壊れたあたまの直しかた

 『あしたのあたし』では、双極性障害がひどかったときのYukoさんがYutuberのように定点のビデオカメラに向けて、今の自分の状態を話す「ビデオ日記」をつけるシーンがある。通称「鬱日記」と呼んでいたシーンである。それはひとつの治癒へ向けての語りであり、生存報告のようなものだ。また誰でもない誰かに向けてしゃべり続ける、その語り口が特殊であり、この人はいったい誰に向けて何を話しているのだろうと不思議な気持ちになる。自問自答のようにも見えるし、独り言のようにも見える。日記とはそういうものだとも言える。一進一退を繰り返しながら、躁状態と鬱状態をいったりきたりする。実際にYukoさんが記録していたビデオからわたしがピックアップし、内容もところどころ変えている。Yukoさんはそうしろと誰かに言われたわけでもなく、このビデオ日記を撮影していたのだ。どういうことなのだろう。訊いてみたが明確な理由はなかった。誰に見せるわけでもなく、わかってもらうわけでもなく綴られたものだ。定点で撮られたその映像は単調ではあるが、書かれただけの日記とは違い、表情が見える。声のトーンや言い方で精神状態がわかる。結局、人の感情は文字だけでは伝わらない、わからない部分が大きい。

 誰にも見せないつもりだったのは、そのことによって、誰かを傷つけたい、影響を与えたい、無条件に救われたいと思っていない、思ってはいけないと思いつめていたからだろう。ひと目をはばかり封印されていた理由は。わたしはそれを受け取って、作品にさせてもらってもいいかと訊ねるとYukoさんは、二つ返事でオッケーをくれた。わたしはおどけて「ありがとうございます。わたしの作品のために記録していてくださって」と言ったと思う。 

 過去から未来にわたしに託されたものだ。今、向き合うべきものだ。宛先のなかった過去からの記憶が思いもよらぬところに漂着する。そして、記録は捏造され、新たな記憶になる。

 精神的な病で苦しんでいる人は多いと思う。『あしたのあたし』を上演したときにきてくれた人のなかに何人か現在進行系で苦しんでいる人がいて、つらくなったり、涙がでたり、思い出したり、救われたり。それぞれの感想を上演後、もらい、うれしかったことを覚えている。

 自分は精神は<状態>だと思っている。誰でも頭がイカれる可能性があり、そんなふうには決してならないと恐れれば恐れるほど鬱の芽は芽生えていく。壊れた経験のある人はやさしい。壊れたことを覚えているから。壊れたときに起こした他人の失敗を許すことができる。自分もまた同じように壊れるかもしれないという恐れとともに。精神は<状態>だから良くも悪くもなる。では、その悪くなったときにどのように立て直していけばいいのかというと、それは人それぞれが自力で見つけていくしかないと思う。ただ、繰り返すなかで、こうなると戻ってくるまでにどれくらいかかるとか、目算できるようにはなる。ある程度、コントロールできるようには、絶対なるのであまり悲観しないほうが絶対にいいはずだ。自分を立て直す方法はいくつか持っていたほうがいい。人に話すのもいいだろうし、内にこもるのもいい。人間関係につかれたなら距離をとることも適切だし、逃げたっていい。日記を書くのもいいだろう。掃除をしたり、洗濯したり、料理するのがいいという人もいる。自分のやりかたでいいと思う。

 人のことばかり言ってないで自分はどうなのか? というと最初にやっていた方法は効果はあったが効率がすごぶる悪く、回復までに時間がかかりすぎていたと思っている。とにかく、ストレスがかかるとそのことを忘れたくて、深酒をし、過眠になる。四六時中頭を支配する悪いイメージを忘れたくて脳をシャットダウンしたくなる。ハードディスクががりがりいいながら、くるくるくるくるカーソルが回っている状態がイメージに近い。過眠になると生活リズムが崩れ、どろどろと悪い方向に行く。いまがいつで何日なのか軽く、記憶が飛ぶ。なにも食べなくなる。吐き続ける。悪い夢ばかりみる。この状態はあとから思えばなんという無駄な時間だろうと思うのだが、やっているときはそれしか方法が思いつかない。遠回しな自殺未遂だ。こんな情けない自分を人に見られたくないと思う。他人に迷惑をかけたくないと思う。自分だけが我慢すればいいと思う。方法が見つからない。振り返れば、ドアが開いているかもしれないのに。視野が狭くなっていて、絶望しすぎている。未来がないと思う。これからいいことなんて一つもないんじゃないかと思う。助けてくれる人なんていないと思う。そもそも誰ともしゃべっていない。しゃべるのも億劫だ。SNSなんてとてもじゃないが見れない。わたしはLINEもメールもメッセンジャーも見れなくなる。とにかくコミュニケーションがいちばんつらい。なにか変なことを言い出してしまうかもしれない。またそれで落ち込むのは嫌だ。そんなふうに思ってしまうのだ。誰かを憎むことができればどんなに楽だろう。自分ではない誰かに責任を転嫁できればいいのに。自分自身で自分を苦しめるようになる癖が抜けない。結局は他者評価で自分を規定するからつらいのであるという結論に落ち着く。でも、その頃には自分は何をすべきかもうわけがわからなくなっているはずだ。

