「ライジング若冲」に関する解釈。

 「ライジング若冲-天才かく覚醒せり」というドラマが好きだ。

 主人公の伊藤若冲役に中村七之助丈、その最大の理解者となる大典顕常役に永山瑛太さん。もうこのキャスティングだけで五体投地ものだが、筆者としてはそのシナリオに特に感服せざるを得ない。

 このドラマのポイントになっているのが、「手」である。

 若冲は大典に出会ったその日、大典に「この世の森羅万象を描いてほしい」と手を強く握られる。その手の強さと美貌で若冲は恋をし、本格的な絵を描き始める。しかしこのときの大典は「自分が悟りを開くため」に若冲の絵を欲していた。つまり、大典に惚れ込んだ若冲とは裏腹に、大典自身は自分のことだけを見ていたのだ。

 次に「手」がポイントとなるのが、若冲が大典に対し「禅僧になりたい」と伝えるシーンである。今度は若冲から大典の手を握るが、すぐにその手は振り払われてしまう。大典は、裕福な家に生まれ、絵に没頭する若冲に嫉妬し、彼の要求を拒んだのである。そして若冲は「あんたと同じ世界に住みたい」とも伝えるが、それにも大典は顔を歪ませ受け入れようとはしなかった。このときの若冲は絵の進歩も順調であり、絵師として覚醒しつつあった。しかし大典は五山の星として禅の世界に生きる他なく、満足に詩を書くことすらできていなかったのである。直ぐ側にいるはずの若冲に置いていかれたという焦りが、若冲の手と思いを拒むことになってしまったのだ。

 そして、物語のターニングポイントとなる、売茶翁の生前葬のシーン。大典は雲水になり、旅に出ると若冲につたえる。大典の言葉を受け止めた若冲は、「あんたとの約束を果たしながら待ってる」と、自分で自分の手を握る。大典にはじめ強く手を握られたときの約束を、自分ひとりで果たすという覚悟の現れだろう。そして若冲が去った後、大典は「若冲さん…あんたは私の…」と呟いている。おそらく、自分の若冲への想いに気づいたのだ。

 その後大典が旅から帰るまでに、若冲は動植綵絵30幅と釈迦三尊像3幅を描きあげた。そのお披露目の日に若冲と大典は想いを確かめ合った。

 そして最後のシーン、「乗興舟」の作成のため二人は川下りをする。その時、大典はもう一度、若冲の手を握った。雲水として旅に出たことで、自分はようやく若冲と並ぶ芸術家になれた。これからは手を携えて、共に生きていきたい。そんな思いが込められている気がした。二人が繋いだ手は、いつまでも離れることはなかった。

 このドラマはBLであるという解釈が多いし、筆者もそうだと思っている。しかし、パートナーや恋人である以前に、二人はライバルであり、同志であった。その関係性がなんともさわやかで心地よく、筆者はこの「ライジング若冲」というドラマに何度も魅せられているのである。

 ああ、今日もDVD観ようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?