見出し画像

フリースクール活動日記 2024/04/12-生田緑地

 この日も家を出ようと道のりを調べていたときのこと。集合場所である向ヶ丘遊園駅までそれほどの距離がないことが確認された。かなり道が蛇行していたり、橋を渡らなければならないなどの理由で距離は直線距離よりもはるかに長いものの7㎞弱(橋を渡らずともたどり着くことはできるのだが、渡ったほうが道の都合上より早くつくことができるのだ)。何を想ったか僕は「行ける」と考えてしまった。すでに昨日家から教室まで道に迷いながらも10㎞弱を無事たどり着き、なおかつ筋肉痛らしきものがほとんど感じられなかったこともこのような暴挙に踏み切った理由の一つであろう。
 そうして苦しみに耐え抜き1時間と20分ほど経って無事、向ヶ丘遊園駅到着。着いた時にはすでに集合時間まで10分をきっていたのだが、そこにいたのは龍角散、カッパくん、ヨッシーの3名のみ。そして彼らは僕が着くのを待っていたかのようにコンビニへと連れ立って出かけ、駅前にて荒い息を整えているのは僕だけとなった。その後無事皆も到着、総勢16名の集団となって岡本太郎美術館へと足を向ける。もっとも、その行動はどう見ても統一性を欠いていた。その原因は、僕にある。
 先年生田緑地を訪れた際には岡本太郎美術館ではなく日本民家園を目的地としていた。そこは日本の古民家が20軒以上立ち並び、中に入ることもできる上そのいくつかには囲炉裏までもが完備されている夢のような空間だ。この火曜日に生田緑地を目的地とすることが決定した際、僕が真っ先に思い浮かべたのはこの場所だった。そもそも生田緑地といえば僕はここしか知らない。ここに行くものだとばかり思いこんだ。そうしてその準備とばかりにこの木曜日。絵本遠野物語の「ざしきわらし」というものを教室へと持っていき、翌日の下準備を済ませていた。
 だというのに、この日になって民家園にはいかないという結論が出た。わざわざ「ざしきわらし」を持ってきてイマンモに読み聞かせてもらい、翌日の民家園での布石とする計画は完全に破綻した。それでもなお諦めきれずに「雨が降るならば日本民家園に行くことも考える」というイマンモの言葉に対し雨が降るよう祈願をしたのだが、あいにくと当日は晴れ。家から集合場所まで歩いていくことすらできる。水たまりの一つもなく、雨が降る可能性は万に一つもないだろうと思われた。
 そういうわけで日本民家園へ行くことはすっかり諦めていたのだが、生田緑地へ入ろうとしたまさにその時、空からポツ、ポツ、と水滴が落ちてきた。そこまで勢いはないものの、止む気配はみじんもない。待望の雨が降ってきた。しかしそれは、もはや必要のないものだ。
 いちおう絵本遠野物語「ざしきわらし」及び「きつね」は持ってきているが、既に「日本民家園はあきらめる」と決定してしまった以上それを撤回することは幅られる。僕はどうすればよいのだろう。

 「雨が降ればいい」とは言ったものの勿論本心からの言葉ではなかった。天気予報からも雨が降ることはないと判断し、傘など持ってきてもいなかった。このまま岡本太郎美術館へと行くのは確定しているが、その後も雨が降り続いているのであれば民家園へと向かうこともできるかもしれない。雨が続くよう祈願して、美術館へと走って向かう。その後も入場に当たってひと悶着あったが無事切り抜けて館内を回り始めた。
 岡本太郎といえば「芸術は爆発だ」と言った人だと父から聞いていた。勿論それ以外の情報については何一つ知らない。だが岡本一平という名前は多磨霊園に墓地があるため知っている。展示室に岡本一平・岡本かの子のおそらくは等身大と思われる写真がある。そこに並んで写真を撮るさまを横から見ていたのだが、あまりに身長差があるため思わず眼を瞠ってしまった。並んで写っている彼だって、それほど身長が高いわけでもないのに……

 そこからしばらくは絵の展示が多く、次いで彫刻などの展示に代わっていく。ことに、入ってしばらくしたところにある「椅子」のコーナーに皆夢中になっている模様。

 「坐ることを拒否する椅子」や「手の椅子」などに皆群がり座り心地を楽しんでいる。けれども椅子は有限。僕たちの人数ではあぶれるものがいるのは当然だった。そのため座り心地を楽しむのも途中で切り上げて、次の部屋へと向かう。そこにどっしりと構える「こどもの樹」という作品がいかにもこのフリースクールの雰囲気と調和しており、持って帰りたいと思ったことにも触れておく。きっと皆考えていたのだろうし(その裏でなんとなく諸星大二郎の妖怪ハンターに出てきそうな樹だなどと思っていたことは秘密だ)。

