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HARUとSORA

第5章 ストーカー

「まったく…これって、いつまで続くんだ? 」

8時過ぎやっとのことで品川駅に着くと疲れが顔に滲み出ているサラリーマンが一斉にそれぞれのオフィスに向かって歩き出す。スタバに寄ってイングリッシュマフィンソーセージをオーダーする。

「堤さん珍しいですね~マフィンなんて」

バリスタの女性が話しかけてくる。

「ちょっと気分転換に…そういえば店長は?」

「実は、仙台の実家に…行けたかどうかもわからなくて…」

「そうか、それは心配だね」

お気に入りのタンブラーにコーヒーを入れてもらってデスクへ向かう。

震災の影響でまだ出社している社員は少なかった、オフィスには彼女の姿もまだ見えなかった。

震災の後、僕にとって彼女はかけがえのない存在になっていた。

オフィスに人が入ってくるたび視線を向ける…やはり彼女は出社していない。

9時過ぎミーティングが始まる、午後のミーティング前 コンプライアンス部門のマネージャーに彼女のことを思い切って訊いてみる。

「派遣社員はまだ自宅待機になってるの?」

「いえ、原則もう出社指示を出していますが…堤部長…何か?問題でも?」

「いや特に… 問題ないんだが 」

(鎌倉からのJR線はもう、動いているのに…)

「何かあったのかな?」

また何か言い知れぬ不安が込み上げてくる。

しかし、僕は彼女の電話番号も、メールアドレスも知らない、ただ鎌倉に住んでいるって以外は…彼女との距離が近くなればなるほど、それがもどかしいかった。

フェイスブックだけが彼女と僕をつないでいる…パソコンに向かい彼女のウォールにまた書き込みをする。

<計画停電でバスを乗り継いで 毎日出社しています 大変です、出張のスケジュールもすべてキャンセルになりました。鎌倉は大丈夫ですか?体調 崩したりしていませんか?>

結局 彼女は17日も出社して来なかった、返信もない。

返信がなくてもまた懲りずにフェイスブック に書き込む。

<震災の当日、私はお土産に 石巻 白謙の「笹かまぼこ」をお土産にしていました、あの日帰れなくなって、避難所にいてかまぼこ皆で分けて食べました。またいつか 仙台に出張する時には白謙の「笹かまぼこ」お土産にしますね>

それからも彼女からの返信は来なかった。   

逢いたい想いのまま…彼女に逢えない時間だけが過ぎていく。

その夜 またパソコンを開く、彼女からの返信はない。

次の日、西武線もJR線もまだ通常ダイヤには戻らない。

いつもより30分早く家を出る…世の中が、こんな非常時でも桜の季節はやってくる。
大泉学園駅へ続く桜並木は三分咲きくらいだろうか?

