私本義経 兄弟(けいてい)

平泉の暮らしは大半穏やかなものだったが、不穏な部分もないではなかった。
それはもっぱら第四代当主選びに関することだった。
秀衡翁の愛着は、長兄国衡殿にあったが、跡目は正室のお子、泰衡殿が継ぐようだった。
妾腹のご長男。
嫡子のご次男。
ご長男は勇猛で、ご次男は雅。
ご次男より、さらに四つ下の私にとってはどちらも兄者だ。
二心なく接していると、国衡殿は気にせぬのだが、泰衡殿はちょっと僻む。
正規に嫡子とされておるのに、何がお気に召さぬのだろう?
私にも兄がいくたりもおるし、中には嫡流もちゃんと居られると聞いておる。
ああ。
嫡流が兄上なら僻みもおきにくかろう。
逆だから…つらいのだろう。


そんなある日。
不意に事は起きた。
安徳天皇の即位により、皇位継承が絶望となった以仁王というお子が、源頼政というお方の協力を受け、平氏追討、安徳天皇の廃位、新政権の樹立等の達成を求める令旨を発したというのだ。
その令旨は源行家という御仁によって、全国各地の源氏等の武士達に伝えられたらしく、私の兄たちも、令旨に呼応したと聞いた。
胸うちがざわざわする。
こういった出来事を、私は待っていたのだろうか?
男として生まれたからには…みたいな。
されど。
母と私は一時なりと、平氏の飯を食した身、わけても清盛殿には、牛若牛若とよく遊んでもらった。
時子様も徳子様もお顔を見知っている。
立身と出自。
我ながら…これは…

それでも地球は回っている