ぐらしあすの「エネルギーの偏差値」

仮に一般的に人間のもてるエネルギーの基準を100(偏差値で例えると50)とする。一般的に精神的健常者(こころのしんどさがずーと続く人との境目は明確ではないが)とぐらしあすの場合は、もてるエネルギーの量・質が異なると思う。まずまず毎日130で頑張り続けることが可能な人はいないだろう。服薬が必要なく、世間の風当たりを受けながらも日々頑張っている人のエネルギーを仮に100とする。その人たちは日々、仕事、家庭、経済事情云々で、70から120くらいの幅で生活しているとして、50や60の時に休息やリフレッシュで70・80・90・100・110と回復出来る人は多いと思う。そういう人たちは、エネルギーの充電が可能であるということである。一方、ぐらしあすは、たいてい毎日が50・60・70であればしめたもの。しかしながらすぐに30・40に下がってしまう。このあたりの数値が続けば続くほどあっぷあっぷし始める。対人関係、ストレス、経済的な事情などで疲弊しやすいから。そしたら休息をとってエネルギーの充電ができるかといえば、できるとは言い切れない。例えば、もろもろのストレスから離れて入院をしたとして、院内ではゆったりまったりした時間が流れる。せっかくだからゆっくりしようとはなかなか割り切れずに焦る気持ちが顔を出してくる。充電するための休息が、結果としてそこそこの充電となって退院する。おそらく充電する機能が弱いのだろう。それを補うために抗うつ薬(SSRIでセロトニンの放出を促し再取り込みを防ぐ)を服用するも、50・60・70になればよし。意欲が出るように改善するための抗うつ剤の効果がなく、かつ不安が強ければ、抗不安薬を服用する。しかし、抗不安薬はその名のごとく、不安に対しては効果はあるも、残念ながらエネルギー充電機能はない。ぐらしあすはある意味薬の限界を感じる。そうであれば、充電機能を充実させていくしかない。ものの見方、感じ方、それに対しての行動などそのあたりを改善していくことで、充電のキャパは増えるのではないか。認知行動療法を受けたことはないが、自分の特性を知ろうとし、いまさらながら徐々にわかりつつあるような気がする。要は自分を知り、特性を生かすことなのかな。なんて理屈ではこのようなことを書いているけれど、なかなか実践するのは難しく、いったんついたこころのいろを、変化させるのは容易ではないな。自分の行動でよかったことを、1日に一つ数えていきたい、いこう。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。