見出し画像

勉強がキライでマンガばかり読んでいた子供はどんな大人になったのか

▫️マンガとの出会い


私がマンガと出会ったのは
小学校2、3年生の頃だ。

同じクラスの、
元気でハキハキしていて
言いたいことは何でも言えそうな
私とは違う生き物のような女子たちが
本屋の前で
「私なかよしやってるんだー」
「私もやってるよ!楽しいよね!」
と話していたことを聞いたことがきっかけだった。

なかよしをやってるって何だろう?
と思いながら本屋の店先で平積みにされてる本を見ると
「なかよし」と書かれた可愛い女の子のイラストが描かれている
分厚いマンガがあった。

昔は、毎月のように定期的に何か買うことを
「やってる」「始めた」と言う子が周りに多かった気がする。

それからほどなくして私は
なかよしを始めた。

そして少しした頃、妹はりぼんを始めた。

お互い、自分が買ったものは自分が先に読むというルールの下
毎月貸し借りをしていたのだが、
いつだか、りぼんに私がドハマりした漫画が連載され始め、
妹が読み終わるまで待っているのが耐えられなくなってきた。

「私がりぼんを買いたい!」と何度も訴え続けた結果、
やっとこさお許しが出て、毎月りぼんを買う権限は私のものになった。
(ちなみに妹はその後ちゃおを始めた)

そこから余計にマンガにハマっていった。
りぼんには増刊号があって、
普通のりぼんよりも小さいサイズで、
普通のりぼんよりも分厚かった。

普通のりぼんが当時大体400円なのに対して
増刊号は700円もした。

小学生にとっては辛い出費だ。
でも、一度読んでみたいと思って思って思っていた頃、
なんということでしょう。
遊びに行った友人宅に増刊号があったのです。

読んでもいいか許可を取って
時間も忘れて読みふけった。

数人でお邪魔して、みんなはなんやかんや遊んでいたが
私はずーっと増刊号を読んでいた。
ずっと読みたかった増刊号。
自分では買えなかった増刊号。
ここでしか読めない増刊号。
とても満足な時間だった。


しかし数日後、母親からこう言われた。
「この前、ずっとマンガ読んでたんだって?」
声のトーンから、やっちゃいけなかったのかと、理解した。
同時に、好きなことをしてはいけない理由に疑問を持った。

うちの母親がそれを知るには、友人の母親が伝えるしかないので、
きっとそう言われたんだろう。
確かに「あみちゃんもみんなと遊べば?」的なことを言われた気がする。

今思えばこの時に
「友人の家に行ったらその子と遊ぶべき」
という1つのルールが私の中にインプットされた気がする。
私が納得してるかどうかは置いておいて。


そして現在、自分が親になり、
我が子が友人宅に遊びに行って、
みんなとはやらずに1人でゲームをしていたと知った時
「お家に遊びに行ったなら1人で遊んでいないでそこの家の子と遊びなよ」と
注意したことがある。
私がそう思ってるかは置いておいて、「そういうものだ」と思ったからだ。
世の中にはそんなルールがあるのだと思ったからだ。

そしてその子の親にお伺いの連絡をすると
「全然気にしてないよ。むしろうちで自由に楽しんでくれてて嬉しい」
と返信が来たのだ。

それは私の中にスッと入ってきた。
私もきっと心の底ではこう思っているし、こう言える人になりたいと思った。
そして、実際に言えるタイミングがあったので言ったりもした。←

そう返信をくれた彼女は同じ母親として尊敬している人で
悩んだら親身になってくれる人で
自分の意見もしっかり持っている人だ。

自分の行動や発言は、選べる。
どうせ影響を受けるなら、
「どこかの誰か」とか「一般的には」とかではなくて、
尊敬している人の影響を受けて
自分の好きな自分になっていきたい。



▫️勉強がキライ

小学生の頃、勉強がキライだった。
小学校の授業で唯一好きだったのは図工だった。
図工は1週間に1日だけ、2時間しかなかった。
当時はまだ土曜日も学校に行っていたので
週6中、週5が苦痛だった。
今思えば、よくそんな状況で毎日学校に行っていたと思う。
自分のことを褒めてあげたい。

