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ブラック企業から解放されるために必要な思考


新卒で入社した会社を4ヶ月で辞めた。
結果、これは私の人生の中でも「よくやった!」と最大級に褒めてやりたい決断になった。

ブラック企業に限らず、
自分が置かれてる環境と合わないなって思ったらそっと離れる事が良いのだと大きな学びになった。

ただ、また同じ状況に置かれた時
同じようにスッと離れられるかちょっと自信はない。

あの時はなんかもう衝動的に「辞めよ!」って決めたから。
辞めるって決めた前日までは周囲の「辞めなよ」っていう声を「うーん…まぁタイミングでね」なんて返してたし。

要するに、私の英断は偶発的なものだったということで。
じゃあその偶発的なものを自分から生み出すためにはどんな思考があったら良いかなって事をいくつかピックアップしてみた。

自分が自由に選べることについてのみ善悪の判断をする

これはストア派の哲学における中心にある考え方らしい。

自分の自由にならないもの、
自分が選べないものと、
自分が選べて自由にあつかえるものをはっきりと分けてしまいます。
そして、自分が選べないものに対して善だとか悪だとか判断するのならば、
その善悪を誰かのせいにしたり憎んだりすることになります。
それは不正なことです。
哲学書100冊から世界が見える!
白取春彦 著

❶ 自分で選べないもの(扱えないこと)
=自分の所属する企業がブラック文化であること
❷ 自分で選んだもの
=その会社を就職先として選んだこと
❸ 自分で自由に扱えること
=毎日「辞めない」という選択をし続けていること

と、このように方程式を立てたとして、
❶の善悪は判断せず、
❷、❸の善悪を判断しろということになる。

……悪だね

たしかに辞められなかった時の自分って結構他責で、
「会社が悪い」「上司が悪い」って思考を巡らせてたかも。
いや実際、ブラック企業なんてものは会社が悪いし上司が悪いんだけど。マジで撲滅してくれ。

でも選択という観点でいうと
「辞めない」を選択し続ける自分に責任があるよね。

生きることの最大の障害は期待を持つということ

これはローマの哲学者のセネカの道徳論集に書いてあった言葉らしい。

生きることの最大の障害は期待を持つということであるが、
それは明日に依存して今日を失うことである。
道徳論集
ルキウス・アンナエウス・セネカ
(茂手木元蔵訳)

明日に依存して今日を失うとか、
身に覚えがありすぎるんだよな〜〜!

毎日そんな感じ。
明日やればいっか〜って。

ブラック企業にいた頃の口癖が
「絶対2年後に辞めてやる」だった。

今ブラック企業に勤めてる友達とか似たようなこと言ってて、
「辞める」って手続きとかエネルギー使うから結局億劫になっちゃうんだよね。

明日か数年後かわかんないけど、
未来の自分がなんとかしてくれるっしょって期待して、
今日を失っちゃうんだよね。

私が元々いたブラック企業は社員ブログとかが結構潤ってる感じでたまに覗いちゃうんだけど、
同期の子とかが未だに「こんなことで叱責されたけど学びだった!」みたいな自己肯定感の低い文章書いてるのみると、
もし今そこに自分がいたら?ってゾッとする。
※同期が今幸せかどうかは私の知ったことではないから辞めるべきか辞めないべきか、という話ではなくて、私にとってはそんな文章を書かさされる環境にいることは不幸なことなので。

ブラック企業を辞めて、
手にすることができた1番価値のあるものは時間

私にとって幸せじゃない環境でこの2年を過ごさなくてよかった。
手に入れた2年間はとても幸せに穏やかに過ごせた。

時間は無形なものであり、肉眼には映らないから、人々はそれを見失ってしまう。それゆえにまた、最も安価なものと評価される。
道徳論集
ルキウス・アンナエウス・セネカ
(茂手木元蔵訳)

上司や取締役に「意気地がない」って罵倒されたり
同期に「一緒に頑張るっていったじゃん!」って言われたり
あと単純に手続きのめんどくささとかあったけど

この面倒くささを乗り越えた結果得られた、
2年と言う時間は全然安価じゃなかった。

という、振り返りも兼ねつつの学びでした✌️

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