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なりたい自分探し♬

こんにちは!

このブログにお越しいただきありがとうございます♪

結婚してから20年がたち、義理の両親と同居しつついろいろ学び、さらに心理学やコーチングを学んできて、昨日、義理の母が精神科の病棟に入院することになりました。

時折、人に手をあげるようになってしまい、ある施設から受け入れを断られてしまい、家族での介護だけで何とかするにはちょっと難しい状態が出てきました。

認知症が進み、言葉が出てこない事、排泄がうまくできない事と、おむつをしているけれど、排泄物を触ってその手でベッドや他のところを触ってしまうので、洗濯や掃除をしないといけない状態が続く。

その繰り返しで対応してくれている義姉さんも夫も悩みつつの精神科への入院を決断したようです。悲しい気持ちと介護から解放されるほっとした気持ちの両方だと思います。

私は、義母との関係でやり残したことがないかずっと考えていて、気になっていたことが一つだけあったのだけど、なかなか勇気が無くて言えなかった事がありました。義母の口癖で「なんで私だけこんな目に合わないといけないの!」という言葉があったのですが、それってあなたが乗り越えられるはずだから試練が来ているはずなのに、乗り越えようとしないで逃げている。。。と思っていたんです。

だから、勇気を出して言ってみました。

「お義母さん、自分の人生には自分で責任を持たないといけないんですよ!」

私がいうことではないとずっと思ってきたのですが、でも私とのかかわりで先に私が気づいたのだったら、先に気づいた人が伝えるべきだ!と思って、かなり勇気を出して伝えてみました。

1回だとわからないかもしれないから、次の日もまた伝えてみました。そして2回伝えたら嫌だったようで、私を避けるような態度をとった時がありました。「やっぱり言われたことが嫌だったのかな?」

認知症の人は言われた言葉そのものは覚えていないけれど、そこで受けた感情は残ったりするんですよね。だから私の顔は覚えていないけど、私との間に「嫌な感情がある」と思ったのかもしれません。

そんなことがあってから、義母と接したとき、もう一度「人生の責任は自分」ということを伝えた方がいいかな?と思ったのですが、「もう大丈夫」と思えたので、その時に私の役割は終わったな、と思いました。

そして義母は介護保険で最大11か月入院が可能だそうです。このコロナの折、精神科だと普段から面会は制限されているようですが、コロナ渦で面会はできず、3か月後に様子を聞きに行き、そこで担当医と方針を考えることになっているそうです。

ここからは嫁はもう必要ないように思いました。義姉さんと夫が判断してくれればいいのだな、と。

だから、これからは子供のことを見ながら、私自身がやっていきたいことにどんどん時間を割いていいんだということを改めて実感しています。義母がいないので、今まで義母に遠慮してカタカタ振動があると心地悪いだろうと思っていた電子ピアノの練習も、自分が弾きたいときにひきたいだけひいてみました。

やりたいときにやりたいことをやりたいだけやる!

結構独身時代は当たり前に出来ていたことが、結婚後は全くできなかったように感じます。でも今ここにきて急に「やりたいことをやりたいだけやっていいんだよ」と言われると戸惑っている自分がいることも事実。

だから、やりたいこと、どんどんやっていきたいと思っています。英語の勉強も、あとは実は電子書籍の編集の勉強もして、さらなる電子書籍出版の楽しみを伝えられるようにしていきたいとか、「自由にやっていいんだ!」という状態の中で喜びと戸惑いを整理しながら楽しんでいきたいと思っています。

今日は久々にピアノを弾いてみましたが、なかなか指がついていかなくて、ちゃんと練習をしたいですね。あとはそのうちストリートピアノを弾きに行こう!なんて思ったりしています。

なんだか楽しいですね。ワクワクの未来に向かって時間を大切に使っていきたいな~♪と思っています!

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