朝のミーティングを終えてデスクに戻ると同時に、彼女の席の方へ視線を向ける。

「今日も休みか…」

予定していた出張もキャンセルになり17時30分 珍しく定時に会社を出る。

スカイウェイを渡って品川駅へ向かい、改札を抜けJR山手線ホームに降りて行く途中立ち止まる。

「鎌倉…鎌倉へ行ってみよう」

反転して階段を駆け上がり、15番線ホームに下りて行く。

ホームに滑り込む横須賀線久里浜行きに飛び乗ると電車は家とは全く逆の方向へと動き出す。

つり革に掴まり外を見ると、車窓から見慣れない風景が流れてくる。

「何やってんだ?俺は…」 

電車はどんどんスピードを上げていく、日常がどんどん遠ざかっていく…確かなのは彼女が鎌倉に住んでいるって事だけ…鎌倉に行っても彼女に逢えるはずもないのに。

でも彼女のことを強く想う気持ちだけが、僕を鎌倉へ向かわせていた。

横浜駅で多くの乗客が降りていく。

「こんなこと…ダメだ…ここで引き返そう」

そう心の中で呟いても、身体は電車から降りようとはしなかった。

ドアが閉まり電車はまた静かに動き出す。

「行くだけ…行ってみよう鎌倉駅、鎌倉駅まで…」

横浜を過ぎると見慣れない風景が広がっていく、丘陵にひしめきあう住宅地そして大きな工場、大船駅を過ぎた辺りからは一段と山が近くなり線路脇にも木々が生い茂っている。 

「北鎌倉か…」
木々の隙間からまるで別荘のような閑静な住宅が見えてくる。

「彼女は毎日この風景を見ているのか…」

短いトンネルを抜けて、まもなくすると電車は鎌倉駅のホームへ入っていく、数十年ぶりに降り立つ鎌倉駅。

「確か、学生時代付き合っていた彼女と紫陽花を見に来て以来だよな」

人影は疎らでホームから改札へ降りていく人波の後を歩く 改札を出るとロータリーにバスが数台停まっている。

左側には赤い鳥居が見える、ロータリーに沿って鳥居の方に歩いてみる。

観光地らしく土産店が軒を連ねているが震災の影響か、ほとんどの店はシャッターを下ろしていた。

振り返ると鎌倉駅の三角屋根と時計台が見える、駅でどうしていいのかわからず、しばらく駅前に佇み行き交う人を眺めていた、ここにいても…彼女に逢えるはずもないのに。

「こんな時に…俺は何やってんだ、もう帰ろう…」

日が暮れた鎌倉駅のホームで電車を待つがなかなか電車は来なかった、JRはいつもの6割程の本数で運行していた。
冷たい北風が頬を刺す。
「ホント…なにやってんだろうな…」
自分自身を責める様に呟いた。

彼女にもう逢えないんじゃないか?そんな不安が頭を過ぎる、やっと東京方面行きの電車がホームに入って来たが車内は数人の乗客しかいなかった、真っ暗な鎌倉の街が遠ざかっていく。

車窓に映る自分の顔を見つめ 溜め息をつく。


自分の感情を抑えきれず鎌倉まで来てしまった自分の行動に少し驚いていた。

彼女に逢えたくても逢えないこの寂しさは、彼女への想いをいっそう強くしていく。

23時を過ぎ自宅へ着く、シャワーを浴びてフェイスブックを開く。

「あっ返事…」

待っていた彼女からの書き込みがあった。

<堤部長 ご心配おかけしてごめんなさい (。-人-。) 震災後少し体調崩しちゃって でももう大丈夫です ъ( ゜ー^)イェー♪出張キャンセルになったのなら少し休んでくださいでは火曜日におやすみなさいzzz>

「体調か…でも明日、明日逢える 明日」

彼女に逢えなかった数日間は途方もなく長く感じた、これが忘れかけていた、恋しいという感情なのか?

朝デスクでコーヒーを飲んでいると彼女の声が聴こえてくる。

「おはようございます」

自然に彼女の方に視線がいく。

「あっ、髪切ったんだ…」

彼女がこちらに近づいてくる。

「堤部長 ご心配お掛けしました」

そう言って頭を下げていつものように 左耳に髪をかける仕草をする。

(あっ ピアス)

「あっあぁ 大丈夫だった?」
上手な返事を探すが見つからない…

(何が?大丈夫だったんだ?大丈夫じゃないのは俺の方だろ?)

「はいっ、もう」

彼女は笑顔でそう答えると自分のデスクに戻っていった。

「少し痩せたのかな?」

前と変わらず元気そうに見えたが、どことなく疲れていてそして少し寂しそうに思えた。

(気のせいか?)

「おはよう ございます」

他のスタッフがオフィスに入ってくる。

彼女は黙々とパソコンに向かって仕事をしている様子だった、その時 彼女に何が起こっているのか?僕はその時、知る由もなかった。

震災後 東日本の物流システムついてのミーティングは昼を過ぎても終わらなかった、デスクに戻ったのは13 時30分を回っていた。

震災の影響でシャッターを閉めている店も多かったが、近くの定食屋で昼食を済ませて日本橋 三越へ向かう、彼女へのホワイトディまだ渡せていなかったから。

JRと地下鉄を乗り継いで日本橋 三越の地下1階「ピエール・エルメ・パリ」のショーウィンドウは震災などなかったかのように、カラフルなマカロンがまるで宝石のように並んでいた。

