シン・ゴジラここが良かった(ネタバレ有)

以下、シン・ゴジラのここが個人的にツボだった点をざざっと。まあネタバレありまくりなので、未見の人読まない方が良いです。いや、マジで。そんなわけで、ネタバレしたくない人のために思いっきり空文字入れてますのでスクロールしてくださいませ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

さて、ではここがツボその1「リアル」。

とにかく、行政・政府の動きが徹底してリサーチされていて、そこから予期されるであろうあれこれが虚構なのに無茶苦茶リアル。まず初動で「とりあえずこんな感じが想定内だからこれで」みたいなノリで最初の事故に対しての公報発表内容をストーリーとして組み立てた後、全然政府が描いた想定と異なる事態へ進展すると、後手後手に回り、対応する前例の有無で判断を遅疑逡巡させたり、右往左往しているようで、機能し始めるとガンガン歯車が回り始める官僚の皆さん。行政のエスカレーションの仕組みとかが徹底して描かれていて、前例破りとなると大臣から「さあ決断してくれ」と首相に詰めていく。そう、首相職って本来そういう職なんだよな、と。直接公選制じゃないのであまり強く意識されない首相職の重要性ですが、前例があるものなら大臣が「じゃあこれで」とやれそうな内容も、そこから外れると「これは前例がないので最高責任者が決めてくださいね」とやる。そして自衛隊の描かれ方。害獣駆除なのか災害派遣なのかといった法的なものもそうだけど、最初のゴジラ上陸時に迎撃に飛んだ部隊に対して「待った」かける。理由が「国民を撃たせない」。これは旧日本軍からのトラウマ的それに対して、自衛隊の役割の第一が何であるのか、それをちゃんと踏まえた描写になっていて、ハリウッドで描かれる米軍がある意味冷徹に「国家のため」にそういった犠牲を厭わない描写がしばしばあるのに対して、ほぼ観念的に首相がそう決定する。一人二人であっても自衛隊に撃たせるわけにはいかない(直接狙うのではないとしても)。この決断は場合によってはその一人二人のために万単位の犠牲が生じる可能性がある局面でもそう決断するという、ある意味「非常時などそもそも想定していない」戦後直接に戦争とは離れた位置で政治を続けてきた日本の政治家の決断と自衛隊の根本の部分がもたらした決断な訳です。対してアメリカはまあ容赦ないので、首都圏の広域を巻き込みかねない爆撃範囲を指定して攻撃しにかかる訳です。それに対して日本政府の側が「こんなに広く指定してきたの?」って感じでビビる訳ですが、ほぼ常在戦場みたいな米軍の考え方と日本との差異が描かれています。後述しますが、核兵器の使用に踏み切った際に「ニューヨークであっても同じことをする」というアメリカ側の意向が披露されますが、実際ニューヨークで同じことが起こったらどうなるか、(ハリウッド版ゴジラでは描かれていませんが)アメリカの核戦略が冷戦期に本土に核兵器を撃ち込まれることを前提に発展し、また核兵器使用の正当性の論拠が「国家崩壊の危機にあっては使用も仕方ない」というところまで昇華されてしまっている国なので、本当にやりかねないよな、という意味でリアルです。また、後半国連決議により核兵器の使用にGOが出るわけですが、それを積極的に後押ししているのが中露で、「地政として近いので」積極的だという発言が出ます。これも恐らく実際にそうなったらそうだろうな、というのは、中露にとって「自国以外」のところで潜在敵であるアメリカの最新兵器の威力や効果を確認できるという点で政治的に理が適っていて、湾岸戦争などでソ連の武官が少なからずイラク側に入って米軍(を主とした)装備・攻撃の効果を観測する役割を果たしていました。国家間の情報戦とその冷徹さという点で、これほど説得力のある動きを直接描写無しに展開してしまう演出というのもリアルでした。そして、自衛隊そのものも、あの短期間の準備としてはほぼ全力展開に近い描き方で、多摩川を防衛線として設定した展開は実際に展開できる戦力描写としてはほぼそうなるだろうな、という規模です(海自の描写はそこには無いのですが、上陸されてしまえば海自はあまり出番がなくなるのも仕方のない話です)。10式戦車の行進間射撃なども描写されていて、これはほぼマニア向けな感じの描写ですが、陸自戦車の行進間射撃というのは、これは世界でも群を抜いて精度が高い分野なので、陣地戦での射撃から展開移動の行進間射撃というのは、これは陸自の皆さんもかなり協力あったろうなと思います。また初期のヘリからの攻撃が機関砲から誘導弾射撃へ移行する過程も、可能な限り最小限の被害で済ませるようにしつつ効果が無ければ次へ移行するという形で、自衛隊の存在としてそうなるだろうな、といった感じです(作中では無制限武器使用許可という形となります)。除染処理の描写なども実際に即したものですし、放射線の影響があると解った後の「もっと基準緩くしないと数が多すぎて対処できない」といった細かい台詞もリアルでしたね。後に核兵器使用に備えて300万人以上を疎開させる展開となる訳ですが、そこに至るまでにも「災害避難用の避難地域では規模が足りないから別の退避先を指示してくれ」といったニュアンスの台詞などもあり、実際の行政処理能力と物理処理能力と理想はここまで退避させるべきだけど実際にその余裕・能力がないといった大規模災害時に直面するジレンマなども描かれ、このあたりは東日本大震災を下敷きにしている部分もあるでしょうし、政治と行政の直面する現実的問題をうまく描いていたと思います。まだまだありますが、とにかくリアルです。