どうして勉強がキライだったのか
考えられる要因は沢山あるが
今思い浮かぶのは2つだ。
1つは、アニメの影響が大きいように思う。

あらゆるアニメで「勉強はイヤだ」「テストが嫌だ」
「宿題が分からない」「学校は大変」
と言った言葉を聞いていた気がする。

大人になって知ったことだが、小さい頃に聞いた言葉や
大人になってからでも沢山見聞きしたものは
自分の潜在意識にインプットされていき、
無意識のうちに「そういうものだ」と握りしめて生きていってしまう。

同時にアニメには沢山の役割の子が存在している。
優等生や、劣等生や、可愛い子や、可愛くない子、
乱暴者や、意地悪な子など。

「小学校はこういう場所なんだ」とか
「自分はどの立場なんだろう」とか
無意識に考えていた気がする。

そしてその立場でいようとした気がする。

私にとって小学校は
「みんな行きたくないけど行かなかったら怒られるから仕方なく行くもの」
だった。


そしてもう1つの
どうして勉強がキライだったのか考えられる要因は
私の誕生日が3月下旬ということだ。

私は自分の誕生日が大好きだし、
3月生まれの人がみんな勉強嫌いになると言いたいわけではない。
あくまで【私の場合】だ。

4月生まれの同い年の子が立って歩く頃に生まれるわけだから
幼少期の成長の差には大きなものがある。

通っていた幼稚園には年中の時に入学した。
年少の時から幼稚園に通っている子たちは
自分よりもお兄さん、お姉さんに見えてなんだか少し怖かった。

年中の時のクラスは、
4月生まれ〜9月生まれと
10月生まれ〜3月生まれで分かれていた。(と思う。)

だからか?幼かったからか?
何も気にせず毎日楽しいだけだった気がするが、
年長になった時には誕生日が関係なくなった。
少し怖いと感じてたメンバーともごちゃ混ぜになった。

いろんなことが「ダメ」になった。
「あれやっちゃダメなんだよ」
「それやっちゃダメなんだよ」

サッカーをしている時に、咄嗟に手で触ってしまって
すごく沢山注意された気がする。
頭ではわかっていたのに、咄嗟に手が出てしまって、
「ちゃんとわかってたのに」「そんなに言わなくても良いじゃん」と悔しかった。


合奏の楽器を決める時に、私は木琴に立候補した。
木琴かっこいい。触ってみたい。
それまでまともに楽器なんて触ったことはなかったけど、
ハーモニカが吹けるようになって、自信になって、
ドレミが書いてあったら自分にも出来ると思ったのだ。

「あみちゃん、木琴やりたいの?本当に?
みんな、あみちゃん出来るかな?」

これは当時の担任の言葉だ。

そして子供たちが答える。
「できないと思うー」「あみちゃんにはできないと思うー」

何を言われても気にならなかった。
だって出来るし。ドレミが書いてあれば出来るし。

いざ木琴の前に立つと、ドレミのシールは貼ってなかった。
私はただ木琴の前に立って、何もできなかった。
みんなの言う通り、私はできなかった。
「ドレミのシールが貼ってあったらできる」とは
言えなかった。


「誰もわかってくれない」と
「私はダメなんだ」が少しずつ蓄積されていった。


小学校に上がって、私は勉強ができなかった。
先生の言うことを聞き逃すこともきっと沢山あった。
みんなが何をしているのか分からなくて
自分が何をしたら良いのか分からない時間もあった。


この2つの要因が
「勉強嫌いの私」を作ったきっかけだったんじゃないかと思う。


潜在意識の中に
「勉強はつまらない」「勉強は大変」「勉強は分からない」
「私はできない」「私はダメ」「私には何も出来ない」
が蓄積していった結果だと思う。

「潜在意識が現実を作る」と言うことを
小学生の時にすでに体験していたんだ。


▫️人の気持ちを考える

勉強がキライだった私でも毎日学校には行っていた。
「勉強はどうせ出来ない」とインプットされてるので分かろうともしなかった。
頑張ろうともしなかったし、頑張り方も知らなかった。
親が一生懸命教えようとしてくれてても
頭の中で「早く答えを教えてくれ」と思いながら
時間が過ぎるのを待っていた。

その代わりなのか?
人のことをよく観察していた気がする。

通っていた小学校は1クラスしかなかったので
6年間、ほぼ同じメンバーで過ごした。

よく見ていると、みんながそれぞれどんなことで怒るのか
どんな時にどんな対応を取るのか
その子その子の得意なことや苦手なこと
長所や短所がわかるようになっていった。