 そうして展示を見終えた後は早々に通り抜けていった皆を追い、出口付近へと足を運ぶ。そこには岡本太郎の賞「TARO賞」なるものを受賞した作家たちの作品が展示されている。そしてその中でもいくつかの作品が僕たちの目を引いた。
 まずは「サザエの家」というような作品。針金か何かで作られたドーム状のものの壁に一面サザエが括り付けてあるのだ。しかもところどころのサザエには空の端に穴が開けられまるで窓のような働きをしている。さらにその中にもいくつものサザエがぶら下げられており、よく日の当たるところへと持ち出せば光があちこちから差し込んでくるであろうつくりになっている、はずだ。僕自身は中に入っていないため分からないが。
 何故中に入っていないか。それはもう1つの目に留まった作品の影響だ。「學校」というその作品は塔のの上に原爆ドームのような建物が乗せられたような形をしている。これだけならば、目を引くだけですぐに立ち去っただろう。しかしながらこの作品名は「學校」。学校に会ったような机がいくつか並べられているほか、とあるものがいくつも並べられており、手に取ることができるようになっている。

 それは、本。いろいろな種類の本がびっしりと詰め込まれている。その中には太宰治の「斜陽」やレイチェル・カーソンの「沈黙の春」までもがあった。これひとつあれば非常に広い範囲での知識を得ることができるであろう。なおもここにいたいと駄々をこねるメンバー幾人かは、最終的に龍角散たちによって出口まで引きずられて行った。
 そうして館を出てみると、すでに雨はやんでしまっていた。もう日本民家園へ行くことはできない。肩を落とし、皆が集合写真を撮り終わったころになってようやく気を取り直した。そうしてすぐに昨年と同じ「枡形山」へと向かうことになる。ここで昨年は相撲や鬼ごっこなどをして楽しく遊んでいた。今回は雨が降っているとはいえ、遊具以外の場所は使うことができるはずだと思い雨に濡れて滑りやすい階段を上がっていく。

 そうして展望台へと到着、レイセンにブルーシートを敷いてもらってそこに座り、食事をとろうとしてバッグを下す。そこで気が付いた。なにやら白っぽかったり黒っぽかったりするものがバッグの肩にかける場所にべったりと付いていることに。慌てて真上を見れば、少し離れたところに一羽の鳥の姿が。
 思わず龍角散にパチンコをせびり、爆撃された恨みを何十倍にもして返して撃墜してやろうと考えたのだが、悪意を感じ取ったのかその鳥はフンを落とすだけ落として既に飛んで行ってしまった。
 emmanmoやボートさんから恵んでもらったウェットティッシュできれいにふき取り、ごみ袋に入れる。そうしていざ食事にしようと弁当箱を開けたとき、パラパラと雨が降り出した。食事を終えている皆はすぐに逃げていくが、そんなに早く食事を終えることのできないメンバーや、食事にとりかかってすらいない僕はいったいどうしたらよいのか。
 「枡形山展望台」内は屋根があるためそちらで食べようと思ったのだが、そこには「展望台内での飲食はおやめください」と書いてある。しかしながら「展望台内」とはふつうは最上階の場所を指すはずだ。ならば一階部分で食べるのは問題ないだろうといった他の皆はそこで食事をとる。しかしながら僕はどうにもそれをやろうという気にならなかった。ならばしかたがない。その「飲食不可」と書いてある看板の外側で食べることにした。あと10センチほど後ろに下がれば雨に打たれてしまうという絶妙な位置だ。これならば、「展望台外で食べている」ということになるため問題はないだろう。
 そうして食後、展望台からあたりを眺めて遊んで、1時間ほど。荷物をまとめて解散となった。なお、この後も家まで歩いたのだが、どれだけ行っても多摩川から離れることができずにいた。気が付けば河川敷に降りていたり、堤にしゃがみこんでいたりする始末。結局その後は無事家に帰りつくことができたが、次からはいつでもどこまでも歩いていけるよう水を4本ぐらい持っていったほうが良いかもしれない。なお、この日歩いた距離は18km弱。思ったよりも少なかった。

桜もだいぶん散り始めている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?