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「サラリーキャップは無意味」が現実になる?〜NFLの契約での「フル保証額」 〜【NFLサラリー談義#1】

「NOファンがリボ払いしてるのを開き直ってる…?」とタイトルを見て思った方も多そうですが、今回は別の意味です。
Jessie Bates IIIの契約延長がまとまらなかった話を見て、最初は「サラリーキャップも余ってるのにベンガルズはケチだなぁ」と思ったのですが、よくよく考えてみると別の事情があるかも、と思い当たったのが記事のきっかけです。
テーマはDeshaun Watson(CLE)の大型契約もあって最近語られることの多い「保証額(guaranteed money)」について、最近のトレンドは危険だなと感じたという話です。

1. 契約の「フル保証額 (fully guaranteed money)」とは?

詳しい方なら知ってる話だと思うので、その場合は飛ばして2.へ進んでください。基本的なNFL選手のサラリーは

  • Base salary (基本給): レギュラーシーズン17週間に分けて支払い (毎試合小切手でもらうらしい)

  • Signing bonus (契約金): 契約した時点で一括で支払い、返還不可

で構成されます(最近の契約だとRoster bonus/Option bonus/Incentiveが入る場合も多いですが、今回はあまり関係ないので省略します。次回の記事「ニューオーリンズ・セインツはなぜ潰れないのか?〜リボ払いのススメ〜」にて詳しく。

このうち、Base salaryに関しては選手をカット/トレードした場合、それ以降の分は原則支払う必要はありません(選手をカットしてキャップが空く、と言う話はこの分)。その原則の例外が、契約時点で「フル保証する」と定められたBase Salaryです。
最近の例として、4年$73Mで延長したPITのMinkah Fitzpatrickを挙げます。ルーキー契約最終年の2022年分と合わせると5年$81Mの契約とも言えますが、その内訳は、$63.5Mが基本給(下グラフの黄色の部分)、$17.5MがSigning Bonus(下グラフの青の部分)となっています。今年(2022)のキャップヒットは$8Mに抑える一方で、残りの4年間はほぼ同じキャップヒット($18M)になるようにしたスタンダードな契約ですね。

では、仮に契約を結んだばかりの今の時点でFitzpatrickをリリースした場合、チームの負担額はいくらでしょうか?
当然、契約サイン時に支払い済みのSigning Bonus(青部分)は帰って来ません。一方で、まだ払っていないBase Salaryの支払い義務は無くなるのですが、この契約では条件として「2022年と2023年のサラリー(オレンジ囲い)はフル保証=何があっても確実に支払われると保証する」と言う条件が付いています。そのため、「保証する」と定めた最初の2年間の基本給($19.5M)については、基本給でありながらリリース時に支払い義務が発生します(デッドマネーにも計上)。

つまり、Fitzpatrick目線で言うと、すぐに解雇されたとしてもSigning Bonus ($17.5 M) + 最初の2年のBase Salary ($19.5M) = $36M は確実に懐に入るので、これを指して「$36M fully guaranteed」という言い方がされます(下のツイート参照)。また、「2023年までに解雇するとデッドマネーが大量発生する」ということにもなるため「2023年終わりまではまず解雇しない」と言う球団からのメッセージにもなります。このように、4年/5年契約で最初の2年間を保証すると言うのは最近だとスタンダードです。

ちなみに、トレードした場合は、移籍先のチームに保証額もそのまま移ります。つまり、例えば現在PITがFitzpatrickをNOにトレードした場合、2022年と2023年のBase Salaryを保証するのはNOで、仮にトレード直後にリリースした場合、基本給$19.5Mの支払いはNOとなります。フル保証は 「選手がその金額を貰えるという保証」であって、「PITがそれを全て払うという保証」ではありません

2. Deshaun Watsonのトンデモ新契約

「保証額」と言う意味で最も話題になったのが、今年HOUからCLEにトレードされたDeshaun Watsonです。通常トレードでは旧チームの契約を引き継ぎますが、ATLとNOで行き先を迷っていたWatsonに対し、CLEは「5年総額$230M、全額フル保証」と言う破格の新契約を提示したことでトレードを実現させました。