「ご進物ですか?」

若い店員が訊いてくる。

「ご進物? には違いないのだが・・・」

と呟くと店員が少し困った顔をする。

「この8個入りのを1つ、プレゼント用に・・・」

「はい、かしこまりました」

結局 ホワイトディとは言えず、8個入りのかわいい箱に入ったものを選んで包んでもらう。

(マズイ、もう時間がない)

15時から来客が予定が入っていて、急いで会社に戻る。

デスクに着くと誰もいないのを見計らって冷蔵庫にマカロンを入れて、来客用ラウンジへ急ぐ。

「マカロン…いつ渡そうか?」

来客の後2つのミーティングを終えてデスクに戻ると、時計は17時20分を回っていた、休んでいた分の仕事が溜まっているのか?彼女にはいっこうに帰る気配がなく、まだ 忙しそうにオフィスの中を動き回っていた。

18時を過ぎオフィスには数人しか残っていなかった、彼女は電話でクレーム対応をしているようだった。

僕は思い切って彼女のデスクにゆっくりと近づいていった。

「何か問題でも?」

「いえ 大丈夫です、あと少しで処理出来ますから」

彼女は笑顔でそう答えた。

(今しかない…)そう思うと彼女に一言告げる。

「ちょっと待っていて 」

リフレッシュルームにある冷蔵庫に急いで向かい 真っ白な手提げ袋に入ったマカロンを素早く取り出して、彼女のデスクへと戻る。

「これ…」

周りに人がいないのを確認して、彼女にマカロンを手渡す。

「ホワイトディ…もう過ぎちゃったけど、14日渡せなかったから…」

「えっ私に? いいんですか?」

少し驚いた表情でこちらを見つめる彼女の瞳は少し潤んでいる様に見えた。

(やっぱり…なにかあったんだ…)

「 私…」

「ん?」

彼女は何かを言いかけて言葉を飲み込んだ。

「いえ、ありがとうございます…」

そう言って彼女は笑顔で手提げ袋を受け取った。

僕はデスクに戻ってパソコンを見つめて平常心を装うが、心臓の鼓動が誰かに聞こえそうなくらい高鳴っていた。

でも、彼女が何かを言いかけて言葉を飲み込んだことが気になって仕方なかった。

「堤部長、お疲れ様でした」
「あぁ…お疲れ様…」
いつものように笑顔で彼女はオフィスを出て行った。

僕はチラッと彼女の方を見て右手を上げた…

「とりあえず…よかった、渡せて」

私は大きな安堵のため息をついた。

震災から2週間が経ち福島原子力発電所の事故は深刻な状況を脱していなかった。
世界中がFUKUSHIMAと日本に注目していた。

そんな中、来週から震災後初の札幌と小樽への出張スケジュールが組まれていた。

彼女が帰って、僕もしばらくしてオフィスを出るが、どうしてもこのまま帰りたくなかった。

駅近くのイングリッシュ パブに寄って、ビールとフィッシュ&チップスを注文する。

「部長~堤部長ぉ~」

後ろから突然肩を叩かれる、アシスタントの天谷だった。

「おぅ、天谷ひとりか?」

「ひとりじゃいけませんか?」

「ぃいや」

「私だってひとりで飲みたい時だってあるんですぅ」

そう言って天谷は、つまみのソーセージを頬張った。

天谷はすでに3杯目のビールを飲み干していた。

向上心の強い天谷はミーティングでいつも僕の痛いところを突いてくる。

「あっそうそう、 震災後 派遣社員 結構休んじゃって、シフト組むの大変だったんですよ~コンプラはこういう時、暇でいいですけどね~」

(コンプラ?)

「確かぁ 柴咲さんも1週間お休みでしたよね~彼女、バツイチだからいろいろ大変なのはわかりますけどね~」

「バツイチ? 」

「すみませ~んビールもう一杯」

そう言ってたぶん…4杯目のビールを注文する。

(離婚…してたのか ?)

