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わたしとエリセ 「瞳をとじて」公開記念メモ

2024年2月9日金曜日は

「ミツバチのささやき」(1973)に続く
「エル・スール」(1982)から40年以上

未完成な絵画作品をめぐる小品ドキュメンタリー「マルメロの陽光」(1992)から30年以上

ビクトル・エリセ監督最新作「瞳をとじて Cerrar los ojos」(2023)の日本公開日という、歴史的な記念日


新作を待ち続けたこの年月が、作品と監督にとって、また自分にとって大切な時間だったのだと教えられるような、入れ子状&魔術的な作品でした

この歴史的な出来事を祝福する個人的かつささやかな覚え書きとして

 1 「わたしとエリセ」ツイッター(X)投稿転載(2024)
 2 「ビクトル・エリセ試論 精霊の時間・天使の知覚」(1993−1994)
    学生時代に制作した個人ミニコミ誌記事からの転載

の2つの文章を公開します

映画のツイッター(X)公式アカウントにて「わたしとエリセ」というテーマの作文を募集していたことをきっかけに、記憶の扉を開いてみたら、忘れていたいろいろな事象がひきだされて……

1983年の「ミツバチのささやき」上映時には、田舎者の中学生には地下鉄の乗り継ぎが難しすぎて迷い、最初に予定していた映画の上映時間に間に合わなかったこと、六本木WAVE 地下にあったモダンで最先端の匂いがする小さな映画館は、当時は少数派だった入れ替え制で、入場時間を記された緑色の小さな紙片を握りしめながらの待ち時間、輸入盤コーナーにて現代音楽や実験音楽、最先端の電子音楽など前衛的なレコードの山を見て心躍ったことや、一生かかっても全部は聴けないかもと感じた絶望感、オープンして間もないのに、数台を残して故障していたパーソナルな視聴機で鑑賞したクラフトワーク「ヨーロッパ特急」PVのモノクロ画面とノイズの入った小さなブラウン管の映像、またエリセ映画のファンだという優等生の美少女Iさんや、彼女に片思いしていた電電公社の社宅に住んでいたKくんのことなどなど(彼は後に髪を赤く染めパンクロックバンドをやっていました)

ツイッター(X)はその構造や役割から刹那な性質を持つメディアなので、以下に内容を転載します

「わたしとエリセ」

https://x.com/HelloTaro/status/1753402283864539314?s=20

「エル・スールが良いわ……」
中学3年に進級した1983年4月のある日

前学年から同級生の友人Kくんから、隣の席にいるIさんの「今、観たい映画を聞いてほしい」と頼まれました

ちょっと大人びた長い髪のIさんは、翌月公開予定のエリセ監督のタイトルをあげたのです

関東近郊暮らしの自分は、前月に往復4時間以上かけてシネヴィヴァン六本木地下で「ミツバチのささやき」を観ていました(入れ替え制だったと記憶しています)

当然「エル・スール」予告編もチェック済の自分は
優等生の美少女Iさんと映画の話で盛り上がってしまいました



ふと我に帰ると、教室の窓の外から仏頂面のKくんの姿……
彼に「エル・スール」観たいって言ってたからデートに誘えば? と、伝えましたが
その結果は教えてくれませんでした

その後、Iさんから映画の話などを振られた自分も、Kからの視線が気になり生返事しか出来ず終了

地下鉄の複雑な乗り継ぎにも迷わず一人で到着した六本木WAVEにて「エル・スール」をロードショーにて観た時の静かな興奮は、未だ忘れられず

その後も早稲田松竹などの名画座再上映企画にて、エリセ監督作品を幾度も鑑賞した記憶があります

「マルメロの陽光」は大学生の時に日比谷シャンテで2回鑑賞し、青くさくて恥ずかしい感想文を自作ミニコミ誌に掲載、コピーしてばら撒いた記憶があります

その事は結果的に出版編集業務のバイトに採用されるきっかけになったので、エリセ監督はその意味でも恩人です

はじめて本当の切なさを教えてくれた歳上の彼女

親しくなったのも、エリセ監督の「ミツバチのささやき」の話題がきっかけでした

彼女はアナとイザベル姉妹の髪色が違うこと
またアナと脱走兵の髪色が同じことの重要性を指摘しており……

未だに自分には謎のひとつです

一昨年の初夏

エリセ監督の新作発表は今後絶対に無いと思い

決別の意味も含めて

過去作品パンフレットのシナリオ、アデライダ・ガルシア・モラレスさんの「エル・スール」原作、監督インタビュー記事、町山智浩氏の音声による解説など、映像と照らし合わせる作業に取り組みました

