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桜色の涙

第12章 七分咲き
3月下旬、いつもなら春めいて、桜の花びらもほころぶのに今年は暖かくなったと思ったら、また寒さが戻ってきて、まるで私の体調みたい。

まだ冬物のネイビーブルーのコートをクリーニングに出せずにいた。

「気のせい?かな」

堤部長は最近珍しく出張も少なくて、ミーティングもあまりなくデスクにいることが多かったのに、なぜか私のことを避けているみたい?な気がしていた。

「何か変なのよねぇ、どうして?何があったの」

私は気になってベッドでフェイスブックに書き込みをする。

<もうお休みになりましたか?明日から松本へご出張ですね♪堤部長 何かありましたか?なんだか変ですよ、いつもと違って・・・(  ̄っ ̄)ムゥ すみません、余計なお世話ですよね、ご出張 お気をつけて♪>

わざと少し突っかかる言い方をしてみる。

<どこか変でしたか?いつもと同じです、少し疲れているからかな?ありがとう心配してくれてでも、大丈夫 問題ない ☆(*^-゜)v >

深夜0時過ぎの返信、何か隠してる、上手く言えないけど、私は直感的にそう思った。

堤部長が信州松本へ出張して2日目、私は何かが引っかかっていた、そんな時書き込みがあった。

<昨日は少し考える時間が欲しくて、浅間温泉の 貴祥庵という旅館に泊まりました(出張ですけどね)久しぶりに温泉に浸かり、料理もすごく美味しくて、でもひとり旅って美味しいもの食べても「これ おいしいね」言える相手がいないんですね、せっかく美味しい料理も半減です。写真撮ったから送ります (⌒¬⌒*)><「野沢菜」買ったのでお土産に持って帰ります♪ 午後からミーティングなので、会社の冷蔵庫に入れておきます☆ 目印は、赤い輪ゴムです。忘れずに持って帰ってください(=´ー`)ノ >

「やっぱりいつもとなにか違う・・・考えすぎかな?」

「一人で浅間温泉に?それも出張中に、やっぱり少し変・・・なんだか部長らしくない」

写真にはキレイな懐石料理の写真が2枚と品のいい旅館のロビーが写っていた。

私は15時からのコンプラの定例ミーティングに出席するためエレベーターを待っていた。

<(≧ヘ≦) 温泉 ☆ 美味しそうな懐石料理 見ましたよ!本当に出張なんですか?なんてね いいなぁ温泉~~~(´~`A)~~~ 少しは疲れ取れましたか?野沢菜ありがとうございます♪ 忘れないように持って帰りますv(*'-^*)-☆ >