つまり、5年間どの時点でリリースしても、Watsonが$230Mを全て受け取ることは確定です。数十件の訴訟を抱え、昨年はプレーしていないQBに「5年間心中」を宣言したことになり、大きな話題を呼びました。今年結ばれた長期契約の中でも、以下の保証額比較を見ても、その異質さが分かると思います。

3. 保証額の罠とチーム間の経済格差

前置きが長くなりましたが、サラリーキャップと言う観点から言えば、給料が「フル保証」されているかどうかは、(カットした場合のデッドマネーを除いて)基本的に関係ありません。保証されている$10Mでも、されていない$10Mでも、計上額は同じです。

ところが、NFLの労使協定で定められた次のルールのために、チームの財政にはサラリーが保証かどうかは関わってきます

(原文) The NFL may require that by a prescribed date certain, each Club must deposit into a segregated account the present value, calculated using the Discount Rate, less $15,000,000 (the "Deductible"), of deferred and guaranteed compensation owed by that Club with respect to Club funding of Player Contracts involving deferred or guaranteed compensation;
(要約) それぞれのチームは預金口座に、「次年度以降を含めた選手との契約において保証されている額 – $15M」を保有しておかなければならない

NFL CBA Article 26: Salaries

当然といえば当然のルールなのですが、「サラリーフル保証するよ〜」と制限なしに言うことはできなくて、仮に全員解雇しても保証した分を払える (= 破産しない)だけのお金をチームが持っていないといけません。Watsonの契約なら、契約時点で払う金額はSigning Bonusの$45Mのみですが、残りの230–45=$185M分についても、保証されているのでいつでも払えるようにチームの口座にキープする必要があります

こうなると問題になってくるのが、NFLの各チームのオーナー間の「格差」です。先日売却されたDENの新オーナーのRob Walton(Walmart)の総資産は$58B (8兆円)、と言われる一方で、LVのMark Davis($500M), CINのMike Brown ($925M)など、$1Bに満たないオーナーもいます。各チームでサラリーキャップこそ同一であるものの、上記のWatsonのような、口座に保証金を大量に用意する必要のある契約については、裕福なチームほど行いやすいと言うことになります。

流石に各チームの口座残高までは公開されていないので、このルールが現在どの程度各GMの動向に影響を及ぼしているかはわかりません(ただ、代理人の方が書いたこの記事によると"When I was an agent, I used to hear from team contract negotiators quite often that ideas I proposed couldn't be done because of funding."と言っていて実際に影響はあるらしい)。
しかし、例えばオーナーが比較的貧しいCINは、他のチームのトレンドに逆行して「長期契約でもBase Salaryは保証しない (契約金のみ保証)」という方針を貫いています。その理由は「上記ルールのために、保証額が増えるとチームの財政的に厳しくなるから」だと考えると矛盾しません。先日Jessie Bates IIIが契約延長に合意しませんでしたが、その理由としても保証額の少なさが挙げられています。サラリーキャップ的には余っていても、口座に保証額が用意できないために契約できない、と言うことがあり得るわけです。

4. 「フル保証契約」が主流になると…?

では、今後Watsonが結んだようなフル保証契約が主流になったらどうなるでしょうか?(実際、NBAでは最高級選手の年俸はフル保証されるのが通例らしい) 上記のベンガルズのような例(仮説ですが)がさらに多く出てくることは間違いありません。

その結果、サラリーキャップ制度が無意味になります。

というのも、貧乏なチームは、仮にサラリーキャップが余っていても、保証金額を預金口座に用意できないために大型契約を締結できない事態になり得ます。また選手側の立場からすると、保証額が多い契約を結びたいのは当然なので、裕福なチームと契約を優先的に結ぶようになります。
つまり、「サラリーキャップ=各チームが給料に使える総額の合計、を規定することでチームごとの経済格差をなくして戦力均衡を図る」と言う現在の構図が成り立たなくなります。「有力選手、特にトップQBは裕福なチームのみが契約できる」と言う状況では公平とは言えません。

