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兄ちゃんには勝てない

まだ薄暗い朝5時、長いロープを首につけた牛と山羊たちを連れて15分ほど歩き、丘の上まで登る。ロープを杭にしっかりと結ぶ。

「学校が終わったら迎えに来るから、たくさん草食べて待ってろな。」

朝飯は、じゃがいもと玉ねぎを、ニンニクとターメリックで炒めてロティで包んだものや、茹でたキャッサバ、それとチャイを母さんが用意してくれる。

学校までは、6才の俺の足で1時間半。山をふたつ越えて、ひたすら歩く。10歳を過ぎてからは、馬に乗って通っていた。

弁当は…毎日食べる物があるとは限らないけど、ブレッドフルーツの日はラッキー。朝飯の残りやトウモロコシを持っていく。バナナやマンゴーは裏山で手に入る。

もし何も食べる物がなかったら、誰かに分けてもらえばいい。俺の弁当を友達に分けることもある。何度も言うけど、みんないつも食べる物があるとは限らないからね。分け合うのは当たり前。

鉛筆とノートは、近所の家で草刈りとココナッツの殻剥きを頼まれた時に貰ったお金で買った。誰にも盗られないように気をつけている。

学校が終わると、また山をふたつ越えて家に帰る。まずは兄ちゃんと井戸で水汲み。20リットルの容器いっぱいに入った水を肩に乗せて三往復。それから山羊たちを迎えに行く。

丘に登ると、ロープが体に巻きついて動けなくなっているやつが必ずいる。何度言っても同じなんだ。「まったくもう!」とは思うけど、まとわりついてきて可愛いんだ。

牛や山羊たちを連れて帰ってきてからも、やらなきゃならないことはたくさんある。

薪割りや、サトウキビの刈り入れ、ココナッツの殻剥き、畑の水撒き、家畜の世話。夕飯前にはクタクタだ。

サトウキビの表面は小さな棘だらけだ。刈り入れする度に、指にはたくさん棘が刺さっているけど、そんなの慣れっこだ。

夕飯は、母さんが作る魚のカレーや豆のスープ。マングローブの根元で捕まえたヤシガニが手に入れば、絶品のヤシガニカレーが食べられる。

食事の片付けを手伝った後は、寝る前に外の小川で水浴びをする。お湯なんてないよ。ガスだって水道だって電気だってないんだ。

・・・

これが俺の毎日だった。

中学に上がる頃には、心底嫌気がさしていた。

畑仕事や薪割りで手はマメだらけ。朝起きると、指がこわばって思うように手が開かない。母さんが朝食の準備をする火元に、ココナッツオイルを塗った手をかざして温めると、ようやく指が開く。

毎日毎日、水汲みと家畜の世話、それに農作業。

だから。だから俺は勉強したんだ。この暮らしから抜け出したくてね。

宿題は朝早くに、兄ちゃんと一緒にする。兄ちゃんは、教科書を1回読んだだけで、全部覚えちまうから、勉強では全く歯が立たなかった。喧嘩なら絶対、負けないんだけどな!

兄ちゃんは、いわゆる天才ってやつだ。学校が始まって以来の、一番の成績だったって聞いたよ。そのおかげで、俺は先生たちに比べられてばっかりだった。面白くないったらない。

・・・

30年後の今、俺は日本で、兄ちゃんはオーストラリアで、ITの仕事に就いている。兄ちゃんは医者にもパイロットにもなれたのに、なぜかITの道に進むって決めたんだ。

俺は、後から追っかけるみたいな形になってしまった上に、もともと天才の兄ちゃんには、いまだに勝てない。

30年経っても、本当に面白くないったらない。

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