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旅行記録 2023/08/05-岩国

 今週は奥多摩合宿を3日で終わらせた。ラットの解剖が入っていたためだが、その週の終わりの日曜日、家族で旅行に出かけた。東京から飛行機で岩国。周辺観光の後、屋代島へ向かい宮島へと渡って京都へ行く。5泊6日で予定を組んでいた。
 飛行機に乗るためにかなり早めに家を出る必要に迫られたが、それでも起床時間は5時。合宿のとき4時30分に起きたことに比べれば、楽……そう考えていたのだが、家で過ごした2日間はかなり影響を与えていた。
 合宿から帰り、最早起床時刻が遅くても良いと考えた僕は誘惑に打ち勝つことが出来ず、7時起床を心がけていた。それが2日続くとあら不思議。4時30分に起きるつもりが、実際は5時20分。まだ間に合う。そう自分に言い聞かせて急いで朝食を摂り、鞄に持って行く本を詰めて家を出た。幸い電車には間に合ったが、今後あのようなことをするときには2日程前から起床時間を早めなければならないだろう。
 羽田空港から飛行機で岩国に飛んだ。遅延によって20分ほど出発が遅れたが、それは挽回できる。帰ってくるとき、台風によって動けなくなることがなければ良いのだが。
 ようやく到着した岩国空港にてタクシーを拾い、錦帯橋まで行った。父が昼食を食べる場所を目指していると言った。錦帯橋の前で降りた。起伏が激しく波のような形をしている。1950年までは江戸時代の橋がそのまま残り、歌川広重などの絵にもなったという。
 だが、今行きたいのはここではない。うだるような熱さの中、父の見つけた料亭へと歩き始めた。「半月庵」というのがそこなのだが、歩いても歩いても見えてこない。見えたのは今にも崩れそうな漆喰塗りの建物だけ。
 まさか、ここが?半月庵はとっくのとうになくなっていたのか?でも、父が見つけたというのは?まさかあれは、「真夏の夜の夢」だったのか?
 そう考えていると少し先に「庵月半」との看板が見えた。「庵月半」すなわち「半月庵」。あれだけ探しても見つからなかったものがこんなにも簡単に見つかったために、かえってこちらこそが蜃気楼だと思いもしたが、一歩中に入ってクーラーの効いた部屋で風を浴び、本物だと確信するに至った。
 予約は入れていなかったため、入ることが出来るか半信半疑ではあったが、幸い席が幾つか空いているとのことでそのまま入ることが出来た。
 出されたお品書きを見てしばし迷う。旅館でこれらが出るとは思えないからだ。食べるとするならどれか1つ。最初の方に鰻重(特)というものがあって興味をそそられたが、これならば余所でも食べることが出来るだろうと泣く泣く諦めて、「岩国寿司」のセットを頼んだ。それを見てから父が頼んだのは、なんと鰻重。それも(特)……
 鰻を頼めば良かったと、1人後悔しているとき店員がやって来て「いい鮎が入荷しました。いかがですか」と言った。ついうっかり反射で「お願いします」とは言ったものの不安になってメニューを見てみると、「鮎の塩焼き 価格:時価」とあった。
 時価とは、なんだ。これではいくら請求されるかわかったもんじゃない。僕は皿洗いなんぞまっぴらごめんだ。
 沈鬱な気分を抱えながらしばらく「陸奥爆沈」を読んで食事までの時間を潰す。やがて出てきた食事は想像以上に豪華だった。 岩国寿司を手前に置き、その他の刺身・汁物・漬け物・茶碗蒸しなどが所狭しと膳に置かれている。

