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あるがままの他人を受け入れろ #KinkyBoots

3回目のお祭り

今期の公演も最高でした。
キンキーはお祭り感がある、ワクワクする。

「キンキーブーツ」を象徴する(だろう)ブーツが最初に完成したシーンと、最後のショーのシーンはやっぱり最高で、
みんなキラキラしてて素敵だった
あのシーンはほんと大好き

2016年、2019年、そして今年。
「あるがままの他人を受け入れなさい」ローラがドンに言った言葉とか、
チャーリーが空回ってしまうところとか、
前はそんなに深く考えていなかった部分が、今回は結構心にくるものがあった。
というか、チャーリーの思考に共感したくないけど共感できてしまう部分があって、自分を省みざるを得ない。
序盤はローラを受け入れた気になっていたけど、心の底では(底でもないかも)「自分はローラよりまともな人間」という思い込みがあり、
焦ったときにそのいやな部分が露呈してしまう。
なんか、、、そういうのあるよなあ、、
自分が優れてる、とか言わないけど、
でも大学とか、職業とか収入とか、そういう簡単な物差しで自然と人を区別して、差をつけてしまう。
「あるがままの他人を受け入れなさい」
性別、性格、思考、見た目、学歴、そういうのを上下つけずフラットにいきましょうね、
ということではなく、
そもそもカテゴライズする必要はなくて、まるっと受け入れなさい、
そういう意味だと思う。
すぐには難しいことだけど、努力はしていきたい。

「怯えている犬ほどよく吠える」ローレンも言ってたけど、
まじでそうだよな~~と改めて思う。
私は自分自身に自信がないから、大学とか会社で戦いたくなってしまうし、
そこで人と比べたくなってしまう。(大したものじゃないのに)
だから、今までのことは武器じゃなくてお守りとして持っておくだけで、
「あるがままの自分」で人と接することが直近の目標。

舞台を観て泣く話

最近舞台を観て、泣くようなシーンじゃないのに涙がでてきて困る。
コロナ禍で無事開場できてよかった、観に来れて良かった、っていう、
早く感じないようになればいいなあという感情と、
たくさん練習してこの場に立っているという当たり前だけどめちゃくちゃ凄いことが感じれるようになってきたことが理由かなと思う。

なんか、自分が新体操の現役時代に先生から
「感情を入れなさい!」「覚悟して踊りなさい!」
とたくさん言われてきたけど、今になってその意味がわかってきた。
7年越し。
当時は「感情込めてもそんな変わらないだろ」「覚悟…?」と思っていた節があったけど、
めちゃくちゃ変わるんだろうな、と思う。

舞台に立ってる人はもちろんお金を稼がなきゃいけないわけで、
次再演があっても自分がその場に立てるかはわからないわけで、
キンキーブーツという(恐らく)みんなの憧れの舞台に立つというプレッシャーがあるわけで、
その中で演じるあの人たちの覚悟はものすごい迫力を生み出しているんだなぁ、と。

多分その迫力って演劇に限らなくて、私も「覚悟」から生まれるオーラを身につけたいな、と思った。

二人のローラ

「キンキーブーツ」というお祭りを日本に浸透させた春馬くんのローラから、城田ローラへ。
キャストが発表されたとき、城田優しかできないだろうなって思ったし、
城田優でよかったって思った。

春馬くんのローラは、強い人なんだけど弱さが見え隠れする繊細なローラ
城田優のローラは、豪快で力強くて、たまに寂しさがみえるローラ

二人のローラ、どちらも綺麗でたくましくてキュートで力をくれる。
Wキャストで見たかったな

アミューズさん、ブロードウェイさん(?)DVD出してくれ

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