ただビクトル・エリセ監督作品についての積年の疑問は解消されず

映像もシークエンスも音響も、全て恐ろしく的確で美しいことを再確認したにとどまり

その情報収集作業の終了時に……スペイン語のニュースサイトにて、カンヌ映画祭「Close Your Eyes」出品の速報を知ったのです

わたしにとってエリセは

永遠に謎であり、期待であり不安であり、希望です

卒業以来、お会いしてませんが
40年前に
「エリセ監督の新作が観たい」
と言っていたIさんが

何処かの街の映画館で「瞳をとじて」を鑑賞するのであれば

それはとても素晴らしいことだと思いました

「ミツバチのささやき」 予告編より

手作り小冊子
今様ではジンといいますが、昔はミニコミといって、ホチキス留めなどの少部数フリーペーパーを作る文化があり

学生時代に自分も「だだこね」という、芸術運動のDADAと幼児っぽさを持つ言葉をあわせたタイトルによる、映画や映画館、写真や現代美術をテーマにした小冊子を作っていたのですが……

「マルメロの陽光」が日本公開された1993年春から一年ぐらいかけて、モノクロ液晶画面30×150mmぐらいしかないシャープ製の重たい日本語ワープロでひたすら推敲して書いた号ありまして

半年ほど前に読み直そうと探した時には見つからなかったのですが、昨夜、2024年2月9日「瞳ととじて」鑑賞後に、ふと本棚のクリアファイル開いたら出てきたという(笑)……構造人類学にかぶれながら蓮實重彦教授の文体を真似した、グロテスクで青臭くて下手くそな文章なのですが、時間と秘密、映画の基本的な構造の整理や視点、テレビ画面と映画館スクリーンとの比較など着目点は「瞳をとじて」テーマへの連続性があって、また出てきたことに小さな運命を感じたため転載します(当時50部程度しか作らず、ほとんど身内に配っただけですので、その意味ではほぼ初公開となります)

「ビクトル・エリセ試論 精霊の時間・天使の知覚」
 May/1993-Feb/ 1994.

 「映画」は、常に時間を孕んでいる。だがそれは「絵画や彫刻の中に封印された永遠」とはまるでちがうし「無から無限までを鷲掴みにする音楽」のそれとも異なる。読書の「記号によるリズム」がもたらす、内的世界運動の速度感覚とも相容れない。
 現在、最も徹底し、映画に向き合っている一人に、スペインのビクトル・エリセ監督がいるだろう。彼は十年に一本しか作品を作らない、撮れない状況の中、決して妥協することなく、あのヴェンダースが嫉妬するほど、多くの映画ファンが待ちこがれる映像作家である。

      ◇

 彼の処女長篇作「ミツバチのささやき」は、二人の姉妹と、父親の、心の時間の相違が、そのドラマの原動力となっている。
 村に巡回映画のトラックが運んできた、フランケンシュタインの映画を観る子供たち。
 映像に、現実と同じ意識を触発される妹アナに対し、姉イザベルは、それがフィクションであることを既に学習している。アナは、未だ無知で無垢であると同時に、物事の体験を大いなるそれ自体として認識し、みえないもの、精霊の存在を知覚出来る、その境目の住人なのだ。
 彼女らの視線に、漠然と、しかし確実な気配として映るもの。生活、戦争、兵士、死。それらに子供なりのやりかたで応え、耳を傾け、学びつつ、社会的な意味を見つけ、世界に参加する準備状態にいる姉に対して、状況を、無為な視線によって、フランケンシュタインを代表とする、精霊の住まう、聖なる空間として、捉える妹アナ。
 同じ場所、同じ生活をしていても、二人の少女の内的な時間と認識は、決定的に異なっている。
 父は、おそらく内戦で追放された知識人なのだろうか、仕事らしい仕事もしているようには見えず、娘たちと森でキノコを取り、ミツバチの巣を観察し現ける。 

 現実の領域・・・イザベル(そして母親)
 精霊の領域・・・アナ
 追放者・・・ 父

 この家族の関係を中心に、複数の時間軸が、各々自身の素質と関係の日、連動あるいは停落し、流れる。
 しかし、いつかアナも、イザベルがそうであったように、現実世界の住人となっていく事を宿命づけられており、むしろその無為なる視線の終焉の、予感もしくは瞬間が、あまりにも生々しくフィルム上に定着してしまった事が、多くの観客にこのフィルムを何か失いがたい、大切な体験として、位置づけてしまわせる気持ちの根拠となっているのではないか。

      ◇

 第二作目である「エル・スールー南一」において、成長したイザベル/アナであろうエストレリャは、過去持っていたはずの「力」を、あらためて父、アグスティンから学ぶ事になるであろう。
 彼が追放された者であることは「ミツバチ~」の父親と、変わらない。しかし、ハチの巣と生態を外側から眺め観察し法則を見出すことに熱中する、傷ついた観察者とはちがい、アグスティンは、自力そして非現実的世界(過去)の領域の住人であると同時に、医師であり夫であり父であり、生活者でもある。
 そしてその事実を肯定しようと、努力している。ドラマは、そんな彼の心の均街が、ある映画(またもや)を契機に、破れてしまう事から始まる。

