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今後10年の妄想

台風の翌日。
出張先から東京に戻れず、意図せず仙台にいる。都市部にいると実感しづらいけれど、ニュースでは各地の甚大な被害を目にする。各自治体そして被災された個人の皆さまが一日も早く復旧復興に至りますように。

台風一過の晴天。
せっかくの旅先にも関わらず、ホテルの一室に居とどまり、思考とWifi活用に励む (月・太陽・水星 水瓶座の宿命)。

アインシュタインの「思考はそれ自体が目的である。音楽と同じように。」

この言葉を知ってから、わたしの思考癖も専ら意味がある行動なのだと見事に罪悪感が減った。ベッドにいながらも、今まさに思考という創作活動中なのである。

今朝の思考の成果物は、今後10年をどう生きるかという問いへの暫定案。
というのも、わたしはここ数年停滞していた。学生時代から将来を見据えて進路を選択してきた。ところが、思い描いてきた夢を一つずつ叶えるにつれ、現実と気持ちのズレが生じるようになった。

叶えてしまったことへの燃え尽き症候群だろうか。いや、一番の要因は夢を叶えるプロセスで湧く自らの感情や気づきを置き去りにしてきたこと。例えば、自然が心地よいこと、一人がすきなこと、都会は息苦しいこと、別に国際的に活躍しなくたってよいこと、もっとローカルに触れたいこと、料理はたのしいこと、何でもない日常がとても貴重なこと、そしてこれらは時間的/精神的/体力的ゆとりあってこそ味わえるということ。
こういった思いが生じるだなんて正直20代前半のわたしには想像もつかなかった。

移りゆく自分の感情や気づきに見て見ぬふりをするのは、変化を受け入れないのと同じこと。社会的ステイタスをどんどん築いたところで、自分自身の気持ちとの乖離を起こすだけ。大げさではなく、その結果がウツなのだと思う。

話を戻すと、わたしは、将来ばかりに目を向けることに疲れた。夢なんて大それたものは今は思い浮かばない。でも自然と湧く欲求に素直になるとすれば、今後10年くらいはこんな感じに生きるかなあ。

・日常を楽しみたい→ゆとりが欲しい
・お金がないと不安→ここ2-3年は稼ぐ
・保護犬猫を飼いたい
・家庭菜園をしたい
・理想の住まいで過ごしたい
・平屋は捨てがたいけど災害リスクを考えるとマンション→現金で買う
・海or河原を見渡す場所
・東京は苦しい→なぜか宮崎or大分に惹かれる、
・温暖で緑と水辺が近い環境
・カウンセリングの仕事したい
・人が自分に正直に生きるお手伝いをしたい

夢という旅路は、一度決めた道にコミットし続けることではない。むしろ進む道のりで思わず出くわした出来事や気持ちの変化と向き合い、時に止まったり回り道しながら、柔軟に歩いていくことなのだろう。そして旅はわくわく楽しむものだ。

なんだ、ようやく受け入れられそう。

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