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自分を止めているのは自分

やりたいことがあるなら、ときには周りに反対されても、一度は自分の意思に従ってやってみる。そのことで得られるものが必ずあると思っています。

「モデルとしてどこか海外でやってみたい」始めた頃に漠然と抱いていた想いは、幸せなことにNYの地で叶うこととなりました。
しかし、叶ったと同時に待っていたのは、選択の日々。毎日が決断の連続でした。果たしてこの決断は合っているのか、悩みすぎて辛くなることもありました。今回はその中でも、日本とNYを行き来していたことで起きた、特に印象に残っているエピソードをお話しします。

◆やりたいことは何度だって伝える

私が海外でモデルをやりたいと伝えたとき、特に反対されたわけでもないけれど、積極的に行ってほしいと勧められたわけでもありませんでした。

けれど、なぜだか自分でもわからないくらいに、どうしても行きたい。どうにか行く方法はないのかと事務所に何度も相談しました。最終的には「絶対に行きたいんです!」と事務所の入り口に座り、困惑するマネージャーに向かって泣きながら話したことを覚えています。

当時の私は日本人部のマネージャーに面倒を見てもらっていましたが、相談した結果、海外事情をよく知る外国人部に繋いでもらえることに。

物は試しと、海外の幾つかの事務所に資料出しをしてもらいました。が、全滅。どこの国の事務所からも返事はありませんでした。
そこから半年間かけて写真を一新し、二度目の資料出し。ここでようやくシンガポールの事務所と契約を結ぶことができ、相談から1年以上の時を経て、初めての海外挑戦が始まりました。

1ヶ月半のシンガポール滞在で得た仕事の写真を手に、次はNYへ。約4年間のNY生活が始まりました。

NYではハプニングの連続。今までやってきたことが通じないなんて当たり前、苦手な英語でのトラブルや、そもそも異文化の中で長期滞在することも初体験という、初めてづくしの中でのモデル業。自分で選んだ道でしたが、今思うと全く準備が整っていませんでした。

途中で突発性難聴になり撮影中の指示が聞こえなかったり、片足だけむくんで靴が履けなくなったり…ストレスは体にも顕著に現れました。
しかし今となっては、それ以上に価値のある経験をしたと心から言えるくらい、とてもいい時間でもありました。

◆「NYには行くな」

そんなNY生活3年目。帰国していた私は、日本の事務所の社長から、初めてNY行きを止められました。それは、日本での仕事がなくなってしまうことを心配したものでしたし、プライベートの事もおもんぱかっての言葉でした。

しかし当時の私にとって、NYに行かないという選択肢はなかった。。こうと決めたら一直線、周りが見えなくなる性分でした。

日本の季節は冬、12月。2月から始まる秋冬のNYFW(ニューヨークファッションウィーク)に挑戦すると決め、年明けの出発に向けて準備をしていたときのことでした。

実は、毎年9月に開催されている春夏のFWには挑戦していたものの、NYの事務所からは早い段階で「ショーより広告の方が向いている」と判断され、「ショーが終わった頃に来てもいいよ」と言われていました。広告の仕事ができることはとても良いこと(モデルとしては最高の褒め言葉だったかも)ですが、当時の私はショーモデルのリストから外されたと思ってショックを受けました。

FWでは、最初のシーズンで大きなブランドのショーに出れなければ2シーズン目からは相手にされないという話も聞いていた私は(実際にオーディションでは、何シーズン目?とよく聞かれました)、1シーズン目の思わしくない結果から、秋冬のFWを諦め、スキップしていました。

"きっと受けてもうまくいかないし。。"

けれど一方で、”本当に受けてみなくていいのか?”と心のどこかで引っかかりも感じていました。

そこで日本のマネージャーに相談。話し合いの中で「もし一度も受けなくて、あのとき受けておけば良かった…と後悔するくらいだったら、受けといた方がいいんじゃないかな?」と言ってもらい、ようやく挑戦する決心がつきました。

社長にNY行きを止められたのは、そんなとき。長年悩んだ末に決断したことを再び方向転換させるのは、当時の私にとっては酷く難しいことでした。一度ならず二度三度と話をしましたが、私が考えを変えることはなく、結局最後は喧嘩別れのような形でNYに発ちました。

