青いカプセル

病院に行き、服薬が始まってから、景色に輪郭が与えられたような心地が続いている。
意識がはっきりする、という感覚はうっすらとした緊張感が続いているような感覚で眠りが浅くなったり、騒音を強いストレスに感じるようになったりした。
あまりにも眠りが浅くなってしまったので、眠る前だけ飲む薬を薬局で半錠に砕いてもらって飲んでいる。それまで続いていた過度な覚醒状態みたいなものが治っていき、深い眠りが一晩続く。疲労を感じた日に一錠分飲んだら、次の日に怠さが続いたのでこれは控えることにした。

この2つの薬が最近の私の頭の中で働いている。抗うつ作用があるらしく、それまで悩まされていた気分のアップダウンも落ち着いた。もちろん落ち込んだりすることもあるがその程度が小さくなっていくのを感じる。こういった感覚を自分が自分じゃなくなる感覚と表現する人もいるが、そういった感覚は少ない。私は相変わらず私のままで、振り幅が小さくなっただけだ。そこに窮屈さを感じる人間であるかどうかはそれぞれに差があるのだと思う。
どんな自分も自分でしかないという感覚は諦めにも近い受け入れの感覚であり、心の中から一時的に消えてしまった虚しさが戻ってきた時に自分がどこでどうなるのかもなんとなく察しがつく。なんだろう。同居人の外出のような、もしくは私が出かけているのだろうか。旅先で友人の好きなものを見つけた時の感覚に似た感覚を生きていて感じることがある。

薬を飲むということは自分の身体の中のバランスを調整するということであるけれど、人間の体は多少の向き不向きはあれど(たとえそれに障害や病の名前が付けられていたとしても)肉体や精神それ自身で調整を行なっている部分も多くある。投薬という行為は時にそのバランスを崩す行為でもあり、その結果として現れるのが薬の効果や副作用だったりするわけだ。もちろん副作用がないわけではないが、それ以上に得るものがあったりするのであればこれは受け入れるべきなことなのだと思う。しかし今度は意識的に調整を行う必要があったりする。例えば薬を飲む時間や飲み方、それに続いて避けるべき行為や生活における行動パターンの把握など。
私は薬の作用副作用に慣れたところでようやく今このフェーズに突入している。いくら薬によって衝動性の抑制や気分の向上があったとしても、行動のパターンを改善するのは自分の意思以外では成し得ないからだ。

このひと月を振り返ってみるとまだ屍累々ではあるのだが、しかしまぁ実りがないというわけではない。当分は自分自身と弱い意志力でもって向き合わなくてはいけないので、とにかく頑張っていくしかない。

そういうことを考えた一ヶ月であった。

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