表現の自由などについて考える

なにやらこんなことがあったそうで。↓

「表現」についてのリスクがかなり分かりやすい形で見て取れますね。

まあどんなことが起こったのかについては↑のニュースを読んで頂くとして、せっかくなので今回は「表現の自由」やそもそもの「表現」について書いていきます。

表現の自由

表現の自由とは、簡単に言うと「国民がどんなことを表現しても政府は全部許容するよ。」という自由権の内の一つです。

憲法で決まっていることなので、憲法改正がされない限りは国民はどんなことを表現しても良いことになっています。あくまで法的にはですが。

表現

表現というのは、まさしくあらゆる表現のことを指します。

本や映画はもちろんですが、暴言やクレームや嘘なども表現に入ります。例えば「○○死ね!」というようなものも表現ですし、「ガソリンで○○に火をつけます。」というような殺人予告もまた表現です。

とにかく、こういったネガティブな表現も政府は直接規制しないということですね。

しかし実際には表現は規制されている。

あくまで規制をしないとしているのは政府です。

なので、いわゆる「自主規制」に関しては自由に行っても良いことになっています。

分かりやすいところで言うと、テレビの内容を審査するBPOやゲームの内容を審査するCEROなどは表現を規制する民間団体と言っても過言ではないでしょう。

この記事の最初に出したアレらのニュースの件も、抗議や脅迫が殺到したせいとはいえあくまでも自主規制です。

つまり、世はまさに自主規制時代になっているわけですね。

ちなみに津田氏が開催していた「表現の不自由展」はどうやら慰安婦を表現した少女(韓国にある慰安婦像とそっくり)や9条の俳句など、かなり政治的かつ左翼的な作品を展示していたようです。

なので、おそらく抗議や脅迫を行い、自主規制に追い込んだ人達はそれを良しとしない思想を持っているのだろうということが予想できます。いわゆる右翼ですね。

一方で↑のツイートを見れば分かるように、左翼側もまた「はたらくくるま」という作品を自主規制に追い込んでいます。

つまり、右翼も左翼も表現の潰し合いをしているわけですね。まさにどっちもどっち。

はっきり言って、これらの事実は表現規制反対派にとっては逆風だろうと思います。なにせ、不快だと思った表現を潰して回ることが可能であるということが分かったわけですから。

この流れが加速していくと、当然「政治的に正しい」作品しか許容されないようになるのは想像に難くありません。

かといってこれを止める術はおそらくは無いでしょう。誰も不快な表現を守ろうとはしないし、憎悪は加速するものだからです。

結局、こういう風に人類は勝手に自滅していくんだなあと思った一件でした。

では今日はこの辺で終わります。ではでは。

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