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吉村昭書斎 2024/03/09-井の頭公園

 当初は昨年11月開館を予定されていた「吉村昭書斎」。実はその更に前には18年度に開館する予定すらあったという。けれどもそれは延長され続け、このままではいつまでたっても開館しないのではないかと疑っていたのだが、ここにきてようやく開館が決定したとの情報を入手した。
 3月9日に開館するというので、できればその日に行きたいと思っていたところ、ちょうどその日に吉祥寺に出る用事があることを思い出した。ちょうどいいと思い、井の頭公園駅まで先に行くことになった。
 すでに建設中に一度様子を見に行ったことがあるために、場所については熟知している。当初の僕の予想では、人だかりができており少々並ばければ入れないだろうという気になっていたのだが、いざ行ってみると人だかりなどどこにもなくせいぜい20名いるかいないかといった様子でしかない。
 もしや建物を間違えたのかと思い一歩引いて見直す。そこには「三鷹市吉村昭書斎」との文字が。

 どうしたのだ。開館初日で、休日だというのに。吉村昭を愛読している人は三鷹近郊にいないのか?少なくとも10分ほどは並ぶことを覚悟していただけにこれにはかなり驚いたが(ただ、この日の開館は13時からだったのでそこでは人気が多かったのかもしれない)、何度眼を瞬いてもその景色は変わらない。
 そのように外から見れば人っ子一人いない建物だったが、いざ入ってみれば幾人かが椅子に座り、また幾人かは立って本を読んでいる。正面は一面本棚で、吉村昭及び津村節子の本がずらりと並べられている。

これは吉村昭のみの棚。
右側にはほぼ同じ大きさで津村節子の作品が並べられている棚があった。

 その中には翻訳本もいくつかある。もっとも、それぐらいは想定のうちであったのだがその対象言語に度肝を抜かれた。せいぜい何冊かが英語、ドイツ語、フランス語に翻訳されているくらいだと思っていたのだがそれに加えて「仮釈放」がヘブライ語に。またそれとは別に「遠い日の戦争」がスペイン語、「水の葬列」がフランス語に翻訳されており、さらに初期短編集の「少女架刑」に至ってはルーマニア語に翻訳されている。
 思った以上に海外にも人気があるらしい。事実、少し後には外国人と思われる人が来ているのを目撃した。このコーナーは無料で入ることができる「交流棟」のなかにある。吉村昭などの本が壁にぎっしりと詰まっているため、図書館の代わりに(図書館では吉村昭は人気で、借りられないことが多くある)ここで読書をすることも可能だろう。この時点でここに抱いた印象は急激に好印象と化していった。
 そうしてその先の有料エリア「展示棟」と「書斎棟」に足を進める。いまは15時40分ほど。閉館まではあと2時間未満。万一居残ることができるようになれば(既存の予定とかみ合えば)、少しでも時間があるほうがいい。早々と見終えて、読書に移りたい。
 そう思って扉を開けると、冷気が吹き込んできた。まさか外に繋がっているとは思ってもいなかっただけに驚いたが、すぐに目の前にある通路に視線を向け足を向ける。それは寒暖差が激しかったからだが、それによって通路の途中にある年表などに目を向けることもなく次の瞬間には展示棟へと飛び込んで扉を後ろ手に閉めていた。

 そこの展示は1年間は変わらないということだが、そちらよりもむしろ隣の書斎棟の方に興味は向いた。昨年行った吉村昭記念文学館にも書斎を復元した場所はあったのだが、そことは違って入ってみたり椅子に座ったりということはできなかった。
 もちろん、それにも理由がある。荒川の記念文学館の方には、本物の蔵書があるもののそれ以外はレプリカであり、従って座ったり歩き回ったりしても何の問題もなかった。しかし、ここは移築という言葉が示す通り建物や家具類はすべて本物であるという。
 あの3メートルほどの高さまでそびえたつ本棚と、それを取るために存在していると思われるはしご、机や椅子などもすべて本物だというのだ。たしかに、よく見るとコピー機の上にコップの跡などが残っている。

床に転がっている資料を覗き込んでみたところ
「高崎藩兵と交戦」などの文字があったため、
この本は「天狗争乱」に使われた資料だと思われる。
左手前のコピー機の上に、コップの跡が二つほど。
もしかすると、これはコップでもなく酒瓶やビールの缶の跡であるかもしれない。

 井の頭公園駅より徒歩3分と立地もよく、加えて駅からは一直線。椅子もありエアコンも完備。中学生までは無料で入ることができるのだし、空いた時間に入り浸ることを固く決意した(といっても、予定が空いていることの多い月曜日が休館だというので月に1回時間を捻出してくるといったことになるかもしれない)。

駅前の地図。中心よりやや左上に表示があった。

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