愛を知る方法

メディア芸術祭に行ってきた。
実を言うとこの企画を見にいくのは初めてだったんだが、めちゃくちゃ面白かった。

友達が賞を取った作品の原画なんかも見ながら、同い年の活躍を祝ったり、ちょっと悔しい気持ちになったり出来たのは人生にやる気のない自分にもいい刺激になった。

展示されていた作品はどれも努力が積み重なって出来ている(当たり前)という事実に、会場を見回してクラっとなったりもした。みんな、誰かに何かを届けるために必死になれるということが素晴らしい。

私がそんな中でも一番気になった作品が
https://youtu.be/ofLOZmFqdD0『進化する恋人たちの社会における高速伝記』
という畝見達夫さんとダニエル・ビシクさんの作品だった。
巨大なスクリーンに映される無数のアイコン、その一つ一つが人(恋人と題に示されているので人として捉えた)の営みを再現している、という作品だった。

進化と生殖、誕生と死という生命の最も根幹にある要素を元に人間をコンピュータ上で再現する。
作品の動画を見れば大抵のことはわかるけれど、私個人の感想を少し残しておきたいと思ったので。

この作品の中で起きていることは、人以外の動物全てにも共通することで、より良い種の保存のために生殖し、誕生した命があり、親は死に、子供はまた生殖をする。このループこそが進化であり、私たちは大きな流れの中で新しい形に変わっていく。

一分間に数千もの人生を消費していると、自分が神様にでもなったような気になる。
果てしないほどのメタ視点から人間の行動を見れば、私たちが持っているコミュニケーション能力や理性というものがいかに本能というものを隠すためのささやかなベールであるかということが見えてくる。コミュニケーションによって心を開き生殖を行うことと、求愛行動や発情期に基づいて生殖を行うことの差異はほとんどないようにすら思える。
言葉は、心は、本当に人に必要なのか。なんてことも考え始めそうになる。
この作品の中では別のウィンドウに細かな数値情報や、それぞれのエージェントの誕生と死についても細かく表示されるようになっている。例えば「〇〇さんは何歳で逝去しました。××さんと愛し合い、子供は何人生まれました」のように。
その表示を見たとき、私は確かにエージェントの死を悲しむことができることに気がついた。無数の死が更新されていく画面の中に、確かに誰かと誰かが愛し合ったこと、そして、誰とも愛し合わなかった人がいたことが死によって明らかになる。

死は数分の間にいくつも生まれる。私が目にした死も過去に追いやられる。
誰かと愛し合った人や誰とも愛し合わなかった人がいたことを、私は忘れそうになる。
けれど、そういう時間があったことを私は知っている。画面の中に生まれくるエージェントたちを見ながら、その全ての結果を見ているような気分だった。
愛し合って生まれた命がつながっていくのは当然だ。愛し合うことを選ばずにいたから生まれた命も無数にある。
画面上に更新され続ける死の中にある時間について考える私は確かに画面の中にうごめく図形を人として捉えていて、人間的な悲しみと喜びの中で私は蠢く画面をずっと見ていた。

時折同性に惹かれることもあれば、その後何事もなかったかのように異性と子をつくるエージェントもいる。モノに惹かれることもある。
その瞬間に生まれている命があって、私たちの選択は常にその命へとつながっている。ような気がして嬉しかった。

作品を見た後前にオードリーの若林が「結婚も子供も作らずに、お金だけ稼いで何のために働いているのかわからなくなる」と発言していたのを思い出した。
小説家の本谷有希子がそれに対して「人生はコインゲームなんだよね、永遠に使えないコインをどこかへ流していく。でも子供が生まれてこの子に自分のコインを全部与えていくんだと思ったら、それでいいと思えた。」みたいなニュアンスのことを答えていた。
私はこれから子供を作る予定もないし、作ろうとも思っていないが、そのことが罪悪感のように降りかかることがあった。次へ繋がらない命を持て余している必要があるのだろうかと自問自答することがあったけれど、きっと私の選ばなかった場所で私がいないことで繋がった命が脈々と続いていくのかと思えば希望を持つことができる。
ともかく私はこのバタフライエフェクトを信じることにする。

#日記 #メディア芸術祭 #エッセイ

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