私は努めて明るく返信を書いた、ミーティングが終わってデスクに戻る、結局、その日は入れ違えで堤部長の顔を見ることはなかった。

18時前エレベーターホールに向かう。

「ん?あ?何か忘れてる・・・あっ野沢菜」

急いでリフレッシュルームの冷蔵庫を開けると、几帳面な部長が結んだ赤い輪ゴムの巻いてある白いビニール袋が2段目に入っていた。

「イケナイ、もう少しで忘れるところだった、あっ、冷たい」

その袋を持って更衣室へ向かう、窓ガラスには雨粒が流れ落ちていた。

「あぁ~雨、降ってる」

外に出ると春の雨の匂いがする、私はお気に入りの水玉模様の傘を持って品川駅へ向かう。

少し風が強くて持っていた水色のシュシュで髪を束ねる。

そして急いで久里浜行きの電車に乗り込んだ、雨のせいか車内は混雑していた。

横浜駅を過ぎて少し空いてきた車内で私はバックからiPhoneを取り出した。

そしてWEBページを保存したブックマークを開く、それは乳癌の再発に関するページだった。

「乳癌の骨転移、肺や肝臓にも・・・」

iPhoneに付けてあるエッフェル塔が揺れている。

私は窓の外に煌いている遠くの光をぼんやりと眺めていた。

「あっ、もう北鎌倉か、雨上がったみたいね」

空を見上げると三日月がくっきりと浮かんでいた、鎌倉駅に着いて駐輪場から家に向かうことにする。

「桜はもう少しで満開か~」

「ぃイタッ」

また少し背中に痛みが走る。

帰宅して頂いた野沢菜を冷蔵庫に入れる、母は週1回のフラダンス教室からまだ戻っていないようだった。

食欲もあまりなく、ソファーに座って少しぼんやりする。

「あぁ野沢菜」

冷蔵庫から野沢菜を出して3センチほどに切ってジップロックに入れてお湯を沸かす。

そしてご飯に野沢菜をのせて玄米茶を注ぐ。

「ん~ん美味しそう」

鮮やかな緑色、それを1枚写真に収める。

「いただきま~す、熱っん、美味ひぃ」

食欲がなかったのに、あっという間に野沢菜茶漬けを平らげると、母の声が聞こえてきた。

「ただいまぁ」

「おかえりぃ、どうだったフラダンス?」

「うん、楽しかったわよ、ん?なに?野沢菜?お茶漬けにしたの?」

「ちょっと、食欲なかったから」

「美味しそうねぇ、私もいい?」

「え?もう食べたんじゃないの?」

「うん、でも何だかまた、お腹空いちゃって」

「いいわよ」

母は残っていたご飯に野沢菜をのせて私が入れた玄米茶を注いでから美味しそうな音を立ててお茶漬けをすすった。

「ん~美味ひぃ、長野の野沢菜はやっぱり違うわねぇ~堤さんにお礼言っといて」

「。。。」

「そうそう、これ明日、堤さんに、甘いの好きかしらねぇ」

「好き・・・だと思うけど、ありがとう」

「あなたにじゃなくて・・・堤さんに」

母はすっかり堤部長のファンになっている様だった。

「はい、はい、必ず渡しますよ」

<堤部長☆今どちらですか?何していますか? 信州の「野沢菜」とても美味しく頂きました、残りのご飯 お茶漬けにして食べました(゜д゜)メチャウマ やっぱり本場の野沢菜は違いますね、(θωθ)おやすみなさい~☆ > さっき撮った写真を添える。

<旨そうな 野沢菜茶漬けですね、写真見ていたらお茶漬け食べたくなって、これからお湯沸かします、では また明日~(=^‥^)ノ☆ >

「家?にいるの?」

深夜 いつものように、ふたりのフェイスブックが綴っていく。

<春らしくなってきましたねヽ(*^^*)ノ 鎌倉の桜はもう少しで満開です♪堤部長の方はどうですか?>

翌朝少し早く会社に向かう、その電車の中で書き込みを見る。

<今朝は自転車で桜並木を走って来ました、こちらももう少しで満開です♪>

「堤部長のところも桜並木あるんだね」

8時過ぎ、オフィスに着く、堤部長はいつものようにデスクでPCを覗き込んでいた、私はゆっくり部長のデスクに近づいて挨拶をする。

「おはようございます」

堤部長は少しこわばった顔で「おはよう」と小さな声で呟いた。

(ん?なに?湿布の?)

部長のデスクからはいつもと違う、湿布のような匂いが微かに漂っていた。

「堤部長 いつもお早いんですね~これ鎌倉のお土産ですよかったら食べてください」

そう言って母から預かった豊島屋の鳩サブレの入った黄色い紙袋を手渡した。

もちろん母からとは言えるはずもない。

「私、ここのサブレ 子供のころから大好きなんです!」

「・・・ありがと」

私は笑顔でそう伝えてデスクに戻って行った。

静かなオフィスにふたりのキーボードを叩く音だけが響き渡る、あの時の刺々しい音とは違って、堤部長のキーボードを叩く音は、何だか私には優しく聴こえてくる。

お昼から戻るとまだ10メートル先には堤部長が座っている、しばらくすると朝渡した鳩サブレを立て続けに2枚食べている。

「もしかしてお昼まだ?なのかな?」

2枚目を口に入れて残っていたコーヒーを飲み干す、と同時に目線が合った。

「あっ・・・」

私は何だか嬉しくて笑顔でその光景を見ていた、堤部長は少し恥ずかしそうにPCを持ってオフィスを出て行く。

「あぁ~また降ってる、朝あんなに天気が良かったのに、あっ傘持ってきてない・・・」

春の変わりやすい天気、雨は鎌倉に近づくと少し小降りになっていった、駐輪場に今朝乗ってきた自転車をそのまま置いてタクシー乗り場へ急ぐ。

乗り場には私を含めて5、6人並んでいた。

そこへ飛沫をあげてタクシーが次々と鎌倉駅に戻ってくる。

私はタクシーに乗って行き先を告げた、また少し雨脚が強くなる。

タクシーはロータリーを半周してスピードを上げて走り出した、 しばらく走って交差点で赤信号に捕まる。

「あぁ~ぁあんなに濡れちゃって、自転車置いて帰ればいいのに・・・」

運転手がバックミラーを見てそう呟いた。

それを聞いて私も後ろを振り向くと、スーツ姿の男性が、雨にけむる先から、自転車に乗ってこちらへ向かってくるのが、雨粒が流れ落ちるリアウィンドウ越しに見えた。

「ん?え、まさか・・・ね」

一瞬そのスーツ姿の男性を、堤部長と錯覚してしまう。

(私って、どうかしている?こんなところにいるはずないじゃない・・・)

