見出し画像

フリースクール活動日記 2024/01/25-靖国神社

 今週の行き先は靖国神社。と内定していたにもかかわらずカッパくんがもの申すとのうわさが流れていたが、結局それは噂で終わった。彼は来ていたなら御嶽山へ行こうと皆を誘うつもりだったようで、それを聞いた皆はああ、それがあったかと手を打ったがもう既にあとの祭り。決定は覆らないのだ。
 九段下駅に集合することが決定し、カッパくんも御嬢も、暗躍していたドクロ仮面も相次いで去っていった。彼らは知らない、その裏で龍角散に「靖国神社内でカタカムナ音読を行うように」と吹き込んだものがいることを。彼らは未だ知らない。その後起こったある悲劇を。
 今日はほぼ全員が集合時間の少し後にそろい、全員で靖国神社に進発する。ここへは5年ほど前に一度来たことがあるのみで、それ以降は全くと言っていいほど近寄ることがなかった。
 当時の記憶も、大展示室で桜花を一心不乱に見つめ、模写していたときのものがあるのみである。
 さて、事前調査として靖国神社のホームページを流し読みしていた僕は、ある事に気が付いた。それによると、遊就館では「館内における写真撮影、模写、録音などは一切禁止」、「玄関ホール、大展示室のみ写真撮影可能」となっている。ちょっとまて。では僕が模写した桜花は、あれは駄目だったのか?
 館内における写真撮影禁止というのは、よくわかる。昨年行った陸奥記念館もそうだった(ただし、このときは「なるべく」写真を撮らないでと言われたにすぎないが)。遊就館には多くの戦没者の遺品・遺影・遺書が残されている。写真にそれが写ると、ほぼ確実にその写真はインターネット上に流れ出るだろう。そうなっては遺族に迷惑がかかる。そして模写・録音禁止というのも一応わかる。戦没者の名前を書き写して持ち出されては困るだろう。小さい頃の僕は知らなかったようだが。まあ、書き写したのが「桜花」だけであったからまだよいだろう。
 靖国神社に参拝し能楽堂付近を眺め、大村益次郎像を見上げながら少しずつ歩を進め、ついに遊就館を目に入れる。大半のメンバーはここに来るのは初めてであったようで、玄関ホールの零式艦上戦闘機や銃痕の残る重砲などを物珍しげに眺めているが、ここはいつでも見られるため、龍角散たちは早くも先へと進んでしまっている。

 そこで僕たちもチケットを買って入ろうとしたのだが、ここでうれしい誤算が。いちおうフリースクールということで、レイセンが掛け合ってみたところなんと学校の野外実習に相当すると認められ、見事チケットがタダに。300円の小中学生はともかく、1000円もかかる大人にとってはとてもうれしかったはず。
 さっそく映像を見て、どんどん先へと進む。この脇にあるという図書館にぜひとも行ってみたいのだ(偕行文庫)。けれども、それはそれとして中も見たい。というわけであちこち巡っていく。展示内容は多いし遺品についても積極的に書きたいとは思わないため、かなり内容は少なくなってしまうが、ある部屋では七星剣をうっとりと眺め、ある部屋では軍艦マーチの流れる中日露戦争、第一次世界大戦やシベリア出兵についての資料などを見る。
 それにしても、こんなに多くの所蔵品があったとは夢にも思わなかった。この前に来たときは、玄関ホールの零式艦上戦闘機に度肝を抜かれ、そのあと桜花ばかりスケッチしていたからやむをえないかもしれないが。
 どんどんと進んでいく龍角散たち。彼らを早くも見失いながらも、いまだにじっくりと見続ける。
 そうして皆から遅れること四半刻、ようやく大展示室にたどり着いた。幸いなことにソースやイマンモ、emmanmoもまだいる。ようやく追いつけた。
 ここで懐かしい桜花、彗星などの飛行機や回天、震洋などを見て回ったが、それ以上に興味をそそられたのが「陸奥」の副砲塔である。もとはといえば、この存在がここに来ようと皆を説得した理由の一つであったりもする。

