毎日投稿

 おかしい、毎日書いているつもりが3日書いてなかった。

 ここ数日は打ち合わせばっかり。年始感ある。

 昼間、散歩しながら話をしようと誘っておいて、ぜんぜん、なにも話せなくて、だらだら目的もなく歩いた。顔を見合わせながら、真面目に話したくなくて、どっかに視点をあわせながら姿をみせずに、耳に声だけ聞こえる状態でぽつぽつしゃべる感じがちょうどいいなあと思っている。

 家の一階の、雨戸が開かない。開かなくて何度も何度もためしたがけっきょく、上のほうがつっかえていて動かない。力任せに開けようとするが無理だ。雨戸をさわって手が汚れたのが嫌で、石鹸で手を洗った。いやー無理にさわらなくていいよ。いまはこのままおいておこう。そんなことを言いながら家を出る。

 行き先をわたしが決めるのはしてはいけないので、どうする?とも訊かなかったら、「世田谷公園の方」と言われたので、では。という感じで歩き出す。他愛もない話をしながら決定的な言葉を濁す。自分たちの問題を先送りにしたいので、目に飛び込んだものについて、ことさら気にかける。だから、やたらと鮮明にそのときに見えたものを憶えている。

 横断歩道で子どもが数を数えている。19までカウントすると信号機は青になったので走り出す。18だったよ?と自転車に乗ったお母さんにいうのだが、19まで数えていたじゃないかとわたしは思う。1回分、どこにいったんだろう?って右目で見ると、お母さんの自転車にはFACK OFFというステッカーが貼ってあった。綴が間違っているのはわざとなのだろうか、わたしの見間違えなのだろうかわからないけれども、お母さん、といういいかたでその女性を見るのは失礼だったかなあ、と思いながらその人の後ろ姿を見る。公園に吸い込まれるように消える。あたりはやたらと静まり返って、車の音だけがうるさい。

 わたしたち、という単位ではなく、わたしと、あなたという分け方をしなければと思うと靴紐が解ける。気遣いをしていないようでしている動きで靴紐を結んでいる。観られている、ことを意識した動きをずっとしている。それが、良い状態なのかちょっと、わからないのでいつも戸惑う。それでちょうどいいのかも知れないし、無理をしているのかも知れない。でも、それはわたしがわかることではなくって、ただ、それをわたしは気にかけている、っていう状態が続く。それが重荷か。わかってしまうこと、わかろうという姿勢で対応することがきっと嫌なんだろう。

 どうせなら、いつも左側にいてほしい。右側の右目の視界に入らず、すこし不自由な左目でいるのだけ確認していたい。つねに邪魔にある、飛蚊症のドットがかけた世界みたいに。違和感を感じながら見過ごしていたい。外からはずっと何かを引ずる音がしていた。


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吉田アミ

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