◆可能性を潰していたのは自分

初めての冬のFW。

結果、10本のショーを歩くことができました…!今までやってきた9月の結果からは考えられなかった本数で、自分でも驚くくらいでした。決して本数が大切とは思いませんが、やはり様々なブランドに必要としてもらえたことは素直に嬉しく、自信にも繋がりました。挑戦してみて良かった…!心からそう思いました。

ショーシーズンには、同時に広告のオーディションが動くこともしばしば。1日に、ショーの本番→(別のショーの)フィッティング→広告のオーディション→(さらに別の)ショーの本番、なんていう過密スケジュールになることもありました。お陰で、シーズン終わりからすぐに広告の仕事に移ることができました。

そうして仕事をしていると、あっという間に2ヶ月が経過。そろそろ3月に開催される日本のFWに向けて帰国する時期。そんな私を待ち受けていたのは、NYの社長からの思わぬ言葉でした。

「3年間頑張ってきて、AMIには今、波が来ている。この波に乗るべきだ」

初めて、日本への帰国を考え直すように言われたのです。今までも帰国直前で仕事が決まってしまい、多少滞在を延長することはありましたが、帰国しないでほしいと引き留められたことはありませんでした。

私は突如として言われたこの短い、しかし重みのある一言を信じ、数ヶ月間の予定だった日本滞在をぎゅっと縮めて2週間に変更。日本のFWを終えると早々にNYへ戻りました。

そこから1年、私は本格的にNYで暮らすこととなります。様々な撮影を経験し、自分では想像もしていなかった仕事までいただくことになりました。そしてある意味それは、私生活を全てモデルに捧げるようなものでした。バランスよくこなすということができなかった当時の私は、今まで以上にモデル業に全力投球したのです。

そうして日本に帰ると、「よく頑張った。あそこでNYに行かなかったら、あれらの仕事はきっと経験できなかっただろう」と当時NY行きを止めたことを謝られてしまいました。
確かに私の中では、あの決断は間違っていなかったと感じていました。FWをやり終えたときの”挑戦して良かった”という気持ち、そしてNY事務所からの言葉が、それを確かなものにしてくれました。

しかし、心配してくれていた意味も、全てが終わった後にようやく理解することができました。

おそらくどちらを選んでも間違いにはならなかった。だからこそ、最後は自分の意思を優先しました。結果的に、心配されていたプライベートでは大切なものを失ってしまったのも事実。けれど、それも自分が決めたこと。自らが決断したことならば、たとえどんな結果になっても受け止めて前に進むことができるということも、このときの決断を通じてわかったことでした。

”自分を止めているのは自分”

NYFWは最初のシーズンがダメだったらダメ
ショーの時期に来なくてもいいと言われている
私はショーに向いていないし…
春夏と同じ、秋冬だってきっと上手くいかない

様々な理由を挙げて、私も自分を止めていたんだと、まだモデルを始めたばかりに教えてもらったこの言葉を、初めて、身をもって理解できたような気がしました。

「誰かお前の邪魔をしている奴はいるのか?なんだかんだ理由をつけて止めているのは、お前じゃないのか?」

私の中で、決断に迷ったときや前に進めずに足踏みしているときに反芻はんすうしている言葉です。

モデル業は決断の連続です。決断の際には、助言をしてくれる人もいます。それは本当に自分のことを想っての発言でもあるし、もしかしたそうではないのかもしれない。けれど、もしその言葉を受け取ったとしても、最終的に判断を下すのは自分です。

誰かが「こうした方がいいよ」と言ってくれても、それがそのときの自分の意思と反しているなら、遠慮なく「ノー」と言っていいんだと思います。経験したら、そのときにもらった意見も後々理解できるかも。けれどやってみなければ、引っかかりをいつまでも心に抱え続けることになる。

私は、あのとき思い切って自分の意思を通してみて良かったなと、今も思います。そして、理解するのにはだいぶ時間がかかってしまいましたが、当時の社長のあたたかさも身に沁みてわかりました。

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