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「SNSの誹謗中傷」をきっかけに思うこと

少し前から、色々なドラマで
「SNSなどによる誹謗中傷をやめないか」
と言ったメッセージが見て取れる。

それは直接的なものだったり、
あ、これはSNSの誹謗中傷などをやめようぜ的なメッセージだな
と気付く人は気付く程度のものだったりと様々だが

この状況をどうにかしたいと思ってる人が沢山いることは
きっと事実だろう。


私もその1人だった。
SNSだけに留まらず、世の中が今よりもう少し優しくなったら良いなと
思っていた。


ただこれは、
ただ単に「SNSに誹謗中傷書くのやめたらそれで解決」
といった問題ではないのだろう。


目を向けるべきは
どうしてそこに誹謗中傷を書かねばならなかったのか。
どうして自分の心だけに留めて置けなかったのか、
ということだと思う。


ひとりひとり、頭にくるポイントは違う。
芸能人の不倫が許せない人もいれば、
アイドルの結婚が許せない人もいる。

俳優の演技に文句を言いたい人もいれば、
ドラマの結末に納得いかない人もいる。

ニュースに意見を言いたい人もいれば
コメンテーターに言いたいことがある人もいる。



「期待してたのに裏切られて悲しい」
「こう思ってるのは私だけじゃないよね?」
といった不安からSNSを見て、同じ意見があれば安心し、
さらに自分と似たような人を安心させるために
同じような意見を書き込んでいるのかも知れない。


それはもしかしたら元々は
「誰かを傷つけたい」と言う気持ちからではなく、
「自分のような誰かを救いたい」=「自分を救いたい」
という思考回路があるのかも知れない。


人は皆、
自分の心を守ろうとしているのだ。


私は
「人はみんな、自分にとって良いと思うことをしている」
という考え方が好きだ。


普段はみんな、日常のタスクをこなすのに忙しく
きっと文字通り
心が亡くなっていくのだ。


だから「なんかムカつく!」「これはおかしい!」
というグァっと湧き上がる感情の奥まで考えようとはしない、
というかそんなこと出来ない。
もしかしたら
考えたこともない、という人が大半かも知れない。


だが、心の奥の奥を見れば
過去のトラウマに触れていたり、
自分の中の正義に関わっていたり、
自分がやりたいのに出来ないことをやってる人を許せなかったりと、
その人その人の
「本当は手放したい気持ち」に
関わっているのではないかと思う。


なので、
「人はみんな、自分にとって良いと思うことをしている」
という考え方をもとに考えると、
やっぱり人は皆
自分の心を守ろうとして行動しているのだ。


きっとこれといった明確な解決策はないのだろう。

ただそれでも、ひとりひとりが
「この人はどうしてこの行動をしたのか」
「どうしてこんなことを言ってしまったのか」

「私はどうしてこう思うのか」
「何が私を苛立たせてるのか」
などと
少しでも考えることができたら
世の中は少しずつ変わっていくのかも知れない。


むしろそう考えることができた瞬間に
自分の周りにいる人たちが
変わって見える。

人を信じることができる。
人を愛しいと思う瞬間が増える。

あなたの世界は変わるのだ。




学校に行きたくない子供も
それに困る親も

電車で赤ん坊の泣き声に怒る人も
それが怖くて電車に乗れない親も

部下を強く叱ってしまう上司も
上司のやり方に納得いかない部下も

それぞれに大事にしたい気持ちがある。
守りたい心がある。



そこに寄り添えるか、寄り添いたいか、は
また別の話で
「あの人も自分にとって良いと思う行動をしているんだ」
と客観的に見ることができた時に

その時その時、ひとつひとつの
「自分なりのちょうど良い着地点」に
近づくことができるのかも知れない。



#創作大賞2023 #エッセイ部門

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