思い出話

とあるnoterさんの記事が面白くて、私も書いてみようかなと思った話。

とあるnoterさんには中学3年生のお子さんがいて、受験生だそうな。

そして、読者の受験メモリーズに興味が湧いたとのこと。

そういえば私も当時ものすごいネタになる中学時代を過ごしたなと思い出し、今の私に繋がる原点、ゼロストーリーなるものを書いてみたくなった。

ちなみに今の私はしがない専業主婦だが、夢はある。
いつか教職の道に戻るという夢だ。
若い頃のように中学校の先生に戻れたら良いのだが…なんせうちには重度の知的障害&自閉症の息子がいるので…彼次第なところも大きい🤭
たぶん、私のキャパシティとして、仕事と家事と育児の3足草鞋は…たぶん無理🤣
どれかを誰かと分担出来るか、頼れる施設と出会えるか、上の子達がもう少し自立出来たらワンチャンあるかも?である。

そう、中学校の先生になりたいぐらい中学校生活が充実していたのだ✨と言えたらカッコいいのだが…

人生で1番苦労した
中学時代だった

あの頃の私がいたから
今の私は存在する。

あの頃の私がいたから
今も苦しむこともあるのだが…

総じてあの頃の私は
よく頑張っていた✨


破天荒、じゃじゃ馬、暴れん坊、短気、正義感の塊…ワガママ、強烈、底抜けに明るい、姐御…

小学校卒業時点の私は、こんな感じ。
人によって評価はバラバラ。
良い時は良いけど、合わない時はもうキツイ🤣そんな子どもだったから…

中学で思いっきり壁にぶち当たります。

二つの小学校が合わさる中学。
私の卒業したA小学校、ちょっといじわる女子多めのB小学校…

入った部活は強気女子の集まる運動部…

速攻で目をつけられました🌀

傘下に入れたがるC子。
素直に従わない私。
不穏な空気漂うクラブ活動…
耐えきれず仲間が次々に辞め、
なんとか繋がっていたA小学校出身
キャプテン候補のD子まで、C子の毒牙にかかり…
気づけば私はひとりぼっちに…😢

傘下に入らないことに加えて、あまりの強気っぷりの私を1年時の担任が生徒会に引き入れたこともC子は気に食わなかった様子。

靴をゴミ箱に捨てられたり、あからさまに仲間はずれになるような言動を繰り返されたり、私と話したら絶交、次のターゲットはお前‼️と脅し、周りはみんな私から距離を取るようになりました…

それでも負けん気の強い私は部活動を辞めませんでしたし、生徒会長にもなりましたw

どんだけ空気を読めないんだか…

あっさりクラブをやめて、生徒会に専念しても良かったんですけど…
なんだか悔しくて。
絶対コイツには屈しないって…意地を張り続けました🤣

まあ、クラブ活動ではぼっちだったけど、後輩たちは慕ってくれてたし。
クラブ以外では普通に話せる友達もいたし。
顧問は生徒会の先生だし。
あと◯年!◯ヶ月!とカウントダウンしながら耐えてました。
消えたくなった事もあったけど、コイツのために私の人生終わらすの腹立つな💢って思うようになって…

中2の夏。学校以外に友達を作りたいって思って、親には勉強も頑張るから✨と塾に入れてもらったんです。

元々勉強嫌いで、自分でも馬鹿だと思っていたし、出来の良い兄と比べられて、お前はそこそこ頑張ってりゃいいんだよ、女なんだし😏なんて父親にまで言われていて。

見返したい奴わんさかいたんですよね🤣

でも、勉強のやり方はわからないし、苦手だと思い込んでいたから…

塾に行って、若い大学生先生たちの面白い話に引き込まれて、授業を真面目に聞くようになって、だんだん勉強が分かるようになって来て✨

7クラス中1番下と2番目に低いクラスを行ったり来たりしていたのが、いつのまにか上から三番目のクラスにまで上がっていて🤭

あのいじめっ子より良い学校に行けそうだぞという噂を聞いて…
頑張る気力も湧いて来たんです✨

ただ、志望校にはまだ届かない。
3年の2学期。担任からはレベルを落とせと言われてしまいます。
でも、レベルを下げたE高校には同じ部活で最後に裏切ったキャプテンのD子達も行く予定。
絶対に嫌だ。
同じ中学の子がなるべく少ないF高校に行きたい‼️

猛勉強の末、塾ではついに上から二番目のクラスに✨塾の先生たちはF高校に行ける‼️という。

学校の担任は、公立に行きたいならレベルを落とせと言う。落ちる可能性もあるからだ。

そして、まさかのいじめっ子C子が私の滑り止め私学を専願で受けると言うではないか。

志望校落ちたら…C子と同じG高校、しかもそこは女子校。ヤバい。絶対ヤバい。

レベルを下げてD子と同じ、しかも同じ中学出身の子多数のE高校に行くか?

悩みに悩んで
🌀状態の私に
母が良い言葉をかけてくれた

やれ‼️🤣

もう少し言葉は柔らかかったはずだが。
とにかくここまで来たんだから
やれるだけのことはやりなさい✨
ダメだった時にはその時また考えれば
いいわよ‼️と。

負けん気の強さは母譲りだ🤣


とにかく、志望校は変えずに
全力でぶつかることにした。

えーい!ダメ元じゃい‼️

そんな勢いで、入試日を迎えた。

手応えがあった。
国語も英語も出来た感覚があった。
それ以外の教科もそれなりに出来た。

もしかしたらもしかするかも??

そして、合格発表の日。

会議室前に貼り出される昔ながらのスタイル✨


あったーーーーー‼️


無事私は第一希望のF高校に進学することが出来ました。

頑張って来て良かった。
諦めなくて良かった。

担任も驚きながらも、大喜びしてくれました。
本当に良かった😹と。

大変な事も多かった中学時代。
生まれて初めて人から裏切られ、いじめにも遭い、しのうとしたり、家出をしたりもした。
だけど、私という人間を信じ応援してくれた先生たちがいた。
私の将来を真剣に案じてくれた先生がいた。
負けるなと喝を入れてくれた母がいた。
いじめっ子達に屈して離れていった部活仲間達も、卒業後のお別れ会で謝ってくれた。
C子は来なかった(親が厳しくて外食禁止だったから)。
そのときの同級生達の変わりぶりに引いた。
本当はね〜C子の言うことは聞きたくなかったんだけど〜逆らえなくてごめんねー🙏と。
私が人を信じられなくなったのはコイツらのせいだ…😅

まあ、そんなこんなで、人間のあらゆる汚い面や嫌な面を凝縮したような中学時代を過ごして、教員免許を取っても中学だけは行かないと教育実習も高校に行ったくらいなんだけど…

やっぱりこんな荒れ狂う学生時代を次世代の子ども達も味わうかも知れないと思ったら…
私がひと役買えることもあるかもしれないし。
私の運命を変えてくれたのは生徒会に入るように勧めてくれた先生がいたからで。
生徒会の担当が部活の顧問だった事や、いつも私を心配してくれていた3年の時の担任がいてくれたから踏ん張りが聞いたのもあるし。
担任が髪を振り乱して、必死で問題児に立ち向かう姿もカッコよかったし。

先生達みたいな先生になりたいって。
あの時、人生を放り出さなくて良かったって今でも思っているから…
いつかはまた現場に戻りたいな✨

私の原点である中学時代のお話。

書き残しておく事にします。

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