 はたして全てを食べられるものかと真剣に始末法を検討してしまったが、母の分を見てみても量は多い。その点、父のものは少なく見える。鰻重と汁物・漬け物があるだけだ。何故、父のようにあれを選ばなかったのか。後悔が渦巻く中さらに鮎の塩焼きが追加される。
 これらはとても美味しかった。心配だった分量も、時間をかけてなんとか食べ終えた。ただ、今度来たときにはもう少し軽く食べられるものを選ぼう。特に岩国寿司を2段はいらない。そう思いながら会計に行き、思い出した。
 そういえば、鮎の塩焼きの代金が未だ明らかにされていない。はたしていかほどか。もしこれで1尾につき数万円などと宣告されてしまえば、皿洗いの最中夜逃げを狙うはめになる。そう心配になっていつでも靴を履いて逃げ出せる体勢となったのだが、幸いなことに請求額はそこまで高くなかった。他の料理の代金を差し引いて考えると、1尾がだいたい1000円程か?安心して、出るときにチラシを何枚か貰っていく。だが、これから後は錦帯橋を渡り、岩国城へ行くのだ。ここに立ち寄ることはあるまい、と思ってあまり気にとめていなかった。そう、少なくともこの時までは。
 一歩外に出るとあの茹だるような暑さがのしかかってきた。それも、先ほど以上。日陰のあるところを伝い、もし今地震が来たならば確実に死ぬな、などと思いながら錦帯橋へと少しずつ歩いて行く。あまりの暑さに耐えかねて急いで先を目指そうとしたとき、ふと目に入ったのが橋の下。ここの川は錦川と言うそうだが、水深が随分と浅い。現に見ている前で小学校入学前と思われる小柄な少年が、川を歩いて対岸まで渡りきった。川の水も深くてその腰程度。入江のようになっているところもあり、そこでは幼い少年少女らが水をかけ合って遊んでいる。
 こんな川が奥多摩にもあれば良いのに。もしあれば僕は決して流されない。水深も泳げば大して問題はないだろう。Χαοσらも川で靴や道具をなくすことはなかったろうに……

 錦帯橋を渡りきり、周辺の地図を見て絶句した。岩国城へはロープウェーで向かうのだが、その終点と城との距離がかなりある。この酷暑の中を歩けというのか?
 岩国城行きは中止となった。そこで過ごす予定だった2,3時間をどうするか考えていたとき、ふと先ほど貰ったチラシのことを思い出し広げてみる。「岩国白蛇」に関する展示があるという。場所は幸いすぐ近くだ。
 地図の通りに歩いて行くと、途中に幾つかの銅像を見つけた。僕としては気になってすぐにでも調べに行きたかったのだが、道から一段上の敷地に立っていたため諦めて先に進んだ。すると、目に驚きの光景が入ってきた!