「じゃあ部長、乾杯~」

その後も天谷の愚痴に付き合って5杯目で何とか駅の改札まで送り届ける。

「天谷?天谷…大丈夫か?」

「こんくらい平気です、部長もちゃんと帰ってくださいよ、家に」

「おぅ、じゃあ気をつけてな」

家に帰ると時計は23時を回っていた。

シャワーを浴びて、深夜0時過ぎフェイスブックを開くと彼女からの書き込みがあった。

< マカロン私大好きですなんです、どうして知ってるんですか ♪ ありがとうございます=*^-^*=ホワイトディ、震災ですっかり忘れていました、今夜 お気に入りのティカップに紅茶を入れて頂きました☆ 堤部長って意外と…かわいいもの選ぶんですね♪>

写真には真っ白なティカップと今日渡したカラフルなマカロンが写っていた 。

「マカロン好きだったのか」

<まだ寒い日もありますが、鎌倉の桜も咲き始めました。鶴岡八幡宮 段葛の桜並木はとてもキレイで私の大好きな場所です(o^-')b >

「花見かぁそういえば、何年も行ってないなぁ」

子供の頃に見た、鶴岡の桜が目に浮かぶ。

<マカロン実は 私も大好きです♪ 鎌倉の桜はさぞかしキレイなんだろうな~って思います。桜を見ると故郷を思い出します、仕事あまり無理しないで>

そう返信する。

「お花見一緒に、なんて誘えないよな…」

彼女からすぐ返信が来た。

「まだ 起きてたのか 」

<故郷ですか いいですね^^ 堤部長って、どんなお子さんだったんですか? 私は すごくお転婆で(今でもですけど)テヘ(*゜ー゜)> 小学生の頃は 男の子をよく泣かせていました"(/へ\*)"))ウゥ あの頃に戻りたいなぁ ♪>

「お転婆か意外だな…俺もあの頃に戻りたいな~」 

< 私は友達と山や川で毎日夕方まで遊んで帰る ガキ大将?かなぁ >

<あぁ何だかそんなイメージありますよね 堤部長のことだからみんなをいざという時守ってくれる、頼もしくて 優しいガキ大将だったんでしょうね その頃の堤部長に逢ってみたいな> 

「今は、何も守ってやれないけどな…」

鶴岡の山や海の懐かしい風景がよみがえってくる。

「俺もあの頃にみんな、どうしてるんだろう?帰りたいな…久しぶりに鶴岡」

そう思うと少し感傷的になる。

<どうだろう?でもあの頃は 毎日が楽しかったなぁ>

僕たちは、お互い逢えなかった時間を埋めるように、深夜のフェイスブックに想いを綴っていく。

< お(^○^)や(~o~)す(゜o゜)みぃ(- -)。0O >

今日は午後から都内での打ち合わせで世田谷に直行していた、打ち合わせと商談を終え品川駅に着いたのは18時30分を過ぎだった。

「あっ!」

駅から会社へ戻る途中、スカイウェイを歩いていると品川駅に向かう彼女とすれ違う。 

一瞬 声を掛けようとするが人ごみの中で、彼女は僕に全く気がつかない、諦めて会社へ向かうが、何を思ったのか僕は急に反転して彼女を追うように…
そして人波から彼女を探す。
携帯を握りしめ会社へ連絡を入れる。

「堤です、今日は 世田谷から直帰します… 」

( どこ?どこへ?見失った?)

