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派遣社員で働いていた時のお話①

もうかなり前、派遣社員という働き方がやっと定着しつつある頃の事。長く働くのなら正社員になれば良いという考えで、派遣社員では最長1年短いもので1ヵ月強(繁忙期)という契約で働いていました。最長1年働いたのは省庁外郭団体、在職中の外交官のご主人を亡くした方の初めてのデスクワークをサポートする仕事、でもその方は仕事内容に馴染めず短期間で辞めてしまった。そしてそのまま仕事を引き継いで契約続行。辞めた方、アラ還より少しお若いかな…の未経験者、確か住居も仕事も用意して貰えて…なんて贅沢な。と周りは思っていました。そういうのも負担だったんでしょうね。末端の事務作業など…住む世界が違いすぎ…それまで飛行機はファーストクラスでなんてお話聞いてましたから。私はいつも自力で荷物クラスです😁でもセレブ生活の話を聞くのは楽しくて好きでした。他にも元華族の契約職員さんとか居たり。
そしてその職場には、生前の高円宮殿下が嘱託職員としてご公務のない時は勤務されていたのです。同じ部のお隣の課で。SPさんはビルの玄関迄、通勤はご自身で愛車を運転していらした。一度だけエレベーターにご一緒する事があって、もうそれは紳士的にドアを押さえて下さった。貴重な体験。長年の同僚の皆さんは高円さんとお呼びしていて(それ以外は「殿下」とお呼びするのが一般的でした)、まだお小さかった女王様方の事も良くご存知で、また女の子とか茶化して楽しそうにお話されていました。一番仲良しさんはアメリカ人の英文校閲さん、楽しそうでした。話は飛びますが、その英文校閲さんすっかり日本人化していてオリンピック開催中に里帰りした時、しっかり日本を応援していたと嬉しそうに言ってました。能狂言にも精通、同じ課の若手職員さん達と当時松濤にあった能楽堂へ観劇に連れて行って貰い日本人の私達が説明を受けるというちょっと気恥ずかしくも楽しい思い出です。
殿下のお話に戻ります。オーラも存在感も素晴らしく、いらっしゃるだけでとても良い緊張感。何かのパーティーが確か会議室であった時もそこに出席させて頂いて良い経験でした。
最後に本当に残念だったが殿下との記念写真が撮れなかった事。派遣契約が終了する時には殿下と記念写真を撮って頂けると聞いていたので私もお願いしていたのですが、その頃ご公務で長い期間ご出勤なさらずに叶いませんでした。
その後、まさかあんなにお若くして急逝されてしまうとは残念でなりません。今もし居て下ったら今上陛下御一家にどんなにお力を頂けた事か…。

“再度追記です。英文校閲さんと仲良くお話されていたのは英会話のレッスンの意味もあったのかしら、と思います。”


お写真を見つけましたので
追加掲載しました。

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