ここがツボその2「ゴジラ」

とにかくゴジラでした。変な意味をもたせず、何の目的があるかも明らかにされません。ゴジラという作品の本来の「超越した存在」である所以を、そういったところを描かないことで描くという絶妙さが光ります。また、「福音にも成り得る」という台詞を入れることで、ただ破壊するだけではなく、善悪を超越した絶対的存在として描くことに成功しているとも感じました。シンに充てられる文字はいくつか提示されているようですが、あくまで生物でありながら超越存在であり人智を超える存在でありながら、同時に人間の善悪の尺度だとどちらでもある。ゴジラの凍結に成功した後に「せっかく壊れた首都と政治だからスクラップアンドビルドで」という台詞があったりするのですが、これも敗戦という過去の大戦の廃墟の中から現在に至った日本というよりは、「そもそも超越した存在がもたらした、価値判断をさしはさむ余地がないもたらされた結果」をどう受け取るかということになるわけです。前向きに受け取れる台詞ですが、その裏で多数の被害者を出し、株も国債も暴落してデフォルト寸前という経済状態がさらりと台詞でインサートされ、ゴジラの存在とそれがもたらすものは人の世にとって良いでも悪いでもないんですよね。その結果をどう受け取るかはひたすら人の側に投げっ放し。このあたり、ゴジラだよな、と。冷戦期の放射性物質の闇雲な投棄という、環境問題にリンクさせても良さそうな事項が描かれていますが、敢えてそこから派生するであろう単純な善悪といったものをゴジラには被せていない。そこが良いですね。その上で、ゴジラ自体は幾段階もの変態を遂げ、同時にその「さらに先」も示唆されている(最後の尻尾のアップの描写の話ではありません)。人の思惑とか価値判断とか全然無関係にそういったことが描かれています。だから人の行為に反応するのは自身に傷が及んでからの条件反射的行動だけで、それ以上でも以下でもない。ゴジラらしいです。ゴジラの造形も過去のそれと結果として似ている部分をもたせつつ、オリジナリティがある造形なのも良いですね。過去への敬意を持ちつつ、リファインされて作品の中の存在として過去にとらわれない描き方もできている。敬意はあるけど呪縛になっているわけではないあたり、非常に上手でした。その時代その時代のランドマークを破壊してきた歴代ゴジラですが、本作ではそういう描き方をしていないんですよね。で、同時に現在は存在しない「予定されている」建物を敢えて描写してそれ「も」壊している。過去やってきたことに囚われないようにしつつ、それらが描いてきたものを虚構としてインサートすることで、「それも」やっているように意識しないように描写しています。

