もうっおれは知らねーからっ

世にいる孫を持つじいさんが、みんな人間が出来ているのではないということが一瞬で揺らいだ瞬間があった。

駅前を歩いていた時、「もうっ、おれは知らねーからっ!!」と顔を真っ赤にして絶叫しているじいさんがいた。
じいさんの5メートル後を、わーわー泣きながら歩いてる孫らしき3、4歳の男の子。
察するに、電車を降りてから孫が何かわがままを言って、じいさんの沸点が一瞬で達したと見た。

もうっ、知らねーからっ。
じいさんの吐き出した言葉が乾いてその場を舞っている。
子供同士のケンカみたいなのを、じいさんと孫がやっていると思うと、他人事ながらおもろいな・・と思って見てしまった。
いや、他人事だから微笑ましい。
なんならじいさんの人目もはばからず人間味をさらしてる姿に、感動すら覚える。
じいさんもきっと孫の子守なんかしたくなくて、競馬でもいきたかったかもしれないし、孫も孫で沸点の低いじいさんに子守してもらいたくなんてなかったのかもしれない。

帰る道中でじいさんは急に冷静になって「オレとしたことが大人気ないことをしてしまった、でももう引けない・・」と思ってるかもしれないし、帰ったら帰ったらで、さっきのことなんてすぐに忘れて、二人でお菓子を食べているかもしれない。


30年以上前、小学生だったわたしに、母親が泣きながら怒ってきたことがあった。たぶん、母親のイメージ通りに生きてくれなかったからだろう。
「なんであんたはちゃんとできないのよっ!」
わーわー泣いてる母親を見ながら、ただぽかんとするしかなかった。
母親は自分自身と戦っているようにも見えた。

時を経て、わたしも息子にイラついて怒り、そして「あ、言いすぎた」と思うことがしょっちゅうである。
その度に駅前のじいさんや母親の顔や小学生の時の自分を思い出す。
全員の気持ちがわかる。
すごくよくわかる。
イラつくのも、イラつかれてどうしていいかわからない気持ちも。
だからと言って仏様のような境地には一向にたどり着く気配はない。




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