The Beginner's Guide 覚え書きと考察

最近The Beginner's Guide(以下TBG)やって感動して日本語レビューと英語もちょっと漁ったんだけど、"Tower"と"Epilogue"周辺があんまり言及されてないのとDaveyが加害者扱いされすぎで不憫なので自分で書く。

前提として、私はThe Stanley Parable(以下TSP)をプレイしていない。TBGの前作でメタフィクションネタなのは知っているけど、それ以上は何も知らない。TSPを挙げてTBGの語り手を信用しない意見をよく見るけど、この二つはそもそもシリーズ物でもない別ゲーなのでこの考察では語り手としてのDaveyを全面的に信用する。

ただし、Daveyが体験した事(ゲームジャムでのCodaとの出会い・ゲームの定義の議論等)は事実と見るけど、Daveyが行った考察(二重ドアパズルの意図・自罰的なゲームを作るCodaの心境等)については必ずしも正しいとは思わない。その誤解があったからこその物語だしね。

Codaは何のためにゲームを作っていたのか

初期衝動の発生源は"Whisper"の浮遊バグ。そこから課題設定→効果的な表現方法の模索を繰り返す。"Escape"で体験した一連の試行錯誤が良い例。完成後は興味を失い公開もしなかったのは、模索そのものを楽しんでおり完成品はその残り滓だから。チューインガムは噛んでる間は美味しいけど、味が抜けたらただのゴミとかそんなん。

"House"

CodaとDaveyの孤独との向き合い方の違いを表しているパート。

暖かそうな家の中に閉じこもり、課題設定とその解決を繰り返し、奥の扉の街灯を無視する。Codaが満足そうに見えたのは、これが本来求めていたゲーム制作のあり方だから。

Codaの試行錯誤は自分との対話であり他者を必要としない。それは一見孤独ではあるが、当の本人は気にしていない。DaveyはCodaゲーの持つ孤独には共感したが、それは乗り越えるものであり、対処法は人と関わることだとしている。そのためCodaの制作に対する姿勢は停滞と孤立のように見え、答え(街灯)を求めていたDaveyを不安にさせる。語調強めに「止まってはいけない。生き延びるには、進み続けることだ。」と言ったのもそこから。

"Tower"

過酷な道を越えた先に美しい部屋に広がるCodaの思考がある。この構造は"Stair"と同じ。Daveyは「今までCodaが作ってきたものと正反対だ」と言ったが、Codaの内面を示してきたこれまでのゲームと違い、"Tower"はDaveyという一個人に向けたメッセージだから。開かない扉の先に道が続くのも、それらを乗り越えて頂上にたどり着く方法を知っているDaveyにのみ向けたものだから。Daveyは「彼自身を遮断している」と言っているが逆。Codaに踏み入ってるのがDavey。

Daveyがゲームに加えた改変

Daveyが行ったのは、"Whisper"のドア作動と迷路スキップ、"Stair"の移動速度修正、"Puzzle"突き当りの壁消去、"Down"1h監獄省略、"Escape"監獄アイデア流し見、"House"の無限ループ解除、"Tower"のパズル省略、つまりは"Down"で議論していていたプレイアビリティの調節のみで、街灯を勝手に置くなど私物化を示すような改変は一切していない。

「街灯を置くな」の本心 

「ゲームを変えないでほしい。街灯を勝手に置かないでほしい。」は比喩。DaveyとCodaが出会ったのは"Notes"の制作途中で、街灯が初めて登場したのはその前の"Down"。「パーソナルスペースを~」の通り、Daveyが手を加えたのではなく、存在そのものがCodaに影響したという話。

Daveyをあまり責めないでやってくれ

DaveyとCodaが抱える問題はそれぞれ二つ。共通するのは孤独、もう一つはDaveyが人からの評価への固執に対し、Codaは評価への恐怖。

Codaは各ゲームの最後に街灯を置くことで、Daveyの求める答えを提示しようとした。Daveyはゲームを公開し他人の意見を取り入れることで、Codaの行き詰まりを解消しようとした。互いが互いの為にした行動が、相手を害する結果になっただけ。

