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モデルが実践する、声なきコミュニケーション

一見すると個人が目立ちがちなモデルの仕事ですが、実はチームワーク必須の職業。撮影クルーと協力するのはもちろん、複数人で撮影するときには同業種であるモデルとも。

しかし、撮影中にモデルが声を発することはほとんどありません。大抵は無言でポージングをします(まれに叫びながらの撮影もありますが笑。気になる方はnote「誰よりも前に出ることの大切さ」をご覧ください)。
その中で、一緒にいるモデルとどのようにコミュニケーションをはかるのか…それを学んだのはまだモデルを始める以前、私が大学生のときにまで遡ります。

◆コミュニケーションに必要なもの

学生時代は、舞台に立ちたいという想いから、ダンスに明け暮れる毎日でした。ジャズやバレエ、社交ダンスといった数あるダンスの中でも、特に大きな変化をもたらしてくれたのは、大学で専攻していたコンテンポラリーダンス。

コンテンポラリーダンスの授業と言っても、4年間のうちの大半は、踊ることよりも体作りをメインで行なっていました。それも、強靭な肉体を作るといったものではありません。「力んだ体ではダンスは踊れない。逆に、力の抜けた体はあらゆる動きに対応できる」といった先生の説明のもと、体から余分な力を抜くためのワークショップが始まりました。

授業で言われたのは、呼吸、呼吸、呼吸。
呼吸が、余分な力を抜くために最も意識するべきものだということでした。

寒空の下、スタジオの外に出て何十分も寝っ転がったり、90分間休みなくジャンプし続けたり(これがめちゃくちゃしんどい!)…常に呼吸に意識を向けながら、あらゆることを体験しました。
(この一風変わった授業は、ガラス張りのスタジオによって行われていたため、廊下を通る他学部の学生からは”変わった人間の集まり”として見られていました。。)

中でも特に覚えているのは、十数人が一斉いっせいに目を瞑って後ろ向きに歩くというもの。ゆっくり歩くこともあれば、スピードアップして、半ば走るようになることも。

目を瞑りながら、しかも後ろ向きに歩くというのは、実際にやってみるととても怖い行為です。”ぶつかったらどうしよう””痛いのは嫌だ”最初はそんな気持ちばかりが頭の中を駆け巡ります。

その恐怖をどうやって回避するのか。そこでも重要になってくるのは呼吸でした。

先生からは「自分の呼吸を意識しつつ、相手の呼吸を感じとればぶつからない。けることができる。万が一ぶつかったとしても、痛くない。」と言われました。

最初はみんな半信半疑。目を閉じ、おずおずと歩き始めます。

一番の情報源を封じられたことで、音や空気の流れ、自分の呼吸にいつも以上に意識が向きます。ちょっとまされたような感覚。
すると、最初は強張っていた身体からだも、徐々に緊張がほぐれて柔軟になっていきます。

慣れてきた私たちは、次第に歩くスピードを速めていく。すると今度は、他の人とぶつかることも出てきました。
しかし驚いたことに、それはまさに先生の言った通り、呼吸とともに動いていると意外にも衝撃は軽く、とんっと当たったかと思うと、またそれぞれがそれぞれの方向に流れていくのです。一瞬のうちに、相手の呼吸や空気の流れを感じ取っていたのかもしれません。

こんな奇妙で不思議な体験を繰り返すうちに、最初はわけがわからずに続けていた私も、動くことに関して、いかに呼吸が大切な役割を果たしているかがわかるようになりました。

そんな忘れがたい大学の日々から数年後、私はモデルとなります。いつかダンスをやっていたことが活かされますように…そんな私の小さな願いは、思いもよらぬ形で叶うこととなりました。

◆呼吸の合う撮影

撮影の仕事が多くなってきた頃、ついにソロだけでなく、他のモデルと一緒に撮る機会ももらうようになりました。それは2人から始まり、3人、4人…多いときには20人近く集まるものもありました。

複数人での撮影ってとても難しい。誰かが良くても別の誰かが良く写っていない、そんなことばかりで、特に3人以上は難しいなという印象でした。

そんなとき、ある撮影でハプニングが起こりました。今までモデルと組んできた中で、初めてはっとした瞬間。複数人で撮影した際、1人だけ、とても撮影しやすいモデルがいたのです。

なぜだろう、その子と撮影するときは、すごく自由に動けるのです。複数人でのカットがあり、それぞれのソロもあり…そんな流れの中、2人で撮るカットが回ってきたときでした。セットに入って「お願いしまーす!」と始まった瞬間から、私はいつもと違う空気を感じ取りました。

やりやすい…!