そして自分がどんな対応を取れば良いかも
少しずつ身につけていったように思う。

友人関係は感覚で判断できるので楽だった。
一緒にいて楽しい子や、話が合う子、
話してるとイヤな気持ちになる子や、
言い方がイヤな子。

一緒にいて楽しい子といる時間を増やして
イヤな気持ちになる子とは距離をとった。

それでも時々なぜか
イヤな気持ちになる子とも関わらないといけないタイミングがやってくる。
それが学校なのか。
それとも「楽しいことがあれば辛い事もある」と
私の潜在意識に入っていたのか。


ちなみに今は
「楽しいことがあれば辛い事もある」とか
「嬉しいことと辛いことは人生のうち半分ずつある」
とかっていう言葉を、全く信じていない。

だってそんなの、私が決める。



年齢とともに経験値も増え、
さらにマンガを読むことで沢山の人の心の変化を見てきた。
しかも今思えば、
人の心について深く描かれてるものを好んだり
登場人物の心の変化を見るのが好きだったりした。
今もきっと、そこを大事にして読んでいる。

「本を読むと頭が良くなる」と聞いたことがあるが
それはマンガでも当てはまると思っている。
子供の頃は、マンガじゃダメだと思っていたが、今は全く思わない。
マンガじゃダメだと思った理由も、きっとこれまたアニメなどの色々なところで
「マンガばかり読んで!」と怒られる人物を見てきたからだと思う。

文字ばかりの本でも、マンガでも
沢山の人のアイディアや知恵で出来ている。
沢山の人の経験が凝縮され、
あーでもない、こーでもないと、沢山悩んで悩んで
「これだ!」と言うものが世に出ている。

それってすごいことだ。
沢山の人の人生に触れてるようなものだ。



▫️大人になった今

勉強がキライでマンガばかり読んでいた子供は
どんな大人になったのか。

昔だったら
「ろくな大人にならない」とか言われていたかもしれない。


36歳になった私は今周りに、誇りに思う人が沢山いる。

今でも連絡を取ったり、直接会ったりする地元の友人。
なかなか会えてなくても、心の底から信頼してる
高校時代の友人。
誰かの誕生日の時にはラインを送り合う同期。
定期的にピクニックやお花見をする大好きなみんな。
子どものことや学校のこと、
人間関係のことや子育てのことを相談できるママ友、
中には親子同士で一緒にゲームをしている家族もいる。
我が子の友達に「あみちゃん」と呼ばれると、とても嬉しい。


自分の年齢が上がるにつれて
本当は一瞬も考えたくない悲しいことが起きたらと、
よぎる事もある。

ただその度に、きっと連絡をくれたり
会いに来てくれるんだろうなと思う人の顔が
思い浮かぶ。

それが1人や2人ではなくもっと沢山いることに
私は幸せになるのだ。


人に恵まれた。
それは確かにそうなんだけど
沢山の出会いの中で、
自分に合う人、自分に必要な人を選びとって
力になりたい人、役に立ちたい人に還元できるように
その都度必要な知識や経験をつけて

数えきれないほど自分とも他人とも
向き合って、考えて、悩んで、ぶつかって
ケンカもして、離れてしまった縁もあって

そうやって「私」が生きてきた結果なんだと
今、胸を張って言える。

今、周りにいてくれる尊敬してやまない
大切な人たちの存在が
私が今まで頑張って生きてきた結果だと
証明してくれている。


自分はいつだってダメじゃなくて、
その時その時、自分のやりたいことをやったり、
自分の心を守ったりしながら、
その時の最善を尽くしてきた。


一緒にいるようになって18年になる旦那様と
3人の可愛い子どもたちに恵まれて、
自分の興味のあることを学ぶのは楽しくて
自分は全く勉強嫌いではなかったと知ったのは
ここ数年のこと。


当時、勉強がキライでマンガばかり読んでいた子供が
大人になった今どうなったかというと
沢山の大切な人と巡り逢えました。


もしかしたらこの縁は
子供達が大人になっても続いていくかもしれない、と思うと
涙が出ます。


「誰もわかってくれない」と「私はダメなんだ」が
少しずつ蓄積されてしまっていた
幼い頃の自分へ。


頑張ったね。
ただ、それだけ。



#創作大賞2023 #エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?