見出し画像

大量の小銭は自意識の残滓

 2023年1月31日

 僕の財布の中には,尋常じゃない量の小銭が入っている時が多い.このことに気づいた時にはなるべく小銭を自販機などで使うようにしているが,たびたび小銭でぱんぱんになってしまう.

 レジでお金を払うときに,小銭を取り出そうとして,上手く取り出せずに店員さんを待たせるあの時間がすごく怖いのだ.だから,すぐに紙幣を出してしまい,小銭ばかりになる.

 僕が一人で財布の小銭入れからガチャガチャしている間,バーコードリーダーの音や店員さんの声は一切聞こえない.もちろん,バーコードリーダーを経て,「〇〇円になります」と店員さんが言った後は,僕がお金を出す行為を終えるまで,無音の時間となるのは当たり前だが,この間に店員さんの思考が伝わってくる気がする.

「この人遅いなぁ,気まずいなぁ,この時間どうしよう,あ,もう袋の備品が足りないから,今の間に新しいのだしちゃおうかな,あ,でももうすぐこの人がお金出し終えるかもしれないしな,うーん」

と勝手に感じてしまう.このように僕のせいで,マイナスな気持ちを抱かせてしまうのが非常に申し訳なく感じる.また,

「この人がお金を出し終えて,すぐお会計できるように手元を見ていよう」

と思ったのか,僕の手元をじっと見る人もいる.これはこれで,負荷がかかって,慌ててしまう.そわそわしている店員.じっと見る店員.黙っている僕のレジの機械.財布の中の小銭をガチャガチャ鳴らす僕.もう耐えられない.しまいには,ちゃりんちゃりんと焦りすぎてレジの床に小銭をぶちまけてしまう.だから,パッと紙幣を出してしまう.

 ただ,このことは,ここ一年程度で思うようになった.なぜなのだろうと考えた時,一昨年,コンビニでアルバイトを始めてからだと気づいた.アルバイト中にレジにて,僕がお客さんとのお会計中に意識してしまった気まずさだった.小銭を出そうとするお客さんに

「きっとお客さんは僕を待たせてしまって,気まずく感じているかもしれないが,僕が気まずいなんて顔を見せたら,お客さんは悲しんでしまう」

と思い,気まずくないですよ,申し訳ないなんて思わないでください,存分に財布の中から小銭をお取りくださいという雰囲気を醸し出しながら,レジの中のお金を整理したり,お箸や袋の備品が足りているかどうかを確認したりしていた.後々,これらの行為は,あくまでお客さんが手間取っているから行ったのであり,これはお客さんに「手間取っていますよ」と伝えるようなものだと気づいた.猛省した.それ以降,お客さんが小銭を取り出すのに手間取っている時間,意識しすぎて僕は何をしていいか分からなくなった.

 この経験から,レジでのお会計中に,店員さんが何を思っているのか,すごく気になってしまった.そして,意識してしまったのだ.

 意識しすぎると,不自然となる.無意識の世界では,きっと自然に振舞えるのに,一旦意識してしまうと急速に嘘めいた姿となってしまう.僕は昔みたいに,何も意識せず、レジのお会計で自然に小銭を払うことができなくなってしまった.店員さんの思いを意識してしまったから.そして,その不自然な姿を見られた時,日常から「お前だけおかしいぞ」と言われている気分になる.一瞬にして店員さんとの距離が無限大に広がる.静寂の中,がちゃがちゃ鳴らしながら,僕は孤独を感じる.その不自然な時間を,日常から追い出される時間を,視界の端から黒いもやがかかって孤独に包まれていくあの時間を,スキップできる手段が,紙幣を出す,なのだ.

 こういうことを,日々ぼんやりと考えていたら,穂村弘「世界音痴」という本を読んで、びっくりした。この作品中に小銭の話があり,同じように紙幣で払ってしまうとあった.嬉しかった.

 ちなみに柿田さんにこの小銭問題について話したら,

「あめちゃん(僕の事)は気にしすぎだよ.俺は気にせんで,がんがん小銭出せるよ」

と言った.なので,ファミレスなどで,柿田さんにまとめて払ってもらう際,たびたび大量の小銭を渡している.柿田さんがちゃんと小銭で払えているのを見ると,自然だなぁと一人感心してみてしまう.

 あとまったく関係ないが,受験期,僕の父さんと合格祈願で神社に行った時,父さんが「受かりますように!」と言いながら,財布をひっくり返して,全ての小銭を賽銭箱にじゃらじゃら入れていた.まるで,自身が受験生かのような熱量だった.今でもよく覚えている.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?