 現在の生活の基盤であり、語り手エストレリャの、唯一知っている世界でもある「北」に暮らしながら、彼は、直接、画面には表われない「南」を、常に隠し持っている。そして娘は、そんな父の、母親が知らない秘密を、密かに共有し、共犯者としての自覚を持っている。

  「北」 -「南」
  現在  -  過去
  生活  -  秘密 
  現実  -  霊力

 父は「北」から逃走することを試みる。が、それは失敗に終わる。
 なぜなら彼が行こうとした「南」は、決して現在にはなく、過去への移動を意味するからであり、それは生きている人間には不可能なことだからだ。 
 最後に、父の意志を継ぐかのように「南」に向かうエストレリャも、また同時に、少女から女への間の境界に位置し、旅立とうとしている。
(この映画は成人した彼女の、少女期への決別の、モノローグでも、ある)

「エル・スールー南一」 予告編より

                ◇

 このようにエリセの二本の劇映画には、父親と娘を中心とした人物の、それそれに異なる時間が、一つの枠組みとしての家族の中に退在する光景が、映し出されている。
 ただただ、世界が、まるで温かく乾いた、ミツパチの低く密やかな羽音のように、変化し、動き、移動する。
 そのことを、直数に捕える視線が、エリセの中にはある。
 それが彼の映画の最大の特徴であり、魅力であろう。 
 こうして今、我々は、「マルメロの陽光」という作品が何であるのか、それを探しに行く準備が出来たのではないかと、思う。

                ◇

 「1990年秋マドリード」「9月29日土曜日」という日付が、まず観客の前に示されることによって、我々はこの映画が特定の時間を対象にしたものである事を理解する。
 実際、この日付は、画家アントニオ・ロペス氏の、マルメロ(花梨のような果実)を主題にした油給およびデッサンの制作が開始される期日を表わし、それは終了する翌日の「12月11日火曜日」まで、所々省略されながら、字幕として画面上に登場する。
 このことは、それが編集という任意の作業下において、時間的にその日時と実際の撮影手順が前後していたとしても、このフィルムの時間と空間が、限定されていることを、意味するだろう。

 画家は、地面に釘を差し、足の位置を常に一定に固定する。その視線から、遠界の壁に白いペイントで水平の基準点を打ち、円錐形の重りを用るし、垂直をとる。用意されたキャンパスに、定規で水平と垂直を引き、降りかからんばかりの距離で、たわわに実を付けるマルメロの木の葉にも、直接筆で印をつける。(それは、彼が制作を続ける間、何度も繰り返される)

「マルメロの陽光」 パンフレットより(東宝 出版・商品事業室編纂 1993)

 キャンバスは、画家に対し、正直に、その可能性と、限界を示し、マルメロの木も、植物としての性質どおりに、画家に答える。(豊かに、ただただ存在し、冬になればその果実を落とし、翌年、花を咲かせ実を結ばせるための準備に入るだろう)制作中、ロペス氏の足元に置かれたラジオは湾岸戦争について語り、モーツァルトの協奏交響曲を流し、随所挿入されるマドリードの光景は、テレビが夜を支配していることを示す。

 画家の内側に向かう作業を尻目に、彼の住居及びアトリエの改装工事は着々と進められるのだが、作家は庭で鼻歌を歌い、訪れた人々(娘たち!)らと談話しながら、黙々と自分の仕事を癒けている。

 ここで、いささか図式化が、これらの関係を硬直させないかと、怖れながらも、

 マルメロ (対象)(植物)
                →(内在する季節/生成)
 画家  (媒体)(人間)(芸術家)
 タブロー(具現化・具体化)(画布・画用紙)

の三者の関係は、物語のダイナミズムを出現させるための、人間で言えば三角関係のそれではなく、三位一体を熱望する、各々の時間が、そこから決定的に超越するため、それぞれの異なる運動を統一する力によって引き起こされたものであることを確認したい。

 今、この時、光の中に光るマルメロの木の輝きと、その内部に、ゆっくりとしかし確実に流れる生成の両者を、画家は対象から抽出し、固定化し、タブローの上に表わし、現在/瞬間を、永達なるものに近付けるための媒体となって、人間とマルメロとの間に、確実に存在するが、しかし日常的には知覚しがたい関係を、画家は、その技術/魔法を用いる事で、掴もうとする。