秘剣・燕返しの体勢か?それにしては、手の向きがおかしいような……

 佐々木小次郎。巌流島で有名。燕返しと呼ばれる技を使ったと言うが、これがその構えなのだろうか。刀を持つ手は左手が順手なのに、右手が逆手。これでは力が入らずに振り抜くことになり、なんともまぬけな行動となってしまうだろう。こんな手で力を込めて振れるはずがないのだが、はてさて。
 僕としてはもうしばらくこの珍奇な銅像を眺めていたかったのだが、なにぶん気温がそれを許さない。逃げるようにして銅像から離れる。自ら熱気を放っているようだ。傍らを流れる川から水が噴き出している。なにごとかと近寄ってみれば何のことはない。スプリンクラーで水が散布されているだけだ。
 その恩恵に自分もと思い近寄ってみるが、残念なことに冷や水を浴びるのは川のみ。涼しげな水音を響かせているその川をじっと見ていると、なんだか淋しくなってきたので泣く泣くその場を離れた。
 そうして岩国シロへビの館へと到着、館内へ駆け込むとそこは冷房の効いた涼しい部屋。外とのあまりの差異に驚き安心して膝から崩れ落ちそうになったが、そこはじっと耐えてなんとか立っていられた。
 岩国のシロへビには色々と歴史があるそう。家族で愛読している漫画「蟲師」。それを描いている漆原友紀さんがここのイラストを描いていることを知ってしまうと、なんだかシロへビも全て「蟲」に見えてしまうが、その分歴史なども読みやすくなった。ある地方では岩の中に棲むシロヘビがおり、そのすみかに冗談半分で枝や石を投げつけると途端に嵐を招くという。またある場所では蔵の中にシロヘビが2匹棲み、鼠などを食べて蔵を守っていたという。更にある地方では、とある武家の門の上にシロヘビが出現。色めきだった家臣に捕まえられて、漢方薬にされてしまったという。
 シロヘビの館を2巡ほどして出たのだが、相も変わらず外は暑い。近くには岩国城行きのロープウェーもあるにはあるのだが、乗り場も冷房がまったく効いていない。そこであちこち動いた挙げ句、柏原美術館へと入った。入口に刀剣展示中とあったためである。
 冷房の効いた館内。1階から3階まであって、1階には国宝の「稲葉郷」という刀がある。かなり有名な刀だそうだが僕は知らなかった。稲葉郷どころかその持ち主の結城秀康すら知らない。
 そのため1階はあまり見ずに―刀の鍔を作るのに1つ3年もかけるということには驚いたが―3階へ上がった。2階へは後で行くことにする。3階には大名が使ったという駕籠や合戦を描いた屏風などがある。それらを見ながら歩いていると、薄暗い中に突然人の顔が顕れた。それも、1つではなく5つ6つ。思わず1歩後退ったが、よくよく見ればそれは絵。この付近にいた亀井伯爵家の肖像だそうな。ここに飾られていることからして、おそらくはもと大名の華族。維新にて功を上げたのだろうとは想像が付く。
 薄暗い中浮かび上がる、意外と怖いその絵を見ないようにしながら、2階へと降りた。そこは刀剣武具が立ち並ぶ豪華な1室。暫く見て回っていると気がつくが、ここの鎧の幾つかは亀井伯爵家が所有していたという。それをまとめて寄付した折、あの肖像画も付いてきたそうな。
 なかでも僕が気に入ったのは壁に多く掛けてある槍やら大太刀だが、父が目を光らせて見入っていたのはそれではなかった。部屋の隅に置いてあった長さ4,5メートルはあろうかという火縄銃。これに顔を近づけて「ライフルだ、凄い!」と驚喜していた。
 火縄銃といえば、かなり精巧なものを同じところで見た。銀製で龍の彫刻がしてある1本の短い棒。けれどもそれをあるやり方で弄くると弾が飛んでいく仕掛けになっているという。よく見ると引き金もあった。たしかにこれは素晴らしいけれども、無用の長物ではないかと思った。長さ10cm程度の、僕のような中学生が握れる棒ではそこまでの弾も火薬もなし。おまけに撃つには何度も複雑な仕掛けを弄くらなければならない。護身用と考えたって使い物にはならないだろう。
 暫く見て回ってから博物館を出ると、暑さはだいぶんましになっていた。けれども外には長時間居たくない。景色も見ずに錦帯橋を再度渡り、バスで岩国駅へと向かう。
 そのまま旅館へチェックインして、温泉へと入る。まだ日が高いからか、先客は誰もいない。心ゆくまで使えたが、それにしたって人が1人も来ないのはおかしい。なにかあるのではないか。そう思い旅館の案内文を見てみると、気がついた。
 「金縷梅の湯へご入浴の際は、当旅館のタオルをご利用ください。100メートル南下すればあります」これだ!恐らく他の客はこちらへ向かったのだろう。こちらも良い湯なのだろうが……温泉を心ゆくまで使えた方が良いだろうに。さらにもう一つ。「金縷梅の湯」は銭湯だ。おそらくはこの近所の人も混じって混雑していたであろう。こちらも使ってみれば良かったのに……
 豪華な夕食を食べ、就寝準備に入るもまだ8時になっていない。


けれども夜更かしなどすれば翌日起床に支障が出るのに間違いはない。布団に潜り込んで就寝。明日は早い。今朝のようになってはいけない。

‘今回持っていった本’
吉村昭「陸奥爆沈」
坂口安吾「堕落論」

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