それは多分、その子が私の空気を感じ取って受け入れてくれたから。私はこの瞬間、大学の授業を思い出しました。呼吸が合うってこういうことか、と。
お互いに過度な緊張や戸惑いがなく、また単体としてカメラの前に立つのではなく、2人で1枚の絵になるように、まるで溶け合うように、ポージングがパズルのように全て合致した時間でした。すごく楽しい…組みでの撮影で初めて生まれた気持ちだったかもしれません。

逆に、一緒に撮っていても、個人主義よろしくのように動きがバラバラになってしまうことは多々あります。そういう時は大抵、お互いの空気を受け入れていないときです。そういった撮影でいい写真に持っていくことは、本当に難しい。”あれ?なんか気まずい。。””相手がどうしたいのか全くわからない”そんなときはポージングが噛み合わなかったり、中々OKも出なかったりと大変です。

最初に動いてみてお互いの呼吸を感じる、じゃあ私はこうしてみよう、それに対して相手が乗ってくる、それに私がまた乗る…そんなリズムの生まれる撮影は楽しいし、被写体が楽しければ必ずいい写真になります。

引き出しの多さからくる自信も、要因の一つだったかもしれません。色々な経験をしている人ほど、自分にはないものを面白がって取り入れてくれる、相手を受け入れる空気を持っていると感じます。

◆自分に嘘はつかない

もう一つ、コンテンポラリーダンスによって体に染みついたことがあります。それは、自分の動きに嘘をつかないこと。

卒業制作に向けて動いていた、大学後半の2年間。毎回、授業で一人一人のダンスを発表する時間がありました。
その際、”この曲はこの部分で盛り上がるから、そこではこういう動きをしよう”などと考えて踊ろうもんなら、即座に「今考えて動いてたでしょ」ととがめられていました。「鈴木さんは15分全てを即興で踊るように」卒業制作で行なうソロダンスに対してこのように言われていたため、振り付けはもちろん、先を考えて踊ることは一切許されていませんでした。

数秒先のことを考えて動いただけで指摘される日々。

全ては自分の呼吸に従って、毎回流れるいつもと同じ音楽にも、たった今初めて聞いたかのように新鮮な気持ちで臨まなければいけない…私にとって、とても難しいことでした。

しかし、いや、「だから」でしょうか。モデルの仕事でポージングをするときに、次はこうしようと考えて動くと、決まって不自然でどこか堅苦しさのある写真になります。自分の気持ち的にもしっくりきません。
反対に、先を考えず自分の呼吸に従って体を動かすと、ポージングも収まりどころがあるから不思議です。

また、現場のクルーから難解なポージングを指示されたときも同じ。一旦指示通りの形は作りつつ、自分の中でカチッとはまる、不自然に感じないポージングまで落とし込むようにしています。これをせず違和感を持ったまま形だけ続けると、やはりどこか堅さのある写真になってしまうことが多いです。

そして最後に、これはポージングに限らずですが、”何度やってみても上手くいかない…”そんな気持ちになってしまったときは、一度呼吸をすることにしています。息を吸うんじゃなくて、口から思いっきり吐いてみる。そうすると、ふっと全身の力が抜けて、表情までも良くなったりします。

集中すると、自分でも気がつかないうちに息を止めて力んでしまうものです。なんか上手くいかない…そんなときは諦めるんじゃなくて、一度「できなくたっていいじゃん」くらいの気持ちで力を抜いて、指示からも勝手に抜け出して動いてみる。肌感覚ではありますが、大抵はそんなときにいい写真が撮れているなと感じます。

◆無駄なものなんて一切ない

大学時代のこの4年間は、正直辛いものでした。やってもやっても、たどり着かない。やがて私は、コンテンポラリーダンスが苦手になってしまいました。

けれどこのときの時間が、今まさにモデルという仕事において活きていると断言できます。どんな経験も、全く別の仕事や趣味・環境に移ったとしても無駄にはならない、全ては繋がって、生きていく上での糧となっていると感じます。

モデルの経験もいつか、何か別の形に姿を変えていく日が来るのでしょうか。そう思うと少し、未来に対する希望が持てるように思います。

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