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もっと、自分本位。

NYにいたとき、ハプニングは常につきものでした。そしてそれに付随ふずいする「ごめんなさい」という謝罪の言葉。

日本とは異なる環境の中で、本当に発するべきときとは?外国人が頻繁に言わないのはなぜ?度重なる出来事の中で、いつしかそんな疑問が大きくなっていきました。

◆”私のせいじゃない”けど…

8月下旬のNYFWニューヨークファッションウィーク直前のこと。朝から何本ものオーディションをこなし、その日一番モデルが集まるであろうオーディションの列に並んでいたときの出来事です。

私が受付に行くと、受付済みのモデルはすでに200人超え。会場はビルの最上階にある小部屋でしたが、その入り口から階段づたいに並び、さらに下のフロアの廊下をぐるっと1周しても収まらないほどの、長蛇の列ができていました。

”出た、FW名物…!”と呆気あっけにとられながらも、私も観念して並び始めました。

数十分もすると、モデルたちは待ち時間に疲れ(NYFWで何が疲れるって、オーディションを受ける際に発生する長すぎる待ち時間だと思う!)、皆立っていられず、床に座り込んで喋る者、ゲームをし始める者、うとうとと眠り始める者…私も携帯をいじりながらひたすら待ちました。

待ち時間も2時間を超えたとき。マネージャーから、一通のメールを受信しました。その本文には「GO FITTING」の一言とともに、行き先の住所が書かれていました。オーディションに並んでいることを返信すると、「フィッティングが入っていた。オーディションはいいから今すぐに向かってほしい」と返信がきました。どうやらフィッティングの予定を私に伝え忘れていたようでした。

状況を把握し急いで向うと、到着した私に飛んできたのは「もう30分も遅れてるわよ」という現場の苛立ちを含んだ声でした。”私のせいじゃないのに…”そう思っても、このときの私は「マネージャーが伝え忘れていた」という事実を口にすることはしませんでした。代わりに「遅れてごめんなさい」と謝ったことで、遅刻は私の失態となり、気まずい空気のままフィッティングをすることになりました。

◆一番大切なのは自分自身

また別の日の話。NYでは仕事があると、前日夕方に事務所からメールが送られてくるのが常でした。連絡がなければお休み。その日も前日には連絡がなく、休みと思って遅めに起床し、いつものように携帯を開くと…

マネージャーから怒涛のメールがきていました…!

システムエラーのため、前日の夕方にメールが送られていなかったとのこと。そして私には今日、朝から仕事が入っているとのこと。。

記載してあったコールタイム(集合時間)を確認すると、起きた時点ですでに過ぎている…!慌てて準備をし、泣きそうになりながらスタジオに向かいました。こんなときに限って行きにくい場所、ニューヨークの西側にあるスタジオ、Pier59でした。

大体の所要時間をマネージャーに連絡すると、「わかった!電車の遅延で1時間遅れだって伝えておくね!」と言われました。

電車の遅延…!?

ニューヨークって、余程中心から外れていない限りは移動するのに時間がかからないし、電車が遅れてもバスやタクシーで乗り継いで行けるから、1時間も遅れるってありえないこと。。多分、いや絶対、ただの寝坊だって思われる。。。

案の定、着いたときのスタジオの空気は酷いものでした。。システムエラーとはいえ事務所の失態で、”私のせいじゃないのに…”。

マネージャーが電車遅延という理由にしたのは、事務所としての信頼を失わないためだったのかもしれません。ですが、その日1日を現場で過ごさなければならない私にとって、その場の空気はあまりにも重たいものでした。

耐えられず、スタイリストの女性にだけこっそりと本当のことを打ち明けることに。彼女がどう受け止めてくれたのかはわかりませんが、もやもやとした気持ちを吐き出したことで、私自身の気持ちは少し軽くなりました(打ち明ける前から、彼女があっけらかんとした態度で接してくれていたのを覚えています。その空気にとても助けられました)。

また撮影が始まると、皆の表情も段々と変わっていきました。順調に進み、遅れた時間を取り戻せたことが、皆の気持ちを多少はマシにしてくれたのかもしれません。

遅れてしまった事実は、例え自分が原因じゃなくとも、変わらない。だからこういう時こそ、現場での頑張りで返していくしかないんだと実感しました。

その日は結局、マネージャーからは特に謝りの連絡はありませんでした。彼らからしたらシステムエラーが原因で、自分たちのせいではないという考えだからかな?もしくは、謝ってもどうにもならないから、ということ…?それともただ単に忙しくて忘れている?
そんな推測をしたのは、ひとまず謝って場を収めるという日本独自の習わしの中で育ってきたからかもしれません。それとは全く異なるアメリカでの対応に、当初は疑問と違和感しかありませんでした。