桜花
九七式中戦車。サイパンで玉砕したようで左側面の装甲版が貫通され、
ほかにも多数の銃痕が残っていた。
陸奥、副砲塔。陸奥記念館のものは屋外展示のために錆びていたが、こちらは再塗装のため非常に見やすい。見やすいのだが……
こちらが陸奥記念館の副砲塔

 昨年陸奥記念館に行って以来、僕は「陸奥」にあこがれ続けている。だから昨年末ヴェルニー公園で陸奥四番主砲身を見たときは思わず狂喜乱舞した。広島や京都にて残存する兵具を見るというのもいいし、柱島へと行ってみるのも面白そうだ。いっそのこと陸奥湾まで行ってみようかしら。
 そんなことを考えている間にも、どんどん差は開いていく。慌てて彼らの後を追って出口に向かおうとして、ふと気が付いた。一階にある展示室、そのほとんどをまだ見ていないことに。
 若干早めに見て回り、出口へと足を踏み入れたのだが、そこには遺品、遺筆の部屋がいくつもあった。そこで遺書を一心不乱に眺めているパイセンに倣って、僕も一人一人遺書の頁を繰っていく。
 部屋のどこかで誰かの携帯電話が鳴る音がする。だが、音とは言っても振動音だけだからあまり近くにはいないのだろう。まったく迷惑だ。そう思っていると、不意にその音がやんだ。ありがたい。
 そう思ってしばらくのち。再びどこかであの音が鳴りだした。またか。迷惑だ。いったい誰なのだろう。そう思ってふと気が付いた。その音は、僕のバッグの中から響いていた。
 あわてて足早に館内を進む。玄関ホールに飛び出して、すぐにイマンモに電話をかけた。どうやら皆、僕を置いて先へ行ってしまっていたらしい。薄情な。やがてやってきたレイセン、そしていつのまにか抜かしてしまっていたらしいパイセンと合流し、皇居へと向かう。このあと吉村昭の「桜田門外の変」でおなじみの外桜田門へも行きたかったのだが、距離的におそらく駄目だろう……桜田門?なぜ行きたいと思ったのだ。桜田門外の変……吉村昭……そこで、気が付いた。すっかりと忘れていた、偕行文庫のことについて思い出した。けれども今思い出したからと言って既にあとの祭り。泣く泣く諦め、ちっとも声をかけてくれなかった龍角散たちへの恨みを募らせていく。
 そういえば、龍角散は結局カタカムナ音読をしないでいたらしい。非常に助かった。そのことについては感謝している。
 前方に見えた集団へと追いつき、そのまま北の丸公園で昼食。非常に風が強く、皆食後すぐに遊び始める。缶蹴りなどから始まって、しばらくしてからはかなり危険な遊びに代わった。そのかくれんぼでは制限時間は5分。その間に鬼は数字を決めておき、その数番目に見つかった人は聞ける頼み事を一つだけかなえなければならないというゲーム。僕は絶対に見つかることがないと考えていたのだが、終盤龍角散に居場所を売られたことで、図らずも鬼の言うことを聞かねばならぬ状態へと追い込まれてしまった。
 そして、鬼が言った命令とは、すなわち「池ポチャ」。この寒いときに、龍角散が入ってきてから一周年を記念してまた僕に落ちろというのか?これで腰までつかれだの池に飛び込めだのと言われた時には拒否するつもりだったが、幸い彼の口から出たのは「足だけでいいよ」との一言。ならばまだよい。のちに龍角散が落ちてくれないかとの一念を胸に、しぶしぶと入水していった。水は、とても冷たかった。

 余談だが、そののちも御嬢に対して「アライグマのように池で手を洗うこと」などといった暴虐な命を数多く出した龍角散は、当然のごとく皆に恨まれている。彼が次の週、なにもされずにいられるかはわからないが、高確率で誰かに池に突き落とされる可能性があるだろう。

そして、この日も元気なドクロ仮面。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?