ここがツボその3「ザ・庵野監督」

さっさとエヴァ作れと言われまくってる庵野監督ですが、本作見ちゃうと、もう庵野監督が描きたい描写ガンガン突っ込んでいるはずなので、やっぱり本作手掛けたのは良かったんじゃないかと思います。BGM等もあり「エヴァっぽい」とかの評価もあるようですし、エヴァが寧ろゴジラみたいな評価もあるようですが、総監督として手掛ける上での癖みたいなものが共通するのは仕方がないことですし、やはりこれはゴジラであってエヴァではないです(コラボはいっぱいしてますけど)。エヴァと似たような描写としては、日本政府が動く(政府を動かす)際の煩雑な手続きの山とか(作中では「それが民主主義だから」といった台詞も入っています)、自衛隊の全力展開とかそういったところも挙げられるでしょうし、神ならざる神としての存在みたいな点も挙げても良いかもしれません。しかし、どちらかと言えば庵野監督の癖みたいなところの表現を挙げた方が良いとは思います。背景で飛び交う台詞やテロップ描写で情報量をグンと引き上げたり、建物との対比でその巨大さを魅せる点などはあります。まあ最後のものは寧ろエヴァの描写が特撮のモチーフてんこ盛りなので、寧ろアニメではない本作では原点回帰的意味もあるでしょう。一方でエヴァのようにサブカルガジェットてんこ盛りとは真逆の徹底したリアルなガジェットてんこ盛りな訳で、そのあたりはやはりエヴァではないんですよね。あくまでゴジラとして作り上げられています。その一方で、ゴジラが特に口から放つそれは、ナウシカの巨神兵で描いたそれと似たようなイメージもあり、庵野監督の原点がそもそも何処からスタートしているのか、といったところは「庵野監督やっぱりそこは外せないのね」と妙な安心感もあります。それと、エヴァでは執拗に描かれた親子という描写は、かなり意図的に排除されています。強いて言えば微妙に評判が悪いカヨコ(石原さとみ)がそうなのですが、それも立場を説明する以上に過剰にならないよう配慮されています。人物描写が弱いといった評価もあるようですが、本作はそもそもゴジラを描いている作品なので、無闇に人の背景を掘り下げなかった点も正解だと感じました。エヴァがそこでいろいろと躓いてはリメイクを繰返している点を勘案すると、「既にやってしまった自分の作品の焼き直し」ではないからこそ、そこまで思い切って出来たのだろうな、とも感じました。庵野監督の描写テクニックや偏執狂的拘りへ注力するためにこそ、そういったものは敢えてカットしてしまう。その思い切りが良い方向に出ているように感じます。持ち味を最大に活かし、ゴジラという存在を見せるにはどうしたら良いのか、その点が徹底されています。徹底具合も庵野監督らしい拘り方です。

ここがツボその4「歴史」

戦後日本はアメリカの属国だったとはいろいろと言及される点ではありますが、本作でもそれは徹底して描写されています。アメリカのあれこれの要求に外務大臣が思わず「これはあんまりだ」と吐いてしまう描写もありますし、直裁に「属国だった」と台詞も用意されました。また初動の段階では防衛大臣が「日米同盟があってもアメリカは支援の役割」と念押しして政府を動かそうとしているのとおかまいなしに、アメリカはアメリカで独断で広域の爆撃作戦を通知してきて実行したり(描写としてはそこまで広域の爆撃にはならなかったものの、ゴジラの侵攻可能性のあるところをほぼ網羅して立案したとしか思えない広域爆撃計画)、東京に核兵器を落としてでも自国の機密を隠蔽しにかかったりと、日米関係の歪な点や極限になったらどういう力関係になるか、そのあたりは過去のいろいろなものを参照して描いたのだと思います。また、政府要人の多数が死んだ後、「誰もやりたがらない」臨時総理の職を、論功行賞で大臣職を貰っただけの、ある意味アメリカからは(大臣職はまだしも首相としてはノーマーク)だった農水大臣が臨時総理となった後、「もう思った通りやっちゃえば」と背中押されたらアメリカの思惑と相反するように凍結計画にGO出したりする。しがらみや影響が少ないからこそ、却ってそこへの配慮とかしないでGO出来た、そういう感じの描写です。就任の当初こそいきなり核攻撃の話が進行中で「こんな形で歴史に名を残したくなかった」とぼやいたり、現場からは派閥人事の極みの人みたいな低評価でスタートする訳ですが、ノーマークだからこその決断だったり、もともとそんなつもりが無かったもんだから積極的に何かを自己満足で決めたりする訳でもなく、結果としてアメリカの意向を忖度して巨対災の動きを止めたりしない。アメリカが徹底してマークしてあれこれと縛っていた人だと、ここで恐らく凍結計画放棄の決定を「してしまう」はずなんですよね。で、その結果、「後日」やってくるだろう事は解り切っているので、凍結計画が成功したらさっさと身を引く方向を決めてしまう。望外な役職になってしまった、ある意味での無能の極みみたいな凡人総理であっても、日本政治における「それをやるのは禁物」は解っている。そのあたりも歴史の積み上げだよな、と。臨時総理、ある意味で本作の主人公級の絶妙な描写です(主人公ではないですし影も薄いですが、作品のリアルを描く上で不可欠な人でもあります)。

