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映画館で「はたらいて笑顔になれた瞬間」

ごきげんよう。雨宮はなです。
今回はnote×パーソルによる企画に関する投稿です。退職してしばらくになりますが、映画館で「はたらいて笑顔になれた瞬間」について思い返してみました。

映画館の業務は主に、フロア(ロビーでの案内)、コンセッション(飲食物やグッズの販売)、チケット(チケットブースでの販売)、映写(実際に上映する)の4つに分かれていて、私はフロアとコンセッションがメインでした。案内、清掃、レジ打ちといった接客業務です。

私が劣等生の理由

私はいわゆる「劣等生」でした。その理由は「可愛げのないこと」と「融通の利かなさ」にあるでしょう。先輩たちからすれば非常に扱いにくい人間だったと考えられます。なぜなら、私は「お客”様”と呼べるのはそれに相応しい言動をとる人をいう」と考えているからです。

お金を払ってサービスを受ける人は「客」
ルールやマナーを守って初めて「お客”様”」
たまに来る”見るだけ”の人は「来場者」

この認識は別の業種で接客業をしていたときも変わりませんでした。サービスを受ける側であるときも当然だと思います。ただ、あくまで個人の認識であってその映画館の教育によるものではありません。むしろ、「どんな人でもちゃんとお客”様”として接しなさい」と指導されたものです。やれ「クッション言葉を使え」だの、やれ「まずは”申し訳ございません”と折れろ」だの…。日本の接客業では当然だと思われることですが、私にはそうは思えなかったしそれが先輩たちにはわかっていたようで、劣等生どころか「厄介者」というレッテルを貼られていたかもしれません。

どうして相手が悪いのに、「恐れ入りますが」と言う必要があるの?
クッション言葉っていうけど、先に自分を攻撃して、何がクッションなの?
何もわかってないのに「申し訳ございません」って言うから、相手が「自分は悪くない」って思うんじゃないの?
テキトーにいなすのも手段…って、そんなことしてるから誤った学習をさせちゃうんじゃないの?

「毅然とした態度は接客業には不要」と言われたときはめまいがしました。

劣等生を救ってくれたのは、お客”様”

そんな私ですが、決して人が嫌いなわけではありませんでした。誰からだったか忘れましたが「お客様を差別するなんてどれだけ偉いつもりなのか」とお説教を受けてから、段々嫌いになりました。それでも懲りずに初手はフラットに、その後は相手によってとるべき言動をとって接客をしていましたが、そんな矢先に「私たちはあなたのファンだよ」と言ってくれるご夫婦に出会います。

そのご夫婦は休日になるとおめかしをして午前中に洋画を一本観にいらっしゃる、常連のお客様でした。二人ともにこにこといつも楽しそうだし、「おはよう」「ありがとう」と声をかけてくださるので私はお二人が大好きでした。

ある休日の朝いちばん、その日もご夫婦はいらっしゃいました。いつものように彼らのチケットをモギり、スクリーンと座席番号を口頭で伝え、「次のお客様、どうぞ」と声をかける。入場の案内がひと段落すると、ご夫婦から声をかけられました。「ごめんなさいね、半券をなくしてしまって座席番号がわからなくなってしまったの」。

私は焦りました。まさか、モギったときに半券を渡し忘れたのかと思い、ポーチやカウンターの中を調べましたが見当たりません。無いものを探していてもしかたないので、私はモギった方(劇場保管分)から彼らの座席番号を割り出すことにしました。ご夫婦は連番で取っていらっしゃるし、好みの位置が決まっていたので「おそらく、この二席だと思うのですが…」と案内しました。
念のためにチケットブースに内線をかけ、購入履歴から「ただの隣りあわせではなく、二席一緒に会計した」というお墨付きをもらい上映がスタート。その後「座席がかぶってます」という指摘はなく正しい座席に案内できたことにほっとしました。

お昼前だったか、フロアの清掃をしていると「いたわ!さっきのスタッフさん」と声をかけられました。「あのお席であってたのよ、ほら」と奥さまが見せてくれたのは彼らの半券。無くしたと思っていた半券は旦那さまのハンカチに包まれていたそうです。─見つかって良かった、思い出が欠けてしまうのではないかと心配していました、映画はどうでしたか?─

それからしばらくして私はコンセッションの業務に駆り出されることが多くなり、必然的にご夫婦と接する機会が減りました。なかなか目礼もできず少し寂しい思いをしていると、ある社員から事務所に呼ばれ面談が始まりました。「困っていることはありませんか、上手くやっていけそうですか」とヒアリングが進む中、きっと先輩から苦情が入ってるんだろうなと私は暗い気持ちでいっぱいでした。案の定、「この間、お年寄りとモメそうになったってきいたよ」に始まり、”もっと柔軟に、優しく上手く受け流して”と締めくくられました。

社員が呼ばれたことで面談は終了。私も無線で呼ばれ、混雑したフロアのフォローに回るようにと指示を受けて、久しぶりのフロア業務へ。そこであのご夫婦と再会します。

「最近お見掛けしなかったから、辞めちゃったのかと思ったわ。また会えてうれしい」
「僕たちは君のファンだからね。会えると元気になるよ」
「いつも色々考えて接客してくれてるものね。いつもありがとう。また来ますね」

他にも「今日観た映画はどうだった」とか少しお話をして、ご夫婦は帰られました。私は彼らに救われた気持ちでした。会社のニーズに当てはまらないうえ、お客様にまでよく思われていなかったらどうしようと不安でいっぱいだったタイミングでお二人に会えたのは幸運でしかありません。それにお二人には私が考えていることがちゃんと伝わっていた。すべてが間違っていたわけではないとわかって、私は安心しました。

笑顔になれた理由

自分の性格と業務の性質上どうしても「誰かが喜んでくれること」で初めて安心し笑顔になれましたし、その「誰か」はお客様でした。もちろんこのご夫婦だけでなく、他にもいらしたお客様たちのおかげでもあります。

場内販売で初めて私からチュロスを買ってくれた男の子
「慌てずに買い物ができた」と喜んでくれた、小さい子を連れたお母さん
ホットドッグにソースをかけている様子に「かっけぇ」とはしゃいでいた小学生男子たち
アイドルを絡めた案内に喜んでくれた、女性たち
アンパンマンの上映前アナウンスで拍手をくれたお客様たち

他にもたくさんの出会いがありました。彼らに共通しているのは「お客”様”」であること。ルールとマナーを守り、そのうえで映画館と映画を楽しんでくれる存在。だからこそ、私は良い印象と思い出だけ受け取ることができ、今でも笑顔になれるのだと思います。

さいごに

映画館を辞めたあとは大型の小売店で接客をしてみたり、会社の中で事務仕事をしてみたりしました。事務仕事の合間に、単発の接客アルバイトをしていたこともあります。そしてどこでも「もっと柔軟に、優しく上手く受け流して」接客することを求められるのでした。

果たしてそれは本当に良い接客なのか、現役でなくなった今も考えてしまいます。ナアナアな接客は従業員を消耗させ、ルールとマナーを守って”当たり前”を維持してくれるお客様を蔑ろにすることに他なりません。お互いが自分の立場をきちんと認識せず、全うしていないがためにこのような現状がはびこっていると私は常に思っています。

だからこそ、自分はお客”様”でいられるよう心がけています。働いている方への敬意と感謝を忘れず、不当な扱いを受けたときはそれを我慢しない。その当たり前をこれからも大切にして、誰かの笑顔になれる瞬間に立ち会えたら嬉しいです。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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