人波に消えた 彼女は見つからない、駅の人波をかき分けて前に進む。

「あっ」

彼女の背中が目に飛び込んでくる、ネイビーブルーのコートにダークブラウンのブーツ、そしてオレンジ色のショルダーバック。

「何て?なんて声を掛けたらいいんだろう?」

彼女に近づくが改札へと流れていく人波に、またふたりは離される。

そしてそのまま 改札を抜けてしまう、彼女は横須賀線の15番線ホームへと降りていく。

僕たちはどんどん引き離されていく、オレンジのショルダーバックを探すが横須賀線のホームの中で完全に彼女を見失ってしまう。

「オレンジ…オレンジの…」

並んでいる列を見ても彼女の姿は見えなかった、久里浜行きの電車がホームに入ってくる。

「あぁダメだ…完全に見失った」

諦めかけて振り返ったその時、7号車の真ん中のドアにオレンジ色のショルダーバックとネイビーブルーのコート姿の彼女が目に飛び込んでくる。

彼女は今まさに電車に、乗ろうとしていた。

「あっ、やばっ」

同じ車両の隣のドアから駆け込む、その瞬間ドアが閉まる。

僕は彼女が乗ったドアの方を見渡す…ドアのガラスに彼女を探す自分の顔が映り出される。

「ホント 何やってんだ?俺は」

その顔を見て我に返る。

電車はスピードを上げて走り出す。

(今、同じ車両に彼女が乗ってる…)

ゆっくり後ろを向き車両の真ん中に目をやるが、乗客が多くて彼女らしき人は見えない、車窓から武蔵小杉の高層マンションが迫ってくる。

武蔵小杉の駅に停車すると大勢の乗客が降りて行く、少し空いた車内をもう一度見渡してみる。

「ぁいた…」

すぐに窓に視線を向ける。( どうしよう?)

もう声をかけるタイミングではなかった、心臓が粉々になるくらい鼓動が早くなる、彼女はドアの脇に立って窓からじっと外を見つめていた。

「えっ、どうして?」

車内のライトに照らされた彼女の横顔は 会社では見たことがない、悲しい表情をしていた。

初めて見る彼女の悲しげな表情を見て、僕の心の中に当方もない罪悪感が湧き出てくる。

見てはいけない 彼女の表情を見てしまった気がして。

「やっぱり、こんなこと、しちゃいけなかったんだ…」

僕はそう呟いて視線を落とす。

電車は横浜駅に近づいていた 車窓からランドマーク タワーの光が見えてきた。

「横浜駅で…」

そう思った時 彼女がバックからスマートフォンを取り出して真剣な表情で画面を見ている。
(エッフェル塔?)彼女の手元でトラップが揺れている。

電車は横浜駅のホームへ滑り込む、ドアが開く。

「えっ?降りるの?ここ…鎌倉じゃ…」

僕も急いでホームへ降りるが 人が多くて すでに彼女の姿はホームにはなかった。

階段で下に降りる、人波に任せ中央改札口へ、もう一度ホームの方へ戻るが、もうこの中から彼女を探すのは不可能だった。

中央口から改札を抜ける。

「…帰ろう 」

東海道線のホームに立ち東京行きの電車を待つ。

「馬鹿なことをした、本当に馬鹿なことを…」

上りのホームで自分の犯した過ちをひたすら悔やみ、自分を責め続ける。

「俺は…何を 追いかけてるんだろう…」

電車が入ってくる、東京行きの電車の車窓に映る自分の顔を見ながら、罪悪感だけが増幅していく。

心が痛む、ただ彼女のそばに、少しでも…それだけだった。

次の日、震災も少しずつではあるが落ち着きを取り戻しつつあった。

「おはようございます~」

デスクでぼんやり パソコンを見つめていると、いつものように彼女が出社してくる、彼女の顔をまともに見ることができない、こんな日に限ってミーティングは1件もなかった。

「でも…あの悲しそうな表情はなんだったんだろう」

こんなに一日中デスクにいるのが苦痛な日はなかった。

「横浜駅でもし、もしも彼女が降りていなかったらどうしてた? 」

(これじゃまるで、ストーカーじゃないか… )

フェイスブックで言葉と言葉が伝わって、つながったと思っていた…でも本当にふたりの心がつながるには、まだ時間が必要だった。

幸い?明日から信州松本への1泊2日の出張スケジュールが組まれていた。

震災で東日本への出張はまだ自粛されたままだった、彼女の顔を見るのもまだ少し心が痛み不自然に、彼女のことを避ける様になっていた。

いつもの様に自宅で明日からの出張の身支度をする、23時過ぎパソコンを開く、彼女からの書き込みが

届いていた。

<もうお休みになりましたか?明日から松本へご出張ですね♪堤部長 何かありました?なんだか変ですよ、いつもと違って (  ̄っ ̄)ムゥ すみません、余計なお世話ですよね、ご出張お気をつけて♪>