ここがツボ5「その他」

他にもいろいろツボなところがあって、建機好きにはたまらないとか、鉄道車両大活躍みたいなところもあります。あとシーンごとに画質調整してみたり、いろいろと細かいところまで精緻に作り上げられているとも思います。それはそれとして、個人的に思いっきりツボだったのが「フランスの核兵器の意味と価値の描き方」。フランスは米英への対抗心もあり、一時NATOを抜けたりするなど、ある種の鼻持ちならないくらいの自主自立の気風が強い国ではありますが、同時に核保有国で常任理事国でもあります。そしてその保有する核兵器、実戦ではほぼ使い物にならない訳です。米中露と比較すればまったくお話にならないし、実戦使用可能性で言えば印パの方が有り得るくらいに、ほぼ戦術・戦略的意味がない、そういう兵器がフランスの核兵器です。が、もうこれ完全に意地のために維持している側面もあって、その意味合いは「大国だぞ」という以上でも以下でもない訳です。そもそも核保有国であることさえしばしば忘れられてるんじゃないかと思うくらいに。ではフランスの核兵器は何の意味があるかといえば、もっぱら政治的意味な訳です。作中では「フランスは原子力推進しているし」という理由で外交カードに浮上する訳ですが、核兵器の五大国として、最近でも装備刷新に励むなど、コスパを度外視して核戦力を維持している訳で、それが作中で「まったく描かれていない」にも関わらず大きな意味を持っていることを描写しているんですよ(国連決議による核兵器使用カウントダウンの一時停止)。もしかしたら現実、創作関係なく「最も意味と価値を持ったフランスの核兵器」かもしれないです。核保有国でありそれは主に「欧米内での」政治的意味合いであるというそれを、ここまで上手く描いた作品は他にあっただろうか?ちょっと思い当たる作品がないです。そんなフランスがアメリカの核兵器使用を止める意味って「アメリカによるゴジラの情報の独占を許さない」という大国の意地だったり、同時に「まだまだ大国なんだぞ」という国連常任理事国の政治的重さの最大化だったりと、無茶苦茶国際政治の世界の話なのですが、そういう意味をフランスが見出しているからこそ、敢えて米中露(となれば当然英も米に同調するはず)が歩調を揃えてしまうという事態になった際、日本からの要請で、常任理事国と核兵器大国として、利害損得含めて「敢えてアメリカの案に反対する」ということをやる訳です。冷戦期にもしばしばアメリカへの対抗心から独自行動とったりしてきた訳で、このあたりも絶妙な描写です(台詞の中でフランスが出てくるだけで、実際に核兵器に触れることも無ければフランス自体出てこないのですが)。「そこに目をつけたか」という、ここはもう脱帽です。

と、こんな感じでいろいろと個人的にツボが多い作品でした。ヒューマンストーリーを描いていないとかそういうハリウッドの典型みたいなものがほぼカットされていたり、会議シーンが多いことに批判もあるようですが、寧ろそれは徹底して削るものを削ってシャープに仕上げ、同時にフィクションをいかにノンフィクションとして描くかという点を突き詰めるために、必要だったことだと思いますし、そこのあたりを意識してみるとまた感想も変わるんじゃないかなと思います。強いて言えば、「これ海外展開した時にあまりに日本的ノリの会議や政治のシーンが多いけど大丈夫?」とか「テロップや背景台詞の多さから翻訳・吹き替えした際に大量に情報が抜け落ちたりしそうだけど大丈夫?」とかそういったところは課題になりそうな気はしますが、個人的には非常にツボが多い、「ゴジラ」として庵野監督の「良いところ」が昇華された作品だったと思います。ある種のカタルシスをヒューマンドラマとして内包することでテンプレート化しているハリウッド的演出が好きな人からは、確かに評価は低いかもしれません。でも、私達は庵野監督に本来そういったことを求めていたでしょうか?無茶苦茶オタクで徹底して自分が壊れるくらいに拘って、作品の主が何で、削ぎ落とすべきは何か、それをやって欲しかったんじゃないでしょうか?エヴァでは過剰に過剰を重ねた挙句、いまだにその完成や、恐らく庵野監督の描きたいものが迷走してしまっているというフラストレーションを、シン・ゴジラは一掃してしまったと思います。そうだよ、庵野監督、貴方が描きたい作品はこういう作品じゃなかったか?と。良くも悪くも庵野監督らしい描写(ある種の情報過多やリアリティへの拘り、細かい描写カットの連続と長回しの絶妙な組み合わせ等)が詰め込まれているので、そのあたりの好みは分かれそうですけど、久しぶりの国産ゴジラとして、完成度はとても高いと思います。

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