日記 弘法筆を選ばずとは言うけれど 20210918

先ず持って述べると、これから話すのは私が今まで行った散財への懺悔と、これから行うであろう散財を全肯定するものである。

以前、こんな記事を書いたことがあるが、これに懲りずにまた新しいキーボードを購入した。

購入したのは、iPad Pro/Air(4世代)向けのmagic keyboard。寝室とPC部屋を分けるにあたて6年物のサブPCを引っ張り出したところ、ホカホカすぎて膝上でまともに使えないということで選らんだものである。ついさっき手元に届いたばかりなので細かなレビューは省くが、持ちうるデバイスから考慮した中でミニマムながらも最適な構成ではないかと思う。

「弘法筆を選ばず」ということわざがある。「その道の名人ともなれば道具の選り好みはしない」という意味であるが、私はこの言葉が嫌いだ。厳密に言うと、「弘法筆を選ばず」という言葉を引用して道具の選択肢を狭めるのは良くないという立場である。
前フリでキーボードの話をしたが、ここではギターを例に挙げる。ストラト・レスポール・テレキャスなど様々なモデルがあり、また価格帯も下は1万円から上を見たらキリがない。当然ギターを構成する木材によっても音は変わる。
当たり前だがギターから音を出すにはプレイヤーが必須である。これからギターを始める高校生、ライブに出演するバンドマン、著名なアーティストの後ろで演奏するスタジオミュージシャンなど、プレイヤーを挙げたらキリがないが、それぞれが出すギターの音も当然違いがある。「プロ」と言われるギタリストは、演奏の幅が広く、音作りの幅も広い。同時に、スタジオミュージシャンと呼ばれる人は、曲に合った音を作ることを求められる。「弘法筆を選ばず」が示すところの「名人は道具の選り好みをしない」というのは、「名人は成果物のために道具に拘らない」ということではなかろうか。成果物とは弘法でいうところの書であり、ギタリストで言うところの楽曲/ギターの音作りであるが、クライアントが求める成果物のために道具の選り好みをせず、最適な道具を選択するのが名人である、といったところだろう。
初心者だからといって安い道具でいいわけでもなく、様々な道具を触ることでその道の名人に近づくことができるだろう。

ということで、私は今後も様々な「道具」に触れて、「名人」が見る世界を見たいと思う。

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