「まさか?気づかれていた?まさか」

避けていることを彼女に気づかれ、言い訳のような返信を書き込む。 

<どこか変でしたか?いつもと同じです、少し疲れているからかな? >

胸が苦しい、心が痛い、またうそをついてしまった、書いては消してまた書いて、僕のフェイスブックは、まるで初めて書くラブレター様だった。

午前0時を回った頃やっと返信する。

<ありがとう♪ 心配してくれて でも 大丈夫 問題ない ☆(*^-゜)v >

「なにが問題ない、だ…バカ」

その夜はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。

翌朝 特急あずさ7号で松本へ出張する、駅へ向かう満開の桜並木も見頃を迎えていた。

山裾を走る電車に揺られながらいろいろなことが頭をよぎる、転勤、転職 これからの自分、そして彼女のこと。

昼前に松本駅に到着する、クライアントのオフィスのある松本城近くまで散歩がてら歩いていく。

東京と比べて空気が澄んでいて気持ち良い、桜は5分咲といったところか。

商店街を抜けると通称「烏城」と呼ばれる黒壁の松本城が見えてくる、程なくして目的のクライアントの元へ到着する。    
お昼をご一緒して午後からミーティングと商談を行う、問題ない、交渉は順調だ。

今晩の宿は浅間温泉を予約していた、普段は普通のビジネスホテルなのだが、いろいろ考え事がある時はいつも温泉に浸かって考える。

18時、タクシーで宿に向かい少し早いがチェックインする。

少し贅沢して人気の宿を予約していた、思いのほか高級感溢れる旅館に内心少しビビッていた。

天井の高いロビーは独特な空間を作り出しセンスのいい和室の部屋に案内される、食事前にまず温泉に浸かる。

「少し贅沢だったかな、まっいいかたまには」

食事は信州の旬の食材を使った懐石料理を1枚写真に収める。

「やっぱり少し 贅沢か…」

まだシーズンには早く震災の影響もあり通勤客の姿も少なかった。

贅沢な食事を堪能した後 露天風呂に入る、湯船にゆっくりと浸かり春の風を感じながら想う。

「この先、どうすればいいんだろう…」

仕事のこと、家族のこと、そして彼女のこと、これから進む人生のこと…温泉に何時間浸かろうと、正しい答えなど見えるはずもなかった。

「これからは 自分の心に偽りのない人生を」

露天風呂から見る夜空に向かってそう呟いた、それが今の自分への答えだった。

翌朝、久しく食べていない和食の朝食を平らげ、午後からのミーティングに間に合う様に 9時54分発のあずさ12号の指定席を取ってあった。

タクシーで 松本駅へ向かい駅構内のショップで「野沢菜」を買い求める。

松本駅内のスタバでコーヒーを飲みながらフェイスブックに書き込んだ。

<昨日は浅間温泉の 貴祥庵という旅館に泊まりました(出張ですよ)久しぶりに温泉に浸かり、料理もすごく美味しくて、でもひとり旅って(出張)美味しいもの食べても「これ おいしいね~」って言えないんだなって。(当たり前だけど)写真撮ったから送ります (⌒¬⌒*)>

<「野沢菜」買ったのでお土産に持って帰ります♪ 午後からミーティングなので、会社の冷蔵庫に入れておきます☆ 目印は・・・赤い輪ゴムです。忘れずに持って帰ってください(=´ー`)ノ >

