21歳うつ病👧

うつ病。
なるまで知らなかった、こんなにも輝いた楽しい日々を送れていたんだなって。

私がうつ病になったのは、つい2ヶ月前ほど。
新社会人になり、目の前のことをこなす事、それも一丁前にトップの先生が楽になるように、サポートしなくてわ!と日々一生懸命に生きていた。

私の心が崩れていったのは、パートだから仕方がないのに給料が少なかったことに対して、私の仕事がまだまだなんだと思い込み、もっと頑張らないと!と必死になり始めた時からだろう。

たった先生が3人の小さな幼稚園。一人一人の責任も重くなる。体調なんて崩せない。休みたいなんて言えない。私が休んだらいろんな人に迷惑をかける。それで、残業して必死こいてやって給料10万円。

自分を責めた。あぁ、頑張ってる気がしてるだけで普通のことを時間かけてやってしまっているだけなんだ。あぁ、私って容量悪い人間だな。

心の苦しみは、体にで始めた。通勤、退勤中の車の中で涙が止まらなくなってきてから。家に帰れば、やらなくても良い自分で増やした仕事をやらないと!という責任感から、こなし、いつからか息抜きになっていた楽器演奏や好きなアーティストさえも見なくなっていた。

いや、それすらもできない体になっていた。

運動会も無事終わった週明け。
私はいつものように、重たい体を起こし、涙の止まらない自分でもわからない現象のまま、仕事に行かないと!と支度をする。

さすがに親に「病院いこう?」と言われた。

「行かない!」と言いつつも、だるい体を持ち上げて仕事場へ、車で向かう。いつも通り涙が止まらない。さらに、手の震え、過呼吸さえも出てきた。

私は初めて、園長に遅刻する連絡をした。
1時間遅れてやっと、仕事場に到着した。
でも、立っていられなかった。おばあちゃんに迎えにきてもらい、病院へ向かった。

あの時の顔は、いつまでも忘れない。「あぁ、私鏡すら見てなかったんだ。」と気が付いた。何も希望もない、笑顔すらも作れない恐ろしい顔だった。

先生たち、家族には、「なにが苦しかったの?」と原因を聞かれる。
そんなの自分でもわからないのだ。それでまた泣く。

お父さんはある日言ってくれた。
「お前は、昔から感情を出さない子だった。お前の心は、一度死んだんだから、もう一度やり直せばいいんだよ」

私には、この言葉がとても沁みた。あぁ、これで終わりじゃないんだ。始まりなんだ。

苦しいだろう。辛いだろう。
でも、また人生をやり直せるんだ。

私の心の中の魔法の言葉。

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