タクシーはその自転車を振り切るように、下馬の交差点を右折した後、江ノ電の踏み切りを超えて緩やかな坂道を登り家の前に停車した。

翌日は昨夜の雨が嘘のように晴れ渡っていた、桜の花びらもほころんで今週末には鎌倉の桜も満開になるだろう。

デスクに着いて堤部長を探す、姿は見えない。(出張かな?)

「堤部長は体調不良で午後出社になります、はい、では2時に」

天谷さんの内線の声が耳に入る。

(体調不良?)私が勝手に堤部長は不死身みたいな想像をしていたせいで体調不良という言葉が意外に感じた。

午後は私もミーティングがあってまたすれ違い、15時過ぎにミーティングが終わって少し息抜きにコンビニに立ち寄る。

(熱・・・とかあるのかな?)

コンビニでアーモンドチョコと良く冷えたポカリスエットを1本買った。

オフィスに戻って、堤部長のデスクにポカリを置く、16時過ぎにミーティングを終えた堤部長がデスクに戻ってきた。

(なんだかまだ、辛そう)

10メートル先からも体調が良くないのが伝わってくるくらい・・・辛そうな顔が見えた。

堤部長はデスクに置いてあったポカリを手にして辺りを見渡す、そして私を見つけて、それが私だと気づいたのか、少し赤い顔でポカリのボトルを持ち上げて私に向かって「サンキュ‐」と大きな口を開けて小さく呟いた。

私は思わず嬉しくなって、右腕を大きく上げて応えた。

(無理しないで)私は心の中でそう呟く。

そして私はいつもの様に久里浜行きの電車に乗った、そしていつもの車窓からいつもの風景を見ていた。

(あぁもう川岸の桜がピンク色に染まっている・・・)

「あと・・・どのくらい、こうやって、通勤できるんだろう」

不安を隠せない私の顔が電車のドアのガラスに映っていた。

「時間が、時間がない・・・」

私はそう呟いた。

時々心が萎れそうになる。

雨で駐輪場に置いてあった自転車に乗って家に向かう、腰の痛みはあの日以来続いていた。

鎌倉の夜空には少し濁った月が浮かんでいて、冷たい風が吹いていた。

「ただいまぁHARU、ごめんね散歩あまり連れて行けなくて」

HARUは私の病気のことがわかってるかの様に私の顔を舐めてから悲しい声を上げた。

少しして2階の窓から玄関の方を見るとHARUが誰かに尻尾を振っているのが見えた。

「ん?珍しいわね、誰かしら?」

すごい人見知りのHARUは滅多に人に懐かない、家の門を勝手に開けようとした宅急便の人にも、すごい勢いで吼える優秀な?番犬なのだ。

「お母さん?誰か来たの?」

「えっ?誰も来ていないわよ?」

「変ね~今、HARU誰かに尻尾振っていたのよぉ」

「気のせいじゃないの?だってHARU吼えてないじゃない」

「そうよね・・・」

母はさほど気にしていないようだった。

お風呂から上がってフェイスブックを開いてみる。

<堤部長 風邪辛そうでしたね、具合はどうですか?ちゃんと病院とか行きました?健康診断とか、ちゃんと 毎年受けていますか?風邪の時は生姜湯がいいですよ(>_< )ヾ(^^ ) うちの母は風邪の時必ず作ってくれます♪今夜は早くお休みになってくださいね☆'・:*:.。.:*:・'゜:*:・'゜☆>

(自分のこと棚に上げて・・・私、なに言ってんだろ)

22時過ぎに返信が着ていた。

<ありがとう、だいぶ楽になりました、生姜湯 今度作ってみます♪(θωθ)

おやすみなさい☆>

何だか堤部長からの返事がぎこちなく感じてならなかった、私にその理由なんてわかるはずがなかった。

「でもこの前から、私に対して何かいつもと違う・・・いったい何があったの?」

そんなことを考えて、モヤモヤした気持ちで週末を過ごす。


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