせがれも、大学に行くことができたってわけさ」

A氏は珍しく、自分の生い立ちや、今までの彼の人生の話をし始めた。
琥珀色のビールは、輝く黄金のようだ。                乾いた喉を潤す。そして、乾いた心も潤すようだ。しかし、ほろ苦く、どこか、悲しい。でも、ほっとする何かがある。

*******************************************************************

それから、30年以上たった。
私の勤めていいた会社は、その後倒産し、清算された。
今は別の会社に勤めている。
平成不況の間にいろいろあった。
信じていた人間に騙されたこともあった。
空気を吐くように、嘘をつく人間に、何人もであった。
約束を絶対守らない、人間とも一緒に働いた。

仕事で悩んだときは、A氏にいわれたことをよく思い出す。      「君にとって、『vocational ethics(職業倫理)』とはなんだ?」     まだまだ、私は、この問いに明快な、答えが出せずにいる。あれから、様々な法律ができ、様々な会社が設立され、様々な会社がつぶれていった。 やはり、「信用」だろうか。

あとは、子供達や孫達に聞かれたときに、胸をはっていえること。振り返ってみれば、私の仕事の仕方は、当時はとても稚拙だったかもしれない。今、思えば、もっとよい仕事ができたかもしれない。でも、当時の私には、お金も時間も、かなり限られていた。限られた時間とコストで精一杯、最善を尽くした。ベストな仕事をした。子供達や孫達に、仕事のことを聞かれたら、胸はって、答えられるようにしてきた・・・

そうやってなんとかこ、何とかやってこれたのも、A氏のおかげだろか。                

A氏に感謝をこめて・・・

*******(終わり)*****************************



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?