しかし暮らしていく中で、仕事でもプライベートでも”自分の身は自分で守る”ことの大切さをひしひしと感じるようになり、考え方も徐々に変わっていきました。

”私のせいじゃない…”いつも心の中で思っていたけれど、思っているだけでは目の前の状況は変わらない。日本で培ってきた「空気を読む」ことは、自分に不利に働くこともある。

私はいつしか、何かあったときには正直に、時には自分を守るためにちょっぴり嘘もついて、物事を伝えるようになりました。

たとえ事務所のミスであったとしても、当日現場の空気をダイレクトに受けるのは自分。それでパフォーマンスに影響が出るくらいだったら、自分を優先しようと決めたのです。

また、ハプニングへの対応に疑問を感じたら、率直にマネージャーに投げることにしました。どうしてこうなったのか、次から起こらないようにはどうしたらいいのか。そういうやり取りをしていると、ときには気まずい空気になってしまうこともあるけれど…それでも、疑問を解消せずに何かを思ったり溜め込んだりして、お互いを信用できなくなるよりはいいと考えたのです。

ちなみにその後もシステムエラーはあり、同じようなことが起きましたが…一度経験している人間は強い!笑。もはや慌てることもなく、淡々とこなしてしまいました。
NYの突拍子もない出来事のお陰で、「またか!」「出たな!」と笑い飛ばせることが多くなったように思います。

◆「〇〇できなくてごめんない」

「謝ってしまったら、自分の非を認めてしまったことになる。たとえ、自分に非がなかったとしても。」そんなことに改めてアメリカで気づいた私は、謝りの言葉を発することについて考え、二つの場合において謝ることをめました。

一つは、前述したエピソードのように、自分自身に非がないとき。

そしてもう一つは、自分にできないことがあったときです。

二つ目の具体的な例としては、外国人相手の英会話でよくやっていたことでした。
今までの私は、自分の辿々たどたどしい英語が恥ずかしくて、流暢りゅうちょうに喋れないことに劣等感を抱き、よく彼女彼らに「英語が下手でごめんね」「流暢に喋れなくてごめんね」と謝っていました。

でも、それってどうなんだろう?と。

アメリカで生活をしていたとき、様々な人を見てきました。もちろん流暢に話す人もいたけれど、そうじゃなくてもコミュニケーションを取れている人はたくさんいました。どうしてあんなに楽しそうに会話ができているんだろう…?

おそらく問題は言語なのではなく、伝えようとする姿勢かなと思います。英語ができないから謝ろう…ではなくて、どうやったら伝わるか考えたら、簡単な英語だっていいし、ジェスチャーだっていいし、そこに表情が加わればもっといい。

中にはどうしても会話が続かない人がいるかもしれないけど、そういう人はそもそも相性が合わないだけの可能性もある。日本人同士でも苦手な人がいるのと同じことなんだって思ったら、気持ちがすっと楽になりました。

「英語が下手でごめんなさい」と伝えることは、必要か?
伝えたところで、相手からしたら「じゃあどうしたらいいの?」って話だし、そもそも言われて嬉しい言葉じゃないような。。言われなくとも母国語の人からしたら、どの程度喋れるのかなんて会話した瞬間に分かります。どうしたら目の前の人とコミュニケーションが取れるかを考えて、「少しゆっくり話してほしい」などとお願いをする方が得だなと思いました。

逆の立場で見ていると、日本に来ている外国人モデルの子達は、日本語ができなくて「ごめんなさい」とは言わないのです。「ちょっとだけできます!」と言って頑張って話してくれるのがどんなに嬉しいか。そんな様子を見ていて、謝罪よりも伝えよう話そうとする気持ちの大切さを改めて思いました。

無駄に謝らない。謝ることで自分を卑下しない。それよりも、ちょっとでもできることを自信に思う。そうやって生きていた方が、人生楽しそうだなと思って今に至ります。「ごめんなさい」より、相手が喜ぶ言葉を使っていきたいです。

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