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中庸

 2024年3月25日

 今日は蒼色波という新ネタライブだった.全三回中の三回目.当たり前のことではあるけれど,三回やり切れたことに驚く.ちなみに今後も不定期でやることが決まった.

 体調がようやく戻った.長かった.執念深い風邪.夜に熱が出て,朝には下がる状態が続いていたので,どうやって休めばいいのか分からなかった.

 朝集まった時,まだ一本しかできていなかった.昔だったら,焦って三人ともいらいらしていたと思うが,今は「まあ,いつもそうだしなぁ,楽しくやろう」と思える.明らかに慣れた.

 僕はネタを書いていない.書いているのは新井さん.心の中でネタを書いていない以上,新井さんにどれだけぎりぎりで渡されても,ぱっと受け取って出来るようにするのが僕の役目だと思っている.

 昔はぱっとできなかった.でも,じゃあ今はぱっとできるのかと言われたら,できない.昔との違いは姿勢かもしれない.昔はガチガチに失敗しないようにしばりつけてやっていた.今は間違ってもいいから,とりあえず躊躇いなくやろうとやっているつもり.

 ただ決して間違いを気にしないということではない.間違えない方がいいに決まっている.難しいのだが,間違えてもそのままのテンションでやり続け,あとで反省して,改善する.ガチガチにやるわけでも,適当にやるわけでもない.一部はガチガチ,一部は適当にやる.真ん中が大事.


 高校の時,ギリシャ哲学の授業で中庸(メソテース)という言葉が登場した.解釈が合っているかどうか分からないが,人間の行為や感情において,偏ることなく,その中間を維持することが中庸だと認識している.例えば,勇気は蛮勇と臆病の中間的な状態(中庸)である.

 この中庸は今でも僕の考え方に影響している.偏るって実は簡単なことで,ある意味行動を機械している.蛮勇や臆病は何も考えていないことと一緒.何に対しても進めばいいし,進まなければいい.すごく楽だと思う.でも,そうじゃない.何かに直面するたびに進むか進まないか,蛮勇であるべきか臆病であるべきか,を考える.それこそが勇気であると思う.疲れるけれど,これをしないと本質を掴めない.


 話が逸れてしまったが,適度に気にして,適度に気にせず,やる.これだけは忘れないように.

 余談だが,最初,メテソースだと思っていた.変なソースだなという印象で覚えていた.テストで書いてしまい,間違えていたことを知った.


 会場の中野シアターかざあなへ行く頃には,三本ともある程度出来ていた.前回の方がやばかったかもしれない.とはいえ,油断は禁物.そういときほど,とんでもないミスを犯す.前に寝ているときに見た,出囃子が鳴って板についたはいいものの,やるネタが分からず,困惑するという夢を思い出す.大分うなされた.

 三人でネタの流れについて話し合っていたらあっという間に開演時刻になった.オープニングトーク,毎度のことながら,喋った文字数分,覚えた台詞が抜けていきそうな気がして,上手く喋れなかった.

 ゲストは,フランスピアノさん,スパイシーガーリックさん,センチメンタルズさんだった.センチメンタルズの大貫さんは僕の高校時代の友達の兄.会うといつもツーショットを求められる.弟,つまり僕の友達に毎回写真を送るらしい.返事は一度も来たことが無いそう.

 ゲストのネタが気になったが,その間に次のネタの衣装へ着替えないといけないので,見られない.連続でネタをやることなんて普段ないから,時々気持ち悪くなる.一本に全力尽くしてもまだ終わらない.緊張が続く.


 無事に三本とも終わった.部分的にミスったが流れはミスらなかった.今までで一番疲れた.明らかにスタミナが落ちている.腹式呼吸が弱い.しばらく意識した方がいいかもしれない.

 新ネタライブが終わり,トークライブが始まった.二つとも,毎回,来てくれるお客さんに感謝しかない.

 帰りにあおいちゃんさん含めてみんなでご飯を食べた.美味しい物を食べることは幸せだ.昔よりも強く思う.だからか,昔よりも食べる料理が複雑化している気がする.昔は蒸しただけの鶏肉を食べていたが,今は炒めたり,何かと和えたりしている.しまいには自分では作れないような料理を求めて,外のお店へ行く.どんどん複雑化していく.

 満足しなくなっていることが悲しかったり,だらしがないと思ったりもする.みんなはどうなのだろう.

 帰り道,荷物が重すぎて,二回ぐらい休憩した.道端にナガミヒナゲシが咲いていた.オレンジとピンクの間の色の花びら.この花,よく見かけるが,雑草にしては花のレベルが高いと思う.


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