また、最近NOを中心にほぼ全チームが行っている「契約再構築 (Restructure)」(俗称: リボ払い)は「その年のBase SalaryをSigning Bonusに変換して、次年度以降にキャップヒットを分割する」という手法ですが、変換分はSigning Bonus扱いになるので再構築時に一括で払う必要があります。これはチームの保有金額を下げる行為なので、これもやはり大量に行えるのはやはり裕福なチームです。

まとめると、サラリーキャップ制度下でも、各チームの補強/契約の自由度は保有資産にある程度縛られていて、契約の保証額の割合が増えれば増えるほどその傾向は加速する、と言うことです。5年間全額フル保証はやり過ぎにしても、他のRodgersやStaffordの契約を見ても保証額の増加の傾向は間違いなくあり、戦力均衡化の観点から見るとあまり良くありません(以下のツイートのように、Spotracの方もこれを指摘しています)。

5. Kyler Murrayの新契約とこれから

実は、NFLでフル保証のQBの契約が話題になるのは初めてではありません。2018年には、Kirk Cousins (MIN)が3年$84M全額保証という契約を結び話題になりました。ただこの際は、その後ATLのMatt Ryan (5年$150M, $95M保証), GBのAaron Rodgers(4年$134M, $79M保証)が通常の契約で相次いで更新し、全額保証の契約が広まる流れは止まりました(Tom Brady(TB)は全額保証ですが、異質すぎて誰も比べないですね)。

では、Watsonが全額保証契約を手にした今年はどうでしょうか? 今週、Watson以後に若手QBでは初めてKyler Murray(ARI)がほぼ同じ総額の5年$230Mで契約更新しました。(実績がないマレーには高いとかいう声も聞きますが、新人から3年間でORoY, プロボウル2回。出場したプレーオフでSB優勝したラムズに負けただけで「実績のないQB」扱いは本当にかわいそう。30歳越えベテランのStafford(LAR)やCarr(LV)が平均$40Mの契約を得ている中、24歳のMurrayにこの額は適正に見えます。また、毎年サラリーキャップは平均5〜10%増えているので、2年前の新契約と比べて「Mahomesより高い」的なことを言うのはミスリーディングです。「年平均が当てにならない」という主張をした記事はこちら

一方で、Murrayの契約はWatsonと総額こそ同じですが、契約時のフル保証額は$105Mで、ノートレード条項も付いていないそうです。少なくとも、「CLEとWatsonに引っ張られて若手のトップQBは全額保証契約が標準になる」と言う流れにはなりませんでした。ある意味、ARIが裕福なチームでなかったことが功を奏した形になります
今回のMurrayの契約が「相場を引き上げてQB契約更新を控えるチームを困らせた」と言う人もいます。違います。Watsonが作った契約フル保証のモメンタムを断ち切ったことで、むしろ他チームのGMを安心させた契約です。

とはいえ、このまま2018年のCousinsの時のように「CLEがぶっ飛んでた」で済まされるのか?それとも、新たなやり手の代理人がフル保証契約を勝ち取って、保証額が増えるトレンドが続くのか?まだ分かりません。以下のRGIIIのように、「フル保証契約を勝ち取れ!」と煽る人もいます。

流れを決定づける次のQBはおそらく、Lamar Jackson (BAL)です。その結果によって、来年のJustin Herbert (LAC)Joe Burrow (CIN)の契約も決まってきます。特に、フル保証がトレンドになったりしたら、貧しいベンガルズには厳しいでしょう。

多くの方が注目し、話題の中心になるのは年平均のサラリーの方だと思いますが、ニュースの中にあるだろう「Fully Guaranteed Money」の項目にも、次回はぜひ注目して見てみてください。

長文の記事、お読みいただきありがとうございました。
(主な情報のソースは以下です。全部英語ですが、読むと色々詳しく書いてあります)


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