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みんなちがってみんないい世界へ

公園へ向かう道すがら、黒いスーツの一群とすれ違いました。大きなホールの入り口に立ててある看板が目に入り、涙が込み上げてきました。「津久井やまゆり園事件追悼式」を終えた人々の列でした。
その時ふと、身体に障害(あまりこの言葉を使うのは好きではないのですが)を持つ国会議員が2名誕生したこと、彼らを誕生させたリーダーの「生産性で人間の価値をはかる社会。(それを終わりにしよう、やめよう。)」という言葉が頭に浮かびました。

私は世間で言う「生産性」などほとんど無い人間です。(そのように信じてしまっている部分があるというのがより正確かな。)同時に人の「生産性」なんてはかれるわけもないと強く思います。

私たちの多くはいつの間にか自身の生産性を高めないと生き残れないという観念にとらわれ、それに常に追われるようになり、走っても走っても何処にもたどり着かない車輪の中をくるくる廻る鼠のようになってしまったのかもしれません。ある意味この事件の加害者も被害者もこの観念の犠牲者と言えるのではないでしょうか。

最近、詩人の金子みすゞの「みんなちがってみんないい」という言葉を読むと、本当にそうだ。。本当にそうだ。。。と思うのです。みんなちがうからこそいいのだから比べたり競うものなど何一つ無く、「みんな」がそれぞれ「いい」。そうであればこの社会は自然にそれぞれが尊重し合いおぎない合うための場所になります。あえて生産性という言葉を使うのであれば、そのような場所では助け合いそのものが生産であり価値です。より多く助け合うことが生産性が高いことです。

私はここがそのような場所であって欲しい、そのようにするために生きていきたいと思いました。

このような事件が二度と繰り返されることのないように、そして被害に遭われた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。