パソコンを閉じて駅の改札を抜けて『あずさ』に乗り込む。

「あっ、雨か」

八王子を過ぎた辺りで雨粒が落ちてきた、昨晩は2回 今朝1回温泉に浸かった効能か?身体が軽く感じる、午後の資料をチェックする。

予定通り12時30分過ぎ あずさは新宿駅に到着する、朝食を食べ過ぎたせいであまりお腹は空いていなかった。

「そのまま、オフィスに 戻るか」

山手線に乗り換えると雨は本降りになっていた、コーヒーをテイクアウトしてデスクに戻る。

「ふぅぅ」

「部長 お疲れ様です!この前は、もしかして?ごちそうさまでした・・・」

天谷がやってきた。

「私、酔っぱらっちゃって、なにも覚えてなくて、私、変なこと言ってませんでした?」

「変なこと?って…」

「いえ、言ってなかったらいいんです、気にしないで下さい、失礼します」

「なんだ?変なやつだなぁ」  

「あっ 野沢菜…」

バックから野沢菜を出して赤い輪ゴムで結ぶ、そして約束通り、冷蔵庫に入れておく。

彼女のデスクに視線を向ける、コンプラのスタッフは誰もいなかった、スケジュールは15時まで全体ミーティングになっていた。

僕は15時からミーティングが入って、彼女とはすれ違いだった。

デスクでパソコンを開くと彼女からの返信があった。

<(≧ヘ≦) 温泉 ☆ 美味しそうな懐石料理 見ましたよ!本当に出張なんですか?なんてね、いいなぁ温泉~~~(´~`A)~~~ 少しは疲れ取れましたか? 野沢菜ありがとうございます♪ 忘れないように持って帰りますv(*'-^*)-☆ >

「疲れ取れましたか?か…」

彼女になにもかも見透かされている様で少し恥ずかしかった、僕の心の声も 彼女には届いているのかも知れない、いや届いていて欲しいそう思った。

15時、僕はコーヒーを片手にミーティングルームへ急ぐ ミーティングの後、来客が2件入り、デスクに戻ってこれたのは 18時を過ぎたころだった。

リフレッシュルームの冷蔵庫からミネラルウォーターを1本取り出す、野沢菜はなくなっていた。

「よかった 持って帰ってくれたんだ…」

デスクに戻りメールのチェックをする、温泉で少しほぐれた肩はまたいつもの様にパンパンに張っていた。

気分転換にスタバに寄っていく、エレベーターホールに降りると目の前に彼女がエントランスに向かって歩いていたが、何故か?声を掛けるのを一瞬ためらう。

彼女はベージュのスプリングコートを着て、手には水玉模様の傘を持っていた。

僕は彼女の後について行く、もう誰の制止する声も今の僕には届かなかった、帰宅する人で溢れている、品川駅自由通路、かろうじて彼女の後姿を見ていられたがまたすぐに人影でまた見失ってしまう。

改札口へ急ぎ彼女を探すが見つけられない。

「あっ」

僕の先、5人ほど隔てたところにベージュのスプリングコート姿の彼女が歩いていた。

「髪が、髪型…」

雨が降っていたせいなのか?いつの間にか 彼女の髪は水色のシュシュで結ばれていた。

「まずい、危うく追い越しそうだった… 」

彼女は改札を抜けて周りよりゆっくりとした速度で15 番線ホームへと降りて行った。

しばらくして 久里浜行きの電車がホームへ入ってくる、人込みの中で彼女が乗ったのを見て、僕も続けて隣のドアから乗り込む、車内は思いの外 混雑している、そして彼女が乗った方向を見る。

「水色のシュシュ…水色…」

「あっ、見つけた」

彼女はこの前のようにドア近くに立ってぼんやり 窓の外を見ていた。

少しだけ見慣れた街並み、久里浜行きの電車は倉庫街 住宅街を抜け横浜駅に近づく、横浜駅?

「また?降りるの?」

横浜駅のホームに入る電車、緊張が走る、彼女はドア近くに立ち外を眺めていた。

降りる気配はない…ドアが閉まり 電車は横浜駅を出て走り出す。

車内はいつの間にか乗客が半分ほどに減っていた。

「今日は、横浜じゃないのか?」

彼女はショルダーバックからスマートフォンを取り出す、あの時見たエッフェル塔のストラップが揺れている。

車窓からは広がる住宅街の煌く灯りが見えてくる。

彼女はスマートフォンで何かを検索している様子だった、僕の視界には彼女以外入っていなかった。

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