 わりとこんなときに効果があるのがぜんぜん関係ない方向からやってきた連絡だったりもする。無関係に復活することもある。それから心配してくれる友だちだ。精神的につらい思いをした経験がある人に相談するのがいちばんいいのだと思う。するとその人ならではの脱出法をいくつか教えてくれる。いままでの自分のやりかたとは違うやりかただ。やりかたを知れば試そうとも思える。友だちがいない、話したくないなら、病院へいくのがいちばんいい。どうしても生活リズムが崩れるとなかなか復活できないので、わたしは睡眠薬をもらっている。最近はほとんど飲んでいないが、落ちてから復活するためには無理やり生活リズムを正す必要があり、やはり睡眠薬は手っ取り早いのだ。どうしても締め切りやイベント後などは神経が高ぶったまま、不眠になる。前に不眠状態を「仕事がいくらでもできる、ヒャッホー!」と思って、調子こいてたら目眩が起きるようになりそっから治すのがすっげー大変だった。目眩がおきるとパソコンが、キーボードが打てない。死活問題である。将来に絶望する。やりたいことができなくなったことでさらに落ち込む。頭の中のぐちゃぐちゃしたものが整理できなくなる。大丈夫だ。紙に書け。思っていることをすべて書け。吐き出せ。紙はスケッチブックがいい。見開きのに書けるだけ書き、書けなくなったらそのことを考えるのをいったん止める。あとで読み返すと「なんでこんなこと考えてたのだろう」と冷静になる。冷静になって思ったことを追記する。またそれを読む。その繰り返しで徐々に壊れた頭は治っていく。

 スケジュール帳にタスクを書くというのもずいぶんやった。ゴミを捨てる、洗濯をする、服をたたむ、タンスに入れる、気の乗らない相手に連絡をする、メールを書くなど、ものすごく些末なことも一つでもできればタスクを消し、その日できないことは次の日に先送りにしてもいいというルールだったが調子が悪くなればそれもできなくなる。するとそれらは累積してしまう。だから調子がよいときにあとから書き足してもいいというルールに変更する。1年を通してみてみると自分が何があったあとに状態が悪くなったかわかる。他人の作品に感動した時だった。とかまでわかる。だいたい、今でも他人の作品を見たあとに具合が悪くなることが多いので自分の予定がタイトなときは観に行かないようにしている。ふつうの頭ならそういう判断ができるが具合が悪いとできなくなってしまうのだ!

 こうして、意外なことがストレスになっていたことに気がつく。薬が合っていないことなどもすぐわかるようになる。わりとこのスケジュール帳をしっかり書くようにするのはおすすめ。そのためにはいい感じのスケジュール帳を用意しておくべきだろう。カレンダーでもいいと思う。1年間のおおまかなスケジュールを意識しておけば精神をコントロールしやすくなる。

 自分はとにかくあせっていたから、意識的に休む、ということをしてこなかった。一人でいるとぎりぎりまで何かしてしまう。ようするに365日寝てたり、体調が悪い時以外にリラックスするということができなかったし、リラックスの仕方がわからなくなってしまった。いまもうまくいっているとは思わないけれど、飛躍的によくなったのは『あしたのあたし』の制作からだ。その前から具合が悪くならないように無理せず、調整し、それが成功したのと、作ることだけを優先していたからだ。それでも横っ面を殴られるように突然、事故のようにストレス負荷がかかり、ふて寝する日もあったがそれは半日で終わった。その日は何も食べられなくなったし、眠れなくもなった。自分と同じように動けなくなっている人を見て、これ以上、響くわけにはいかないと思った。わからないこと、決められないことを保留することができた。とにかく、ごはんは食べるべきだ。ポカリだ。何も食べれないときはとりあえず、ポカリスエットを飲め。プロテインでもいい。体を動かしていたのもよかった。その日決めたタスクが思ったよりも早く終わった経験が自信につながった。人に負荷をかけないように目を配ることができたことも。そういう自分が嫌いじゃないこと。いや、そういう自分が好きだと思えた。

 『あしたのあたし』の公演後、わたしはそこまでひどいわたしになってはいない。いや、なったのかもしれない。でも、希望はある。さまざまな方法を試し、自分ならではの立て直し方を確立したからだ。それも有効ではなくなるときがまたくるかもしれない。こういうのは波だ。運だ。でも、そうなってしまったらまた何かを没頭して作る時間を必ず作ろうと思う。他人に迷惑はやっぱりかけたくないがかけても大丈夫な人にはかけてもいいし、かけてもいいと言ってくれる人もいる。ぜんぜん、メンタルに来ない人もいるし、すでに克服している人もいる。話すこと、歩くこと、食べること、眠ること。整える。整える。整える。それが明日になるということ。明けない夜はない。わりと、生きてさえいれば、なんとかなる。そういうふうにできている。

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吉田アミ

「あしたのあたし」制作日誌

2018年11月3日(土・祝)に三鷹SCOOLにてワークインプログレスが行われた「あしたのあたし」の制作日誌です。本公演を目指して、書けることをつらつら書きます。
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