「よろしかったですか?」というのは、お客様は神様です時代の終焉を表す一事象である。

飲食店で店員が「こちらでよろしかったですか?」と言う。
文法的に間違っていない。
だが、これを、けしからん、日本語の誤用だ、という輩がいる。
彼らは「こちらでよろしいですか? だろ。」とわめく。

よろしかったですか、を分析してみよう。
よろしかった、です、か、にまず分解できる。
ここで、よろしかった、が議論の的になろう。
よろしかった、は明らかに過去形である。

質問者が「よろしかった」で聞く以上、過去のことを聞いているといえよう。
過去の何を聞いているのかというと、過去の意思決定をきいているのだろう。
つまり、あなたは、先ほど、リンゴが欲しい、といいましたよね、という過去の意思決定に注目し、その過去の意思決定に合致する物ですか? という趣旨で「よろしかったですか?」が生まれたのだと思う。

では、なぜ、「よろしいですか?」と訊かないのだろうか? それにも理由があると考える。

ずばり言おう、よろしいですか? だと、客が過去と違うことを言いだしかねなく、それだとせっかく倉庫から持ってきた物をひっこめ、改めて別の物をもってこないといけなくなるリスクがあるからである。

オーダーを受けたものとしては、昔のオーダーどおりで事が運んでほしいのである。それを現在形の「よろしいですか?」で訊いてしまうと、「(いや、前はリンゴっていったんだけど、今は梨なんで、)それじゃだめで、梨を持ってきてくれ。」という余地を与えてしまうのである。

要するに、お客様は神様です、の時代が終わったことを表す一事象が、よろしかったですか? なのである。