 芸術家は、マルメロの木と光の中に、見えないものまでをみようとする。
 制作は、彼にとってのそのプロセスの謂にすぎない。
 対象、作家、画布の、幸福な三角形。

      ◇

 途中、画面が突然フィルムの光から、ヴィデオのCCD画像に切り替わり、また、何事もなかったようにフィルムで撮影されたイメージに戻る。

     ◇

 映像はしかし、キャンパスよりも残酷である。
 永遠なるものと、利那のもの。人間の側にあるものと、それを超えた彼岸にあるもの。
 画家は、マルメロの生成する動きを抽象化するというより、形態そのものとして、愚直に追い続ける事に熱中しているが、作品を完成させることに、それほど強い意欲をもっているようには感じられない。
 そして、絵は(たぶん大方の)予想通り、未完に終わる。例えば、芸術の精霊は、イデアとしてミケランジェロの前に現われたようには、ロペスの前にはあらわれない。

      ◇

 結果は、既に、解体されるために存在する。いや、意識的な解体と再構成の神話を待たずとも、既にその視線において、思感や理念や意識や、そういった物を超えた元で、全てはチグハグに、自らの生と瞬間を主張し、フィルムに定着している。
 ドキュメンタリーのように、数えられた日付に、人、家族、テレビ、ラジオ、音楽、性、死、太陽と光線、鉄道、都市、フィルム、キャンパス、そしてマルメロ、それら全てが内在する、豊穣あるいは貧相な、無制限の、又は数量化された、様々な力が交錯し震え響きあい、乾いた音響の中に、時間が知覚され浮かんでいく。
 前出した、画家と対象と画布の三角形は、まるで戯れに役割を演じけているような、恋を囁く言葉のように、無目的に、淡々とした逸楽をむさぼるために、関係する。
 それは何も特別なことではなく、あくまでも各々がおのおのでしかない世界の中にあって、当たり前に、立ち現れる、現実の一つの形である。

 ただ、そこから先に進めない。

 愛の苦悩を回避しているのではない。それを見つけられないことが、問題なのだ。

 だがその事態を「近代芸術的苦悩」と名付けることが、たとえば天才でもなく時代の要請もなく誰もが口を揃え相対的だとつぶやく現代の我々の一般的な対処の仕方だと思うのだが、あまりにもナイーブかもしれない。

 見方を変えて、エリセ自身のカメラが彼らの三角形を対象として扱っているという、入れ子状の構造と、その関心が決して作品の完成というような具体的な目的ではなく、あくまでも行為それ自体にあり、不断に途切れるフィルムも含め、結果も終わりも始まりもない、ただ、物とモノとの関係が、一つの画面の中に複数、生々しく出会う瞬間が映っていることに、それとは別の改元の、なにか容易には名付けがたいものを、見ることが出来たような気がするのだ。

 その時、視線は、瞬間の出来事として、不在の中から立ち現れようとしている何かと、一体化する。

 それは、注意深く、軽やかな、たぶん、精霊の眼差しなのではないか。と、慎むべきロからこぼれる言葉を、しかし、隠すことはできない。

      ◇

 終わりに近づくと、それまでとは逆に、見るもの/描くものであった画家は、彼の夫人によって、絵の対象(モデル)となる。そこで映画は、ポーズを取りながら気た寝する絵描きの、私的な夢想に縮小していく。

 さっきまで振動していた、チリチリとした全体が、そのまま固まりと量をもって現れるような大きな運動感覚は、この一人の「芸術家」の内側に向かう視線に収拾されようとしていくことで、急速に減速していってしまう。

 しかし、映画はいつか終わらなくてはならないし、我々も、その抱き締めあうような視線の感触を身に覚えつつ、それが何であったのか、確かめることができぬまま、終わっていくフィルムを受入れていくモラルの中に、また、収拾されていく。

      ◇

 冒険は、気配と不確かな感触の記憶だけを残し、ステレオタイプなエンディングに、終わる。
 それは、ある種の念として、昔見たテレビの探険スペシャル番組のように、いきどおりと、見えなかったことに対する無意識の安心とを、同時に体現するだろう。
 そして、アナが、間の中に、精金を見つけ感じたように、誰もが知っているはずの、ささやかな気配に注意を向け、思い出させるような身ぶりの、複数の知覚がいっせいに生成する密やかなスペクタルが、知性と喜びと、貴い諦念と一緒に、映像として定着してしまったことを、その正直な困惑と退用さを否定せずに、うけ入れてしまいたい。

 そしてなによりも、これは、映画である。

 なぜならその困難は、決してタルコフスキーのように「芸術」だけではなく、我々の愛する映画の中に帰結していく様に思えるからだ。

      ◇

 そして天使は。

と言うわけで、ここまで読んでくださった少数の方々には、長々と昔の拙い文章や個人的な思い出話をを御覧いただいたことを感謝します

「瞳をとじて」については、近日中になんらかの形で記録を残せたらよいなと思います
(2024年2月10日記)


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