最終的にDaveyはCodaゲーへの過度な自己投影と、自分の感じる不安がCodaも感じているものという誤解と、Codaを救うことによる他者からの称賛と充足感に溺れることになる。こういうのメサイアコンプレックスって言うらしいね。

Codaが直接的に拒絶しなかった理由

Codaが"Tower"を完成させるまでの期間は短く、直前まで半年に一回程度に延びていたゲーム制作が1ヶ月に縮小。何も言わずに連絡を絶つことも、メールで公開停止を求めることも、箱頭にDaveyと書いて攻撃するようなゲームを作ることもせずわざわざ"Tower"を作った理由は、Daveyを救い自分も救うため。

一連の行動で表面化したDavey自身の問題の解決には本人を拒絶してもどうにもならない。Codaにとれる解決策は、"Tower"と頂上のメッセージを最後にDaveyを自分の作品から遠ざけること。「君を襲う問題を君が治めることができるよう望んでいる。」とある通り。同時に自身も"House"で望んだようなゲーム制作に戻ることができる。

作家としてのDaveyへの違和感

コメンタリーに、自分の作品との比較やCodaの作品から学ぶこと、自分ならどう表現するかといったゲーム開発者視点っぽい感想が無い。あくまでプレイヤー消費者目線。mod版TSP制作前ならまだわかるけど、"Intro"前でTPSを作ったと公言してる以上音声収録は2013年10月以降だろうし、いくつも賞を取り評価を得た人間がまだ承認欲求に苦しむか?

もしかしてTBGの中で時間ずれてんじゃね?

こんなん。Daveyにとって精神的支柱だったCodaゲーの代わりに作ったのがmod版TSP。その後製品版TSPと続いて、自分のゲームで求めていた評価を得られるようになった。精神的に安定したDaveyがCodaに連絡を取り、ゲームの使用許可と"Epilogue"の提供を受けて作ったのがTBGじゃないかなと。各ゲーム前に入るローディング画面が"Epilogue"にだけ無いのは、"Tower"直後に作ったゲームまとめ("Tower"最後の部屋の「まさに今またしても~」の辺り)より後に作られたから。

プレイヤーは誰

Coda

"Tower"の最後の扉が閉まった所のコメンタリーが「これが、の作品集を発表した理由だよ。」と始まるように、Daveyは初めからCodaだけに向けて語っている。上の図でいうと"Intro"から"Tower"までのゲーム集をプレイしたのがCoda、その後の"Epilogue"を含めてパッケージングしたTBGをプレイしてるのが我々一般プレイヤーだと思うんだけどどうでしょう。

"Epilogue"を作ったのは誰

Coda 

"Epilogue"がDavey作という説もあるが、未だ承認欲求から抜け出せていないコメンタリーと一連の物語を俯瞰したようなゲーム内容が合わない。もしDaveyがCoda作品に似せて作ったのなら、Codaが客観的にみて一番満足そうにしていた"House"を持ってきそうだがラストに来るのは"Whisper"の浮遊バグ。"Whisper"の解説で「彼の本当の考えは結局わからないが」と前置きしてる以上あのシーンでのCodaの感動に共感出来ていないように見える。

Coda作だとすると、Daveyの独白とは無関係に展開するゲームも理解できる。今までゴミ箱行きだった過去作を、かつての友人の懺悔コメンタリー付きでプレイし直した感想が"Epilogue"だとしたら素敵やん?

「全て見た後は、一歩引いた視点から、その大きな意味を理解できる」

別種の孤独を抱えた二人のかみ合わなかった交流と別れの話。今やってるLife is Strange: Before the Stormってゲームとかもそうなんだけど、人との関わりで発生するままならなさとかこういうのをエモいって言うんだよな。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

3

nilgiriam

映像全般とインディーゲーム
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。