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カメラが楽しくなくなった過去の自分へ伝えたい3つのこと

この記事について

2020年にカメラを始めて現在5年目になりました。
自分の今後の成長を考えて、一度過去を振り返ってみようとしたことがきっかけで記事を書き始めました。


主な流れとしては

過去の自分の心情

当時撮影した写真から感じ取れる事

その時になにをして、考えるべきだったか

過去から読み解いていく流れになります。

誰かに読んでほしい、わかってほしいというより
自己の整理がメインです。



ただ、参考になる事もあるかと思いますので
初心者やこれからカメラを始めようかなと思っている人のお役に少しでも立てれば幸いです。


過去の記事ついてはこちら



今回のテーマについて

今回のメインテーマは「泥沼」になっています。
以前までの記事は2020年、2021年と
一年ごとに書いていました。

ですが今回は2022年〜2023年の一部
という内容になっています。
約1年半ほどはモヤモヤした時期が続いていたため
これを一年ごとに書くと、内容が無くなります😢

内容は、正直こんな事で悩むとか理解できない
と思う方の方が多いと思います。
このnoteは自戒を込めて書いてます😂

自分がこれだけ熱中したものは人生の中で写真だけでした。
「下手の横好き」と言われればまさにその通りですが、自分が見て心が動いたものを誰かに見てもらいたい、共感して欲しいと思える趣味を持てたことは
自分の財産になっていると思います。
だからこそ葛藤があったりしたため、ご理解ください🥺

今回は以下の3つに焦点を絞っていきます。

①SNSを始めたことで変わったこと

②自分の思う「好き」がブレてしまうとは

③自分は「誰か」になるということは出来ない


1.新たな試み

2022年の流れ

カメラ購入

Instagram開始

カメラ購入


Instagramを始めたきっかけとしては

自分の写真を見てもらいたい

というシンプルな思いからでした。

その中で段々と承認欲求が生まれて始めていき
それが加速していき、結果として、なにが目的なのかが分からなくなる。

決して承認欲求自体は悪いものだと思いませんが、間違った方向に進まないようにしないといけないという出来事です。

これに関しては、長くなるので詳細は別の機会にします。

初めての体験


2022年の初めに、新しいカメラを買いました。

機器のトラブルなのか仕様なのかは不明ですが
それが嫌で手放したので、メーカーや機種名は伏せておきます。

新しい機種ということもあり今までのカメラとは違う操作感など戸惑う事はありましたが、すぐに慣れる事もでき、それと並行してInstagramでの投稿も始めました。

なかなかいいねもコメントも付かず
誰にも見てもらえていないなと過ごしていましたが
品川に行った際に撮った写真をきっかけに段々と見てもらえる機会が増えることになりました。

とあるフォトグラファーの動画を見て、それに憧れ
同じ場所で撮影した。
その人のように作り上げることは出来ないが
思い出の一枚。
普段は雨の中撮影に行く事はないが
この日は雨が降っていて良かったと思う
地面に映るネオンが綺麗で、こんなのカメラがなければ
絶対に見落としてしまう
日常には探せばこんな景色があるだと気付かされた一枚
短い螺旋状の階段なので
下を黒くして、奥深く見えるよう演出してみた

YoutubeにてPOVの動画をよく見るようになり

夜の街のネオンの写真ってかっこいいな」
と憧れるようになった。


そして、自分もやってみようという事で挑戦した

「バズる」には決して届かないが
この写真をきっかけに、特に海外の方からのいいねやコメントが少しずつ付くようになってきた。

自分の写真が誰かの目に留まる。
そして、意見をもらえることに喜びを感じた。

ただ、英語でのやり取りになるため、翻訳アプリをかなり駆使して返信をしていたのは大変でした😂

そこからは人との繋がりが楽しくなり、大好きな趣味を共有出来る友人がたくさん出来たような気持ちで撮影が楽しくなってきた。

それからも日本の夜の街を撮り続け、フォロワーも少しずつ増え始めてきました。

そこで、自分と同じくらいのフォロワー数で
まだカメラを始めたばかりという、海外の方とDMにてやり取りをするようになった。

いつも通りのやり取りの中で、彼は近々日本に遊び行くよという話をしていた。

会話を続けていき、「○月○日は一緒に撮影しに行こう」と誘いがありました。

写真を一緒に撮りに行ける友だちが出来たことを
とても嬉しく思い、快諾しました。

そして、当日は都内の駅前で彼と待ち合わせをし
会話をしながら一緒に撮影をおこなった。

会話は全て英語だったため、中学校1年生レベルの知識しかないオレは身振り手振りと翻訳アプリを駆使しながらも彼との時間を楽しんだ。

彼はとても楽しそうに写真を撮る人で、一緒に撮影していてとても有意義に過ごせた。

それからも彼とは連絡を取り合い、お互い写真を投稿するたびにコメントをし合うことも多かった。

ふとした時に気になり、投稿を見てみると
彼に付いているコメントの数は遥かにオレを上回っていた。

それからの彼はあっという間にフォロワーが自分の10倍以上もいるすごい人になっていた。

オレはその事をもちろん嬉しく思ったが、悔しさも同時に感じました。

自分自身の器の小ささに失望する出来事だった。
彼の写真は日が経つごとに上達している。
でも、自分は停滞している。

そんな気持ちに苛まれてしまった。

「誰かと自分を比べることは愚かな事だ」

それをこの時に認識するべきでした。


2.「好きがブレる」ということ

夜の街のネオンなどを撮ることを楽しいと思っていた事は確かです。

同じような写真を撮っている人も多く、そこから学べる事も多いため、撮影以外の事も楽しかったと
今でも思います。

InstagramにはHUBアカウントという、特定のテーマの写真のみを集めたアカウントがあります。

例えば、「Tokyo Night Photography」という
アカウントであれば、東京の夜をテーマにした写真を投稿しているユーザーの作品をシェアするといったアカウントが存在します。
シェアされたことを「フィーチャーされた」という表現をする文化があるようです。

気持ちの変化

自分も何度かフィーチャーされたことがあり
その時は本当に嬉しく思い、また認められる写真を撮りたいなとこの時は思っていました。

ただ、撮影している中で

「これはウケが良さそうだな」

という事ばかりが中心になることが増えてきた。
自分のギャラリーを見ると同じような写真が並び
それに違和感を感じた。

初めてフィーチャーされた写真
手前にノイズが出ているがこれはこれで
味があって残した。
夜の北千住。この時は気が乗らずに、ほとんど撮影する事ができなかった。
サイバーパンクな写真にハマって、挑戦したが
自分には合っていないと思う
夜の街でのスナップ撮影は色んなドラマを感じることが出来た。
暗く、人気のない路地裏を探検すると
昼には見ることの出来ない景色が広がる。
その感覚をとても気に入っていた。
パープル、マゼンタを強くしすぎてしまった。
この色合いのレタッチはこれ以降していない。
色彩感覚もないため、色飽和する事も頻繁にあった。

好きがブレていく

夜の街の写真は海外の人からの評価も高かった。
だから撮影はいつも夜に行くようにしていた。

誰かが行って撮影した場所に自分も行き、記憶に残っている構図を思案しながら撮影する。

撮影後は、またその誰かが撮影した写真を見て
近い色合いになるように模倣する。

そして、自分の写真がフィーチャーされてフォロワーが増えていく。

それを繰り返すだけだった。
もはや撮影は作業といっても過言ではない。

写真は依然として好きなままであり
撮影も楽しいのは違いない。

けど、上手くいかずイライラする事も増えた。

撮れ高を気にする事も増え
足を運んだのに2〜3枚程度撮って
気が乗らずに帰る事もあった。

せっかく来たのに勿体無い気持ちはあったが
全く気が乗らない。
その気持ちの正体は

「自分が下手だからだ」

と思い込んでいた。


この時に少しでも自分の気持ちに向き合う必要があったと今では思っている。


3.「誰か」になることは出来ない

写真の技術は間違いなく上がっていると思う。
知識も増えてきて、レタッチソフトの操作も不便なくおこなえるようになってきた。
Instagramのフォロワーも増えた。

撮影している時はもちろん楽しい。
ただ、レタッチが嫌いになった。

自分の写真を反省して、次はもっと上手に取るぞと
純粋な気持ちを持つ事が出来なくなってしまった。

レタッチの時に自分の写真を見ると、なぜこんな事が出来ていたのだろう、なにが違うのだろう。

と自己嫌悪と虚無感を覚えるようになってしまった。

2022年の秋ごろ
年始に買ったカメラがフリーズが頻繁に続くことから撮影時に困る事が多かった。
そのため、慣れたSONY α7RⅤを新しく購入した。

ただ、いいカメラがあったとしても結局は使い手次第だ。
この頃は頭でそれを分かっていてもその事を納得できていなかった。
だから結局何も変わる事はなかった。

夜の浅草。以前に比べたら上達を感じる。
観音通り。
持ってきたレンズの焦点距離では技術が足りず
何回も撮ってようやく納得出来るものを見つけた。
人の気配がないのに、ネオンがあるおかげで
なんだか不気味さがなくなる。
夜の撮影は発見の連続だった。
サイバーパンクな上野の路地裏
こういった写真はいいねをよくもらっていた。


自分の写真の評価を自分でする事が出来ず
知らぬ人からの「いいね」というアクションで喜びを感じるだけだった。

こういった状態は2023年の梅雨ごろまで続いた。

仕事も忙しくなり、撮影に行く時間も減ってしまった。

もういっその事カメラをやめてしまおう。

そう思う事が増えた。

自分が今まで好きだったものが好きではなくなる事が虚しく感じ、悲しく思えてきた。

原因は明らかなのに、何がそうさせているのかが当時は全く分からなかった。

この時に今と同じように写真を始めた時のことを振り返ってほしいと過去の自分に伝えたいと思う。

絵が描けない自分でも
目に見えたもの、思い出や面白いなと思ったもの。
そういった日常を切り取ることが出来る。

もう2度と同じものは撮れる保証はない。

ある意味、刹那的な楽しさを感じるこの趣味に
自分はずっと夢中になっていた。

いつしかそれの目的が変わってしまっていたことに
この時に気づくべきだった。

誰かから学ぶ事はとても大切なことで
写真を認められたい、見て欲しいという感情は当然だと思う。

でも、オレはそれらの「誰か」になる事は出来ない。
真似をしたとしてもそれは自分の写真であるが
自分の思い出にはならない。
勉強のために模倣するといった目的であれば
それは構わないと思っている。


自分が撮った写真を後から見返して
その時を鮮明に、願うならば目以外の感覚でも
思い出を感じ取れる写真を撮りたい。
今はそう思っています。

そうしてオレは段々とSNSから離れていくことになった。


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