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020 月ヲ見上ゲタ

カチカチカチ

僕はPCの操作をしながら旅館のシステムを見ていた。

もともとIT系の仕事をしていた彼のメモリーをもってすれば、大したことなさそうだ。でも、僕自身が何かに興味を持ってしまうと、そこで全部がストップしてしまう。気を付けなければ。

そんなことを考えながら、あれこれ操作していた。西藤さんたちが帰った後のオフィスは静かだ。

そうだ、明日から勤務だ。帰ろう……

僕は、残って勤務をしているリャンさんに挨拶をするとオフィスを後にした。

外に出ると、辺りは真っ暗だった。それもそのはず、ここは山の中。建物はこの旅館関連のもの以外は何もない。ところどころに街灯があるが、申し訳程度でしかなく、あかりとしての役目は果たしていない。だから、真っ暗。

今日から住むことになるコテージまでは歩いて10分もかからないはずだ。

歩きながら、僕は何の気なしに空を見上げた。

今までそんなに興味をひかれなかった月が、いつもと違って見えた。
すごく近くにあるようで、すごくクリア。

それに……


ドン

鈍い音がした。

え?(何がぶつかった?)

「うっ…」思わず声が漏れる。


ドドドドド

ドンッ


うぅ

僕は横に倒れ、うずくまった。


ドンッ

衝撃が体を襲う。

この時の僕は”痛い”という感覚があまりよくわかっていなかった。そしてこの時最初に見えたのは黒い塊。

たぶん今なら痛いと感じていたはず。でもこの時はいつもの好奇心しかなかった。

なんだろう。そんなことを考えながら、僕は立ち上がろうとした。

どーーーん

後ろから鋭いもので突き刺された。

前から思い切り地面に倒れた。おなかが打ち付けられ「うっ」とうめき声が口から出る。

なんなんだろう?……
僕の関心はそれだけに向いていた。立ち上がり、目を凝らして暗い中じーっと注意深くあたりを見凝らした。

ドーン!!
今度は強い衝撃が正面からくる。脇腹、腿のあたりをおもいっきり押される。

今度は後ろ向きに倒される。が、黒い塊を手で抑え込んだ。
毛むくじゃら、牙、濡れた大きな鼻。イノシシだった。

イノシシの勢いは止まらず、そのまま押され続けた。

バシャーン

かなりの高さから小川へと落とされた。イノシシも一緒に。

この時、どすん、という鈍い音がした。これまでに聞いたことのない音だ。

僕はなんとか身を起こし、周りを見渡した。月明かりが、どれほどの高さから落ちたのか教えてくれていた。たぶん2mはあるだろう。

体がちょっとおかしい感じがした。うまく動かないというか……

幸いイノシシは動かない。絶命したのか、気絶しているのかはわからない。

小川はそれ程深くはないが、それでも流れが結構はやい。

それなのに自分の身に起こったことに僕はニンマリしていた。常識的に考えると命に関わるような事件だ。でも、僕にとってはグレートなワクワク体験なわけで、その時は嬉しさだとか、楽しさしか感じていなかった。人間として未熟だからだったのだと思う。

僕の大事な風景の記憶の一つは、この時は小川から見上げた月だったりする。

空が澄んでいて、本当に綺麗だった。


とはいえ、さすがにそろそろ小川から出る必要がある。さあ、どうしよう。とりあえず立ち上がるか……



立ち上がれない……


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