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湖底電話

 「固定電話」と入力するはずが、「湖底電話」と入力していた。

 湖底の電話。湖底に眠る電話。湖底人の電話。湖底から通じる電話。湖底産の電話。

 頬をつねる北風は、湖面をひっかいては、さざ波を生み出していた。

 その波のひとつひとつを数えながら、釣り糸を垂らす。

 獲物がかかるまで、私は、昨晩入力した原稿に目を通し、入力ミスに気づいた。

 青空をそっくり写した湖面は、時折吹く北風に揺れ、陽の光を乱反射しては、辺りに砕け散っている。

 湖面の周囲に残る雪は、陽の光で溶けだし、現れた土からは濃い緑の香りがした。

 春の息吹と冬の名残が混在する湖のほとり、ひとり、ゆらり、浮きが動いた。

 次の瞬間、私は釣竿と共に、湖に引きずり込まれていた。

 水中は、冷たさも苦しさもなく、穏やかで静かで、どこまでも透き通っていた。

 やわらかい陽の光がカーテンのごとくたゆたう中を、私は釣竿に導かれるまま、湖底へ進む。

 銀色に輝く小魚が、私の姿を見つけると、嬉しそうに身をくねらせ、私の額に口先をつけ、湖面へあがっていく。

 釣竿の動きが止まったところで、湖底へ到着した。

 陽の光がスポットライトのように集まった中心に、ダイヤル式の白色の電話がある。

受話器をとると、どこからか銀色の小魚が現れ、口先でダイヤルを回した。


#小説 #掌編


 


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