私本義経 中原親能

駆け引き


このままでは民らに、

平氏の時代の方が良かった

とまで言われかねぬし、義仲の、

北陸宮即位

への圧が増し続けるのは好もしくない。
ついに法皇から頼朝兄上に宛てて文が来た。
一に頼朝、二に義仲、三に行家と褒賞した。
二が暴走し居るなら、一が御するが当然であろう?
何とかせよと。
いやいや身共は東国で、土地争いが忙しく、鎌倉一つ、守っておくのが手一杯でござりますれば。
なんと老獪な兄上であろうか。
後白河法皇様を掌に転がしておられるのだ。
果たして法皇様からの返書はこうだった。

平治の乱での罪科をもはや問わず。
東海道と東山道の所領を本来の持ち主に戻すこと、その地域の年貢・官物を『頼朝が進上し』、命令に従わぬ者の沙汰も『頼朝が』行うこととする。

あなた方の世界でいう、

寿永二年十月の宣旨

である。
頼朝兄上は既に、東国のほとんどの地を実力で制圧していたし、そうした地域の所領の収公、御家人の賞罰も自由裁量で行っていたが、それらはその時点では、朝廷からみれば、あくまでも非公式なものだった。
この宣旨によって鎌倉と兄上は正式に、朝廷の認むる存在となったのである。


上洛


「反乱軍」の汚名は終わり、従五位下にも復位。
戦によって得た名誉をみるみる目減りさせてしまった義仲殿とは対照的に、頼朝兄上は鎌倉を一歩も出ることなく、朝廷から公式に認められる存在となってしまった。
内乱や小競り合いを繰り返していた地方に、正式に睨みがきかせられる立場になった我々は、各地の荘園や領地から、租税や年貢を取り立てて回り、秋には朝廷に納めるに余る、たくさんの食糧と財物を得ていた。

さてたれが朝廷に納めにいく。

それはもう、官職もおありになる兄上が適任でございましょう。

私がにこにこと話すと、頼朝兄上は思い切り、愚者を見下す目つきで見た。

お前は愚昧か?
それではまるで

官職を、戻していただいてありがとうございました

ではないか。
駆け引きは、

官職を、戻してもらってやったのだ

でなければならんのがわからんのか。
これだから育ちの…

と言いかけて、語尾をごにょごにょと濁した。
お育ちがよいのはご自身だけだと思い出されたのだろう。

いい機会だ。
京を見てくるがいい。
親能(ちかよし)に随行せよ。
ただし九郎。
仮にも私の名代で行くのだ。
ゆめゆめ下手な動きをするでないぞ。

釘を刺されたのは私だったが、範頼兄上も厳しい顔をしていた。
さすがに範頼兄上も、頼朝兄上の態度には腹を据えかねておられるとみえた。


出立の支度をする。
今度は佐藤兄弟も一緒だ。
戦に行くのではないので、ちょっと気が楽だ。
それにしても…
こどもの頃とはいえ、私も京にいた。
それも平清盛の宅にいたのだ。
京風を、まんざら知らぬわけでもないのだがなあ、などと思いつつ、太夫黒に鞍をつけていると、先の不機嫌なお顔つきのまま、範頼兄上が現れた。

兄上。

唐針には乗ってくれぬのか。

あれは頼朝兄上に召し上げられました。
これは太夫黒。
平泉以来の付き合いです。
太夫黒、兄者に挨拶せよ。

冗談で言ったのだが、太夫黒はヒヒンと軽くいなないて、兄者にちょっと頭を下げたのだ。

おお賢いな。
範頼じゃ。
こちらこそよろしうに。

馬にまで愛想の良い兄上である。
だが再び眉を陰らせた。

唐針は、信義様のお気に入りじゃ。
おまえを気に入ったゆえ下された。
なぜ弟の馬を取る。
しかもおまえは京を知っている。
なぜ侮る。
亡き悪源太兄上のことも、出自がどうと侮るのか?
上に大きく出るのはいい。
男気だ。
だが目下をいたわらんならそれは…

語尾までは語られなかったが、範頼兄上はかなり怒っておられるようだった。

私も京を見知っておきたい!

叫ぶように言った範頼兄上に、

それはなりませぬなあ

と、はんなりした声をかけたのは公家ふうの男だった。
頼朝兄上より少し年嵩のようだ。

親能様ですね。
九郎義経です。
よろしくお願いいたします。

丁寧に頭を下げると、中原親能殿はほんのりと、嫌味